パリの通り
パリの通り:リュー・デ・ゾー(水通り)

リュー・デ・ゾー(水通り)

かつて水源のあった地図にも載らない狭い坂道   

リュー・デ・ゾー(水通り)

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かつて水源のあった地図にも載らない狭い坂道

パリ16区といえば、近寄りがたい高級住宅街のイメージがあります。どんな人が住んでいるのか分からない、人の気配のない「沈黙の地区」です。そしてそれ故に、見所の何もない地区と思われがち。しかし、いざ散策してみると意外に面白い風景に出会えます。この写真はパリ16区パッシーにある急な坂道リュー・デ・ゾー。「水の通り」という意味で、かつてこの場所で鉄分を含んだ湧水が出ていました。道の高低差は20メートルもあり、まるで崖の間の道のよう。上はパッシー地区のレイヌアール通り(rue Raynouard)から始まり、狭い階段を下っていくと、セーヌ河近くに出ます。狭いところでは道幅は2メートルほどです。ちなみに19世紀末のパリの法令ではパリの道路の幅は6メートル以上と定められており、この通りが地図に載っていないのもそのせいかもしれません。

近くにはバルザックの家がある

リュー・デ・ゾーは途中にワイン博物館(Musee du Vin)がありますが、ここは崖の下に作られた洞窟の中に入っています。借金取りから逃れたバルザックの家(Maison de Balzac)もこの通りのすぐ近くです。バルザックの家は、フランスの作家オノレ・ド・バルザックが1840年から1847年にかけて住んでいた建物。急斜面に建てられていた彼の住居は2つの通りに面している独特の構造だったため、借金取りから逃げるときに便利で重宝したといいます。

水源のあった通りの歴史

水通りの歴史は水源の発見から始まりました。1650年頃、この場所を採掘しているときに鉄分を含んだ湧水(パッシーの鉄分水源)が見つかりました。ここの水が医学的にも治療効果があると認められたため、パッシーは1925年まで水治療センターとして栄えました(実際の水源は1770年頃に消滅したそうです)。18世紀の啓蒙思想家ジャン=ジャック・ルソーは著書『告白』(1766年頃)の中で、パッシーの水源が体にいいと友人に誘われて10日間過ごしたと書いています。当初は「水のパッサージュ(抜け道)」という意味のパッサージュ・デ・ゾー(Passage des Eaux)と呼ばれていましたが、その後現在のリュー・デ・ゾー(Rue des Eaux)という名前になりました。また1981年にはジャン=ポール・ベルモンド主演の映画"Le Professionnel"の撮影がリュー・デ・ゾーで行われました。観光地は少ないですが、このような隠された坂道が魅力のパッシーは散策にも最適。どこにつながっているのか、つい歩いてしまいたくなる穴場の通りです。

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