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パリ観光地:パサージュ・デ・パノラマ

パサージュ・デ・パノラマ
Passage des Panoramas

パリ最古のパサージュへ
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パサージュ・デ・パノラマ

切手コレクターに人気!パリ最古のパサージュへ

パリ2区のモンマルトル大通りを歩いていると、一際大きな抜け道があります。ここはパサージュ・デ・パノラマ。パリに残る最古のパサージュ(アーケード商店街)の一つです。今から200年以上前の1800年にオープンし、現在も営業を続けています。グランブールヴァールがパリ一の盛り場だった頃の華やかさはもう残っていませんが、古切手や古写真などのマニア向けの店が多く集まり、パサージュの魅力にひきつけられた人々が今日も訪れています。

「パノラマ」という人気の見世物小屋があった

パサージュ・デ・パノラマは、亡命貴族モンモランシー=リュクサンブール侯爵の邸宅を買い取ったアメリカ人ウィリアム・セイヤーによって作られました。1799年に建設が始まり、1800年に完成しています。パサージュの入口にはロバート・フルトンというアメリカ人の発明家が作ったパノラマ館(円形の見世物小屋)が置かれたため、パサージュ・デ・パノラマという名前がつきました(もともとのパノラマのアイディア特許はスコットランド人の画家ロバートによるもの)。当時はフランス革命の混乱が終わってナポレオンによる帝政が始まった頃で、パリの人々はパノラマという娯楽施設にとびつきました。パリ随一の盛り場だったグランブールヴァールという立地と娯楽施設としてのパノラマの2つの要素が重なり、パサージュ・デ・パノラマは大変な人気を博しました。1807年にはモンマルトル大通りの右隣にパレ・ロワイヤルから移転してきたヴァリエテ座がオープンし、その観客がパサージュへの流れを作りました。中にはヴァリエテ座の女優目当てで、パサージュの中をうろつく人もいたそうです。1815年にワーテルローの戦いでナポレオンが敗れると、王政復古の平和な時代が訪れて、パサージュ・デ・パノラマの人気はさらに上がりました。

19世紀に流行ったパノラマ装置
パノラマとは曲面の壁面に遠景を描き、その手前に自然や人工物などの模型を配して、実際の景色を見ているように錯覚させる視覚装置。ヨーロッパだけでなく明治期の日本でも流行しました。簡単に言えばイリュージョンを提供する装置で、現在で言うヴァーチャルリアリティのような効果があったのかもしれません。

小説『ナナ』の舞台になった

またパサージュ・デ・パノラマは文学の舞台にもなりました。エミール・ゾラの小説『ナナ』(1880)の主人公である高級娼婦のナナは、パサージュにあるヴァリエテ座で踊り子として働いていました。当時のヴァリエテ座の楽屋口は、お目当ての踊り子に会うために身なりのいい紳士たちが待つ場所。『ナナ』に出てくるミュファー伯爵もナナに会いたくて楽屋口で待つファンの一人でした。のちにミュファーはナナの怪しい魅力に取りつかれ、財産も地位も失ってしまいます。

バルザックなどの名士の人形の展示で人気に

繁栄当時のパサージュ・デ・パノラマには、パノラマ以外にも人を引き付ける様々なお店がありました。文房具屋シュスはありとあらゆるものを売る「何でも屋」であり、特に彫刻家ダンタンによる有名人のカリカチュア人形は大変な人気で、人が集まるパサージュの展示室に並べられていました。その展示室は『ミュゼ・ダンタン』と呼ばれ、一冊の本になったほどでした。ダンタンが制作したのはヴィクトル・ユーゴーやバルザックなどの当時の名士たちで、有名人は競って自分の肖像をダンタンに依頼しました。またのちにパサージュ・ショワズールに移ることになる子供劇場も人気のお店のひとつでした。他にもイギリス人のウィンザーがロンドンから持ってきたガス灯がパサージュ内に設置され、目玉となりました。このガス灯はのちにパリ市で採用され、パリの夜を照らすようになります。つまり、パリで初めてのガス灯が設置されたのが、パサージュ・デ・パノラマでした。

パノラマが壊され迷宮のようなパサージュに

しかし世の中の常として、人気のあるものには終わりがあります。見世物としてのパノラマの人気が徐々に衰えると、1831年には取り壊しが決定します(このパノラマが今も残っていたらと思うと残念でなりません)。それでもグランブールヴァールという繁華街にあるパサージュ・デ・パノラマの人通りは幸いにも減りませんでした。当時すでにパレ・ロワイヤルは娼婦追放令によって人が寄り付かなくなり、盛り場はグランブールヴァールに集中していたのです。また1830年代に建築家ジャン=ルイ・ヴィクトル・グリサールによってパサージュの改築が行われ、パサージュに4つの出口(歩廊)が設けられたこともパサージュ・デ・パノラマに人が集まる要因となっていました。この出口の多さは、パサージュ・デ・パノラマに迷宮のような構造を与え、そぞろ歩きの散策者を楽しませました。

パサージュにそろった名店
この頃のパサージュには今のデパートにあるような女性好みのお店が立ち並んでいました。香水店や帽子店などのブティックをはじめ、〈カフェ・ヴェロン〉、版画・小物店の〈スイス〉、チョコレート店の〈マルキ〉、ケーキ屋の〈フェリックス〉などの名店が入り、若い女性客がグルメやウィンドウショッピングを楽しみました。またこうした女性客目当てに、『ナナ』のミュファー伯爵のような男性が訪れるようになったのも事実です。

デパートの隆盛によって人気が急落

しかし第三共和制の頃にパリのデパートが誕生すると、パサージュ・デ・パノラマの人気も徐々に落ちていきました。それでも第一次世界大戦前までパリの人気スポットとして評価されていたのは、まだグランブールヴァールがパリの盛り場として機能していたためでした。しかし第一次世界大戦が始まると、グランブールヴァールにあった人気レストランは次々と閉店し、代わりに銀行が立ち並ぶようになりました。そのため繁華街は消えてパサージュ・デ・パノラマの人気も急落していきました。

老舗の印刷所ステルヌがある

現在、パサージュ・デ・パノラマ内にはエスニック系のレストランやファーストフード店などがあり、かつての栄光を偲ぶお店はほとんど残っていません。名店であったカフェ・ヴェロンも、現在はステーキチェーンに変わっています。その中で19世紀から変わず営業しているのが名刺や招待状などを印刷するお店ステルヌ(Stern)です。200年以上続く老舗の印刷所で、今でも宮廷や政府の招待状の注文を受けています。ステルヌのお店は2009年にパリの歴史的建造物に登録されています。また古切手や古写真、古い絵葉書、古コインの店が多く集まり、パサージュ・デ・パノラマはコレクターにとっての聖地にもなっています。収集家の方にとっては是非訪れたいパリスポットのひとつです。
パリ観光基本情報
パサージュ・デ・パノラマ / Passage des Panoramas
パリの観光地
オープン:1800年
住所:Blvd MontmartreとRue Saint-Marcの間
最寄メトロ:Grands Boulevards(グラン・ブールヴァール)
エリア:
カテゴリ:パリの観光スポット
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