パリの観光スポット
パリ観光地:パサージュ・ショワズール

パサージュ・ショワズール
Passage de Choiseaul

最新の飲食店が集うパリ最長のパサージュ   
パリ観光地:パサージュ・ショワズール
パリ観光地:パサージュ・ショワズール
パリ観光地:パサージュ・ショワズール
パリ観光地:パサージュ・ショワズール

パサージュ・ショワズール

庶民的なパリ最長のパサージュ

パレ・ロワイヤルの北を通るプティ・シャン通りをオペラ座方面に歩くと、右手になにやら賑やかな商店街らしきアーケードが見えてきます。ここはパサージュ・ショワズール。パリに残るパサージュ(アーケードつき商店街)の一つです。「パリ最長のパサージュ」として知られ、他のパサージュと比べると庶民的な印象で入りやすい。現在も活気あふれる地元の商店街として賑わっています。

美しくないけれど活気あふれる

オペラ座に近い立地であるせいか、とても活気のあるパサージュで、200メートルほど西にある2つのパサージュ(ギャルリー・コルベールとギャルリー・ヴィヴィエンヌ)の静寂が信じられないほど。しかしその一方で、パサージュそのものの美しさに関しては他のパサージュと比べて見劣りするのも事実です。いわゆる日本の都会にあるアーケード商店街のような趣で、人通りは多いけれど雑多で店の移り変わりが激しく、その場所に潜む昔からの美しさがありません。お店も老舗店というよりは最近はやりの中華総菜のテイクアウトや日本食レストランなどで、歩いていても異空間に入ったような感覚はなく、通りが均一に明るく装飾もありません。パリのパサージュを研究したベルトラン・ルモワーヌによれば、パサージュ・ショワズールは当時から評価は高くなかったようです。しかしその評価の低さに反比例するかのように、このパサージュは現代でもなお生活の一部として活気づいています。

パサージュ・ショワズールの歴史

ロケーションとしての素晴らしさはオペラ座ができる前の19世紀から変わりませんでした。パサージュ・ショワズールが開通したのは王政復古期の1827年。ルイ14世の外務大臣だったリオンヌ伯爵の邸宅などが立つ土地をマレ銀行が買収して作られました。当時はパリ随一の盛り場だったパレ・ロワイヤルと新しい盛り場として話題を集めていたグラン・ブールヴァールの間にあり、2つの盛り場の通り抜けとして利用されました。そのため七月王政から第二帝政にかけて、パサージュ・ショワズールは大変賑わいました。しかも隣の敷地にはオペラコミック王立劇場が建設され、また子供向けの子供劇場の入口としても使われたため、劇の観客たちの多くがパサージュに立ち寄りました。しかしオペラコミック座は経営がうまくいかず、その後ノティック座、イタリアン座と経営者が変わり、1892年からはフランス銀行の所有になっています。子供劇場は1855年にジャック・オフェンバックによって買い取られ、ブッフ・パリジャンとして現在も人気があります。

パサージュに残る文学の痕跡

あまり文学的・美的な要素の少ないパサージュ・ショワズールですが、意外にも重要な文学の痕跡が残されています。パサージュの47番地には1865年からアルフォンス・ルメール書店が入っていました。ルメール書店は『高踏派詩集』などを刊行していて、当時の詩人志望の青年にとって憧れの存在でした。若きアルチュール・ランボーにとっても、パサージュ・ショワズールにあるルメール書店は目指すべき聖地でした。当時この書店ではポール・ヴェルレーヌ、フランソワ・コペー、シュリ・プリュドムなどの詩人や文学者が常連でした。ヴェルレーヌもルメール書店から処女作『サチュルニアン詩集』や『艶めく宴』『良い歌』などの詩集を刊行しています。ランボーは故郷シャルルヴィルからパリに住むヴェルレーヌに手紙を送っていて、その宛て先はルメール書店でした。ランボーが書き送った手紙には詩が添えられていて、その才能を見出したのがヴェルレーヌ。その後2人は詩によって結びつき、愛し合う関係になります。書店は2人の詩人の交流の役割を果たしたのです。詩人たちと関係の深かったパサージュ・ショワズールは多くの文学作品に登場しましたが、ルメール書店は1965年に廃業となりました。愛憎の果てにランボーを拳銃で撃って逮捕されたヴェルレーヌは、牢獄の中でパサージュ・ショワズールを回想する詩を書いています。

作家セリーヌが幼少期に住んだパサージュ

『夜の果てへの旅』で知られるフランスの作家セリーヌ(1894-1961)の実家デトゥーシュ家が営んでいた骨董屋もパサージュ・ショワズールにありました(64番地と67番地)。彼女はこのパサージュの中で5歳から13歳までの幼少期を過ごしました。セリーヌは自作『なし崩しの死』の中で地元であるパサージュ・ショワズールの風景を描いています。そこに描かれているのは、今日的な賑やかなパサージュではなく、暗く臭く死の香りが漂うような窒息寸前のパサージュでした。まさにパサージュの裏側を見るような描写に、19世紀当時の湿った匂いを嗅ぐことができます。それもまたパサージュの魅力のひとつといえるでしょう。

KENZOが初めてブティックを開いたパサージュ

52番地と76番地にある画材店ラヴリュは今も営業を続ける老舗ですが、内装は当時とは変わってしまっているようです。グラフィック関連の本を取り扱う書店リブリアでは大型書店では手に入らない書籍も買うことができます。ここではいわゆるバーゲン本がたくさん売られており、安い価格で新品と同様の本を買うことができます。また「KENZO」で知られる日本人デザイナー高田賢三さんがパリで最初のブティックを開いたのはパサージュ・ショワズールでした。

ランチに人気!日本料理店もある

「日本人街」として知られるオペラ座付近という立地のせいか、パサージュ内には日本料理のお店もあります。とんかつ専門店などの新しいタイプのお店が入っており、テイクアウトをすることもできます。他にもイタリアンや韓国料理、地中海料理、ハンバーガーショップなどの様々な低価格のレストランがあり、ランチの時間帯には多くのパリジャン・パリジェンヌでにぎわいます。またパサージュを出口となるプティ・シャン通りには日本食材店があります。日本人にも縁のあるパサージュ、次回のパリ観光の際に出かけてみてはいかがでしょうか。
パリ観光基本情報
パサージュ・ショワズール / Passage de Choiseaul
パリの観光地
オープン:1827年
住所:rue des Petits Champsとrue Saint-Augustinの間
最寄メトロ:Quatre-Septembre(キャトル・セプタンブル)、l'Opera(オペラ)
エリア:
カテゴリ:パリの観光スポット
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パサージュ・ショワズールへのアクセス(地図)
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