パリの人気エリア
パリの人気地区:ビュット・オ・カイユ

ビュット・オ・カイユ

ストリートアートで有名なパリの丘
パリ人気エリア:ビュット・オ・カイユ
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パリ観光地:スクワール・デ・プープリエ
  
パリの通り:ウジェーヌ・アジェ通り

ビュット・オ・カイユ

静かな下町情緒が残るパリの丘へ

パリといえば世界有数の観光都市ですが、観光スポットの少ない静かな地区を歩くのもパリならではの楽しみです。パリ13区にあるビュット・オ・カイユ(Butte-aux-Cailles)もそんな場所のひとつ。地名のビュット(Butte)とは丘の意味で、カイユ(Cailles)には「うずら」という意味がありますが1543年にこの土地を購入した地主であったピエール・カイユ氏にちなんでいるそうです。セーヌ左岸(南側)の坂道を上った小さな丘の上にあり、古い石畳や昔ながらの一軒家が残る下町情緒あふれる地区です。最近ではパリのアーティストにも注目され、街中の壁やカフェにユニークなグラフィティ(ストリートアート)が描かれています。 次回のパリ観光では、パリの中心部からあえて脱け出して、壁に耳を傾ける下町散策に出かけてみませんか?
パリのグラフィティ
グラフィティ(ストリートアート)

住宅と共存するストリートアート

それでは散策を始めましょう。スタートはパリ13区の中心であるイタリー広場(Place d'Italie)から(メトロ駅プラス・ディタリを降ります)。広場周辺はパリ最大の中華街になっています。パリ13区はインドシナ戦争があった際に、アジア系の難民(ベトナム人、ラオス人、中国人)が住むようになり、後に大きな中華圏コミュニティが作られました。そのため中華料理のお店がたくさんあり、観光地とは異なった賑わいがあります。その奥には高層ビルが立ち並び、多くの中国人が住んでいます。

まずは広場を出てボビヨ通り(Rue Bobillot)を南東へ。にぎやかな中華街を抜けると辺りは急に閑静な雰囲気になります。そこが今回の散策の目的地ビュット・オ・カイユです。ビュット・オ・カイユの町を歩いていると、家の壁やカフェのガラス窓などに絵が描かれているのが分かります。これはグラフィティ(Graffiti)といって、英語で言うストリートアート(壁の落書き芸術)です。もともとストリートアートはニューヨーク発祥といわれていますが、フランスには1960年代に原子力発電の反対運動とともに入ってきました。その背景からも政府批判や社会批判がグラフィティの原動力となっていることが分かります。批判をするためのコミュニケーションとしてアートが使われ、それは表現の自由の重要性を私たちに伝えています。難解なメッセージを想像するかもしれませんが、散歩の途中に気軽に楽しむことができるのがグラフィティの魅力。可愛らしいものからメッセージ付きの深く考えさせられるものまで、歩いているだけで様々なアーティストの作品が楽しめます。その中でも目立つのは女性ストリートアーティストであるミス・ティック(Miss.Tic)の作品。80年代から活躍し、モノトーンのアートに言葉遊びの効いた思わず考え込んでしまうメッセージが赤字で描かれています。特にサンク・ディアマン通り(Rue des cinq diamants)は「ミスティック通り」と呼ばれ、彼女の作品を店の壁などに見ることができます。他にもモノクロで親しみある演奏家などの姿を描くジェフ・アエロゾル(Jef Aerosol)や有名アーケードゲーム「スペース・インベーダー」の宇宙人をセラミックタイルで表現したインベーダ(Invader)などのアーティストが有名です。お気に入りのアーティストを見つけて、作品を探すのもいいですね。

ビュット・オ・カイユで見られるアーティスト作品
パリ13区のビュット・オ・カイユでは様々なストリートアーティストの作品を見ることができ、さながら表現自由な野外美術館のようです。主なアーティストにはMiss.Tic、Invader、Ayder、Zabou、Kamlauren、K-Bal、Gz'up、Msieu Bonheur、Urban solid、Intra Larue、Zorm、Seth、A2、Kashinkなどがいます。通りを歩いてお気に入りの作品を見つけてみてください。

かつてストリートアートは器物破損にあたる違法な落書きとされ、建物管理者との間に問題が絶えなかった時期もありましたが、最近では街の活性化につながるアートとして認識されるようになりました(現在も違法芸術であることには変わりありません)。パリ13区の区役所も協力してアーティストに場所を提供するなどしてストリートアートを支援しています。ビュット・オ・カイユ以外にグラフィティが多いエリアとしてはパリ20区のメニルモンタンがあり、ここも坂道の多い下町になっています。下町とグラフィティは相性が良いようです。 パリのグラフィティ
グラフィティ(ストリートアート)

パリ・コミューン最後の砦だった

下町情緒の残るビュット・オ・カイユは静かで平和な地区ですが、かつて労働者が命をかけて戦った歴史がありました。19世紀後半、フランスとプロイセン(ドイツ)は戦争状態にありました。ナポレオン三世の時代(第二帝政)です。1871年、プロイセン軍による支配が強まると、フランスの臨時政府は国民軍の武装解除を要請します。それに強く反抗したパリの労働者たちが集まり、労働者による自治政権「パリ・コミューン」(La Commune de Paris)が結成されました。パリ・コミューンは「世界最初の労働者政権」と言われています。それを鎮圧しようとするフランス政府軍との戦いが始まり、パリでは激しい市街戦が繰り広げられました。そのときにパリ・コミューンの最後の砦だったのが、ビュット・オ・カイユでした。1871年5月28日、コミューン弾圧のために多くの参加者が殺され、ついに政権は崩壊します。その戦いは「血の一週間」と呼ばれ、セーヌ川の血が赤く染まるほどだったと言われています。結局、フランスはドイツ軍に大敗し、第二帝政は崩壊します。

ビュット・オ・カイユで歌われた『さくらんぼの実る頃』
このときに殺された労働者たちを悼むために歌われたのがジャン=バティスト・クレマンによるシャンソン"Le Temps des cerises"でした。この歌は日本でも『さくらんぼの実る頃』として有名で、多くの映画作品にも使われています。世界的に有名な失恋の歌ですが、殺されたコミューン参加者を悼むために多くのパリ市民が歌ったことで広まりました。作詞したジャン=バティスト・クレマンもコミューンの一員でした。彼の顔を描いた壁画がビュット・オ・カイユに残っていますので、訪れたときには探してみてください。

パリの通り:ウジェーヌ・アジェ通り
ウジェーヌ・アジェ通り

ウジェーヌ・アジェ通りがある

ビュット・オ・カイユへのアクセスにはプラス・ディタリー駅以外にもあります。丘に最も近いのがメトロのコルヴィサール駅(Corvisart)。この駅からビュット・オ・カイユに入るとき、階段のある坂道を抜けていくと便利です。その坂道がウジェーヌ・アジェ通り(Rue Eugene Atget)。「近代写真の父」と呼ばれる写真家ウジェーヌ・アジェ(Eugene Atget, 1857-1927)の名前がついた通りです。アジェはオスマン改造時代のパリを記録した写真家として有名で、「失われたパリ」を撮影した無人の街路やノスタルジックな写真がよく知られています。この道はブラッサイ庭園(Jardin Brassai)の中にあり、この辺りはかつて粘土の石切り場で、多くの職人が作業をしていました。庭園の名前になっているブラッサイ(Brassai, 1899-1984)はハンガリー出身の写真家で、「パリの夜(Paris de Nuit)」という写真集で有名です。隣接する通りと庭園に偉大な写真家2人の名前がついているのがパリならではのセンス。この坂道を上っていくとグラフィティが多く見られるサンク・ディアマン通り(ビュット・オ・カイユの目抜き通り)にぶつかり、その角にはバスク料理を出すレストラン"Chez Gradines"があります。このお店の扉には前述したストリートアーティストであるミス・ティックの作品が描かれています。

ゴーギャンも住んだアトリエが残る

ビュット・オ・カイユには昔ながらのアトリエも残っています。シテ・フルーリー(Cite Fleurie)はアトリエ兼住居の共同施設で、今もアーティストが暮らして制作を行っています。かつてはゴーギャンやモディリアーニも住んでいた歴史あるアトリエですが、1970年代に一度取り壊されそうになりました。70年代はパリの不動産開発が盛んだった時代で、巨大ビル建設の話がありました(プラス・ディタリーの高層ビル群もその都市計画の一つです)。しかしこのアトリエに住んでいたアーティストであるアンリ・カディウ(Henri Cadiou)たちが5年をかけて反対運動を行い、シテ・フルーリーの取り壊し計画は幸いにも中止となりました。パリにもそのようなスクラップアンドビルドの再開発があったことも驚きですが、その場所を残そうと奮闘するアーティストたちの熱意にも驚かされます。そして今もシテ・フルーリーはパリのアーティストの住居として残っています。名前は「花の住宅」という意味で、その名付け親も再開発反対運動の中心だったアンリ・カディウです。現在は彼の孫がこの共同アトリエに住み、写真制作を行っています。 パリの観光地:スクワール・デ・プープリエ
スクワール・デ・プープリエ

美しい一軒家が残る

ビュット・オ・カイユを歩いていると美しい一軒家が並ぶ通りがあります。これはフランスの労働者待遇が改善された時代に作られた労働者向け集合住宅。中にはアルザス地方に見られるような木組みの家や経営者(実業家)向けの車庫付きの一軒家などもあり、パリとは思えない街並みが広がっています(パリのほとんどの住居はアパルトマンです)。それらの居住形態に需要があることを見込んだプロモーターが真似して作った新しい一軒家もあり、そこには主にプチブル(中産階級)のフランス人が住んでいます。このような一軒家はパリ16区に住むのは高いけれど13区で良い暮らしをしたいという人の希望に合った場所といえます。また特筆すべき場所として、スクワール・デ・プープリエがあります。ここは田舎のような緑多い一軒家が連なる小さな道で、南仏のような美しい風景に出会えます。

様々な専門店や可愛らしい路地が残る

ビュット・オ・カイユには他にも様々な魅力のある小さなスポットがあります。花の名前が冠された通りが集まるシテ・フローラル(Cite Floral)や93年創業の蜂蜜専門店"Les Abeilles"、1920年代に建てられたアール・ヌーヴォー様式の赤レンガが美しい市民プール、編み物教室が開かれる編み物サロン・ド・テ"L'Oisive The"など、散策で見つけると楽しくなるような場所が点在しています。ちなみにプールは地下約600メートルからくみ出された井戸水が使われており、プールの近くには井戸水が飲める無料の給水所が設けられています(水筒やペットボトルを持参すれば水を持ち帰ることが可能です)。これは19世紀のオスマン男爵によるパリ改造の際に、ビエーブル川を増水させるために井戸が掘られたことがきっかけでした。マニアックなスポットとしては、世界で初めて気球を作ったモンゴルフィエ兄弟(Montgolfier)が初の有人飛行の実験で着陸した場所があるのもビュット・オ・カイユ。気球はフランス人の発明だったんですね。ちなみにこの功績が称えられ、兄弟の父はルイ16世から貴族の称号を与えられています。ビュット・オ・カイユには美味しい料理店もたくさんあります。昔ながらのクレープ屋や美味しくて安いフレンチレストランがあるのも地元の人に愛されるパリ下町ならでは。しかもそんなに広くないエリアなので、徒歩でゆっくり回ることが可能です。丘といえばパリ19区のビュット・ショーモン公園が有名ですが、パリ13区のビュット・オ・カイユはまだあまり知られていない穴場のパリエリアといえるでしょう。静かでアートなパリ散策を楽しみたい方は是非訪れてみてください。
パリ観光基本情報
ビュット・オ・カイユ / Butte-aux-Cailles
パリの観光エリア
住所:75013 Paris, フランス
最寄メトロ:プラス・ディタリー(Place d'Italie)、コルヴィサール(Corvisart)、トルビアック(Tolbiac)
カテゴリ:パリの観光エリア
ビュット・オ・カイユのアクセス(地図)
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