パリの観光スポット
パリ観光地:パレ・ロワイヤル

パレ・ロワイヤル
Palais Royale

パリの中心なのに静寂が広がる。ルーヴルの目の前にあるかつての王宮   
パリ観光地:パレ・ロワイヤル
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パレ・ロワイヤル

最終更新日:
パリ観光地:パレ・ロワイヤル
パレ・ロワイヤルのアーケード

永遠の静寂、パリ一の盛り場だったパレ・ロワイヤル

パリ随一の観光地ルーヴル美術館の北を走るリヴォリ通りを渡ると、シンメトリーが美しい建物が見えてきます。ここはパレ・ロワイヤル。「王の宮殿」という意味の名が示すとおり、かつての王宮です。その中庭に足を踏み入れると、ルーヴル宮殿の喧騒が嘘のように静か。誰もが散策自由で、パリの中心にあるオアシス的な空間となっています。しかし、ここは18世紀末から19世紀前半にかけてパリで最も人が集まる場所でした。
パリ観光地:国務院(パレ・ロワイヤル)
パレ・ロワイヤル内にある国務院

ルイ13世の宰相リシュリューの館だった

もともとパレ・ロワイヤルは枢機卿リシュリュー(1585-1642)の館でした。彼はルイ13世の宰相としてフランスを動かしていた政府中枢の人物。リシュリューはルーヴル宮殿に住むルイ13世の近くに住むために、建築家ルメルシエに命じて1624年に庭園付きの家を建てさせました。そのため、最初は「枢機卿の宮殿」を意味するパレ・カルディナル(Palais Cardinal)と呼ばれていたそうです。しかし何故パレ・ロワイヤル(王の宮殿)という名前になったのでしょう。
パリ観光地:パレ・ロワイヤル
パレ・ロワイヤル

宰相の館から幼きルイ14世の王宮へ

リシュリューの館がパレ・ロワイヤルと呼ばれるようになるのは、彼の死後のことでした(1642年)。遺言では館をルイ13世に譲るはずでしたが、ルイ13世はリシュリューの死後すぐに亡くなってしまいます(1643)。摂政となったルイ13世の王妃アンヌ・ドートリッシュは1644年、2人の息子ルイ14世とフィリップ・ドルレアンを伴ってパレ・ロワイヤルに移り住みます。理由はルーヴル宮殿の寒々しい雰囲気が嫌いだったからと言われています。幼少時代のルイ14世がルーヴル宮殿からここへ移り住んだ頃から「王宮」(パレ・ロワイヤル)と呼ばれるようになりました。
パリ観光地:パレ・ロワイヤル
パレ・ロワイヤルのアーケード

王宮からパリ一のショッピングセンターへ

王宮となったパレ・ロワイヤルでしたが、その後実際の王宮はヴェルサイユに移ります。その後パレ・ロワイヤルはルイ14世の弟のオルレアン公の所有となります。王のいなくなったパレ・ロワイヤルは活気を失って寂れますが、ルイ16世の時代に大きな変貌を遂げることになります。1784年にオルレアン公5代目のフィリップ・ドルレアン(フィリップ平等公, 1747-93)が中庭の回廊を改装してショッピングセンターに変えてしまったのです。静かだった王宮の回廊にはレストランや商店ができ、警察の立ち入りが禁じられていたので革命家や娼婦のたまり場にもなりました。こうしてパレ・ロワイヤルはパリ最大の盛り場へと変貌を遂げていきました。

娼婦の聖地となったギャルリ・ド・ボワ

1784年にオープンしたパレ・ロワイヤルの商店街は大当たりして、パリ中の人が詰めかけるようになりました。その成功に気をよくした発案者であるフィリップ・ドルレアンは、新たに第4の回廊を計画します。しかし資金難によって土台しか完成せず、結局は開発権を他人に譲って仮建築が作られました。木造だったその回廊は「ギャルリ・ド・ボワ」(木の回廊)と呼ばれ、すでにあった3つの回廊は「ギャルリ・ド・ピエール」(石の回廊)と呼ばれるようになりました。しかし汚れの目立つ仮建築だったギャルリ・ド・ボワは、意外にも大きな人気を呼び、特にその猥雑な空間を好む娼婦が集まるようになりました。淫らな活気に満ちた当時の様子はバルザックの小説『幻滅』にも詳しく描かれています。

パリで最初のパサージュ
ギャルリ・ド・ボワはパリのパサージュ(アーケード付き商店街)の原型ともいわれています。その後、この回廊をモデルとして多くのパサージュが生まれ、19世紀には娼婦目当ての散策者や買い物客、遊歩者の欲望を満たしました。現存する最古のパサージュは1798年に開通したパサージュ・デュ・ケールです。


パリ観光地:ル・グラン・ヴェフール(パレ・ロワイヤル)
レストラン ル・グラン・ヴェフール

ナポレオンが通ったレストランが今も残る

パレ・ロワイヤルのアーケード商店街が完成したとき、1つのレストランが回廊に開店しました(1784)。アントワーヌ・オーベルト(Antoine Aubertot)によって作られたカフェ・ドゥ・シャルトル(Cafe de Chartres)です。パリで最初の高級レストランともいわれています。フランス革命期には最上のサービスが受けられるレストランとして話題を集め、その後ナポレオン、ヴィクトル・ユーゴー、マク・マオン元帥、サント=ブーヴ、ラマルティーヌ、ルイ・アラゴン、コレット、ジョルジュ・サンド、ジャン・コクトー、ジャン=ポール・サルトル、アンドレ・マルローなどの作家・著名人が常連客となりました。皇帝ナポレオンは妻ジョゼフィーヌを誘ってこのレストランに通ったそうです。1820年にジャン・ヴェフール(Jean Vefour)によって買収され、ル・グラン・ヴェフール(Le Grand Vefour)という名前になりました。19世紀後半の1859年には、隣にあったカフェ・ヴェリを吸収して89番地まで店を拡大しています。内装は装飾の美しいルイ14世様式で、新古典主義の絵画が飾られています。ル・グラン・ヴェフールは21世紀となった現在も営業中で、フランス料理の伝統を守りつつも常に新たな料理スタイルを生み出し、地元の常連だけでなく世界各国の旅行者にも人気。ミシュラン3つ星レストランとして人気を集めていましたが、2008年に2つ星となり、そのことは大きなニュースとして取り上げられました。

腐敗臭の漂う旧王宮にできたトイレ

パレ・ロワイヤルに人が集まると、必要なものがでてきます。それはトイレ。ちょうどルイ16世の下で公衆衛生への取り組みが本格的に始まった頃でした。パレ・ロワイヤルの所有者だったオルレアン公は、壮麗な建物内に12か所のトイレを設置しました。有料トイレで、便座使用料が2スー、紙は無料でした。このトイレ営業は大きな利益をもたらし、トイレ用の紙を切っておく作業に毎日3人の人間を雇っていたと言われています。逆を言えば、それまではこの旧王宮にトイレはありませんでした。中世までのパリではそれが普通のことで、夏にパレ・ロワイヤルを散歩すると腐敗した尿の匂いがしたと言われています。また絶え間なく尿をかけられた中庭の植物は枯れてしまいました。パレ・ロワイヤルに限らず、パリ全体がそんな有様で、セーヌ河では鼻と目を覆わなければ散策することができないほどでした。つまりパリ全体が肥溜めのような状態だったのです。そんな時代にようやく衛生問題が話し合われるようになり、利益を見込む営業行為とはいえトイレが設置されたのは画期的なことでした。18世紀パリの生活をつぶさに観察し『パリ生活誌』を書いたメルシエは当時のパレ・ロワイヤルについて次のような賛辞を送っています。

「旧王宮にまるで蜜蜂が巣箱に巣房を作るときのようにアイスクリーム屋兼業レストランが無数にびっしり軒を連ねて大食堂や個室を開くのを見て、一人当たり18フランも出して食事する客たちのためにトイレを建てさせた人間は実に賢明であった。彼はこれほど多量の松露詰め七面鳥、これほど多量のサーモン、マインツのハム、猪のユール、ボローニャのソーセージ、パテ、それにこれほど多くの葡萄酒、リキュール、シャーベット、アイスクリーム、レモネードが結局最後には同じ汚水留めに落ち込むはずだと考えたのであり、その場所を相当広く取り、特にどんなことをも楽しくやろうとする多くの人間のためにそこをかなり快適にすることによってその界隈の料理場の廃棄物が自分にとって宝の山であることを判断したのだ」
パリ観光地:パレ・ロワイヤル
パレ・ロワイヤル

フランスの革命の始まった場所

それ以来、パレ・ロワイヤルはパリ一の盛り場として流行の発信源となり、フランス革命にも大きな影響を与えました。アーケードの中に最初にできたカフェ・フォワはジャコバン・クラブ(フランス革命時にできた政党)の集会所として使われ、フランス革命の火種を作るきっかけになりました。バスチーユ襲撃2日前の1789年7月12日、青年弁護士カミーユ・デムーラン(1760-94)が演説をした場所も、ここカフェ・フォワのテーブルでした。パレ・ロワイヤルを歓楽街に変えた浪費家ルイ=フィリップ2世は、フランス革命を誘発しルイ16世の処刑に賛成をしましたが、自身もギロチンによって命を落としています。歴史の大きな舞台となったパレ・ロワイヤルでしたが、1830年の七月革命後、ルイ・フィリップによる娼婦の追放によって活気は失われます。その後パリの盛り場は徐々にグラン・ブールヴァールとその周辺にあるパサージュへと変わっていき、二度とパレ・ロワイヤルに活気が戻ることはありませんでした。その静寂は200年経った今でも続いています。
パリ観光地:国務院(パレ・ロワイヤル)
国務院

パレ・ロワイヤルの現在

現在パレ・ロワイヤルはフランス共和国の所有物となり、国務院(コンセイユ・デタ)として利用されています(右翼棟のみ文化省)。国務院はフランスの政府機関の一つで、諮問機関と裁判所の役割を持っています。重々しい任務の建物ですが、その正面玄関の広場ではいつも地元のパリジャンで賑わっています。しかし、パリ散策者にとってのパレ・ロワイヤルの魅力は、やはり静寂に満ちた中庭です。中庭を囲むアーケードには今も彫版工房や、アンティークの銀食器のお店、鉛製のおもちゃの店、勲章を売る店などが残り、18世紀から時が止まったかのよう。最近では現代アートを鑑賞できるギャラリーも入り、静かな盛り場をパリ散策者が歩いています。緑豊かな中庭の中央には噴水が置かれ、思索や休憩にもぴったり。パレ・ロワイヤルの西側の建物には18世紀末に作られた老舗の劇場コメディ・フランセーズがあります。パリで最も美しい劇場の一つと言われ、国立劇団によってモリエールなどの演劇が上演されています。

太陽王の元で結成された王立劇団
コメディ・フランセーズは1680年に結成された王立劇団(後に国立劇団)。太陽王と呼ばれたルイ14世によって、ゲネゴー劇団とブルゴーニュ劇団を統合する形で作られました。コメディとは喜劇ではなく演劇の意味で、主にモリエールやラシーヌ、コルネイユ、ユーゴーなどの演劇を上演しています。以前はオデオン座で上演していましたが、革命期の1799年よりパレ・ロワイヤル内のコメディ・フランセーズ(劇場)に本拠地を移して活動しています。

パリ観光地:ダニエル・ビュランによる現代アート
ダニエル・ビュランの作品"Les Deux Plateaux"

一度見たら忘れられないストライプの柱

またパレ・ロワイヤルでは現代芸術も見ることができます。中庭の広場に行くと、地面から突き出たような白黒のストライプ模様の円柱があり、誰もが一度はここで立ち止まります。これはフランスのコンセプトアーティストであるダニエル・ビュラン(Daniel Buren / 1938-)の作品"Les Deux Plateaux"(1986)。「2つの台」という意味で、一般的には「ビュランの柱」と呼ばれています。ピレネー山脈の大理石によって造られた260本の円柱が並んだ光景はあまりに印象的で、一度見たら忘れることができないでしょう。他にもポール・ビュリイ作のシルバーの球体が組み合わさった輝く噴水があります。歴史的建物と現代芸術の調和はパリの様々な場所で見られ、それは古いものと同時に新しいものを受け入れるフランスの精神性を表してもいます。 パリ観光地:パレ・ロワイヤル
コレットとコクトー

コレットとコクトーが住んだ思い出の地

またパレ・ロワイヤルは20世紀を代表するフランスの作家コレットとジャン・コクトーが住んでいた場所でもあります。二人は近所同士で、お互いに窓越しに手を振りあう光景が見られました。コレットは晩年には関節炎を患い、ほとんど部屋のベッドから出ることはありませんでした。代表作は『シェリ』『シェリの最後』『青い麦』『クローディーヌの家』など。彼女の部屋からはパレ・ロワイヤルの庭園を眺めることができました。
パリ観光基本情報
パレ・ロワイヤル / Palais Royale
パリの観光地
オープン(完成):17世紀
住所:Place du Palais Royal, 75001 Paris, フランス
最寄メトロ:パレ・ロワイヤル=ミュゼ・デュ・ルーヴル(Palais Royale Musee du Louvre)、ピラミッド(Pyramides)
エリア:ルーヴル美術館周辺
カテゴリ:パリの観光スポット
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