パリの文化
パリジェンヌ

パリジェンヌとは

永遠の憧れ、もしくは幻想。そして実際は?気になるパリジェンヌ(パリの女性)について
パリジェンヌ
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パリジェンヌ
パリジェンヌ
パリジェンヌ

パリジェンヌ

パリジェンヌとセーヌ河
セーヌ川で語らうパリジェンヌ

パリジェンヌとは

パリジェンヌの定義

パリジェンヌとは、一体何でしょうか。昔から日本の女性誌ではよくその言葉が表紙を飾り、パリジェンヌと呼ばれる女性たちのスナップ写真や日常生活を特集しています。最近のWebメディアやSNSなどでもよく使われる人気の言葉です。しかし、そこにはメディアならではの過剰な装飾や美化がなされ、本来の意味を失っていることもあります。元々、パリジェンヌ(Parisienne)をフランス語の意味どおりに解釈すれば「パリに住む女性」という意味です。この言葉は19世紀のパリで生まれました。

19世紀に生まれたパリジェンヌ

19世紀のパリは、文化や芸術の発信地として急速に発展していました。フランスだけでなくヨーロッパ各国から多くの芸術家や作家、知識人などが集まり、様々な芸術運動が起こっていました。日本でも有名な印象派はその代表的なもので、パリの都会生活者の日常生活や光あふれる美しい風景を描き、人気を博していました。「パリジェンヌ」という言葉は、そんな芸術運動の盛んだった文化的背景の中から生まれました。

19世紀末のパリではメディアの発達により、美を追求して自由で洗練された都市生活を送る女性が増えていました。彼女たちは芸術やファッションに大きな情熱を持ち、社交的で知的好奇心が強く、本を読み芸術を楽しむモダンな女性として世間には映っていました。そんな女性たちを印象派の画家たちは「パリジェンヌ」として描き、それらの作品が人気になるにつれて、パリジェンヌの魅力とイメージも広まっていきました。また、19世紀末のパリは現代パリへとつながるモードが生まれた時代で、モードへの関心が高まると共にパリに住む女性がパリジェンヌとして再発見されていったといえます。

裕福な生活の陰に隠されたパリジェンヌの実像

しかし、そのような「パリジェンヌ」のイメージはあくまで一部であり、裕福な階級に属して芸術に触れることができる女性に限られていたことも事実です。当時のパリは厳格な階級社会で、社会的な格差が顕著でした。そのため、画家たちのモデルになるようなパリジェンヌがいる一方で、貧しい労働条件の中で芸術とは無縁の場所で生活する労働者階級のパリジェンヌも存在したのです。また当時のパリは圧倒的な男性優位の社会で、裕福な階級の出身と言えども、女性の地位は総じて低いものでした。自由で華やかなイメージが先行しがちな「パリジェンヌ」ですが、実際には一部の階級の女性のイメージを元に作られていて、パリに住む全ての女性を意味する言葉ではありませんでしたし、当時の彼女たちの地位は高いものではありませんでした。

それでも「パリジェンヌ」という言葉は、19世紀末のパリの美の象徴として広まり、20世紀になってもフランスの文化の一部として認識されるようになりました。特に日本においては、20世紀になって「パリジェンヌ= モードの中心にいる女性」というイメージが膨らみ、一つのファッションブランドや生活スタイルのような意味として使われることが多くなりました。そして多様化の進んだ現代の世界でも、「パリジェンヌ」は様々な意味を含みながら、洗練された美しいパリの街並みや文化と並んで、パリの魅力を伝える重要な要素の一つとしてあり続けています。

パリを美しくする要素

少し唐突ですが、日本の作家についてお話しします。パリを愛した日本の作家に永井荷風がいます。彼と親交の深かった随筆家小門勝二は、パリジェンヌとは出身地などの地理的な区別はなく「パリを美しくする要素としての女性すべて」だと言っています。「男に見出され、完全に理解され、そして成功と幸せをつかむ女」がパリジェンヌということになるようです。分かったような分からないような定義です。そしてやや理想的すぎる気もします。しかしそのような曖昧な答えのない部分にこそパリジェンヌの魅力があり、だからこそ世界中の女性がパリジェンヌに憧れるのでしょう。そこに昨今の過剰なマーケティングが入り込んでいることも事実です。つまり、メディアや人々の意識の中にしか、パリジェンヌは存在しないのかもしれません。しかし、想像は大きな力として、たしかに存在しています。パリを美しいと感じたとき、それはきっとパリジェンヌの美しさなのかもしれません。

パリジェンヌの特徴

そんなパリジェンヌの特徴をまとめるのは難しく、一人一人異なる魅力があり、出身やルーツ、人種も多様です。あえて言うとすれば、パリジェンヌは文化や芸術、哲学、社会問題、グルメなどに深い関心があり、知的好奇心が旺盛です。美術館や劇場、カフェなどでの優雅な時間を楽しんだり、様々なトピックについて本を読んで知識を深めたり議論をすることが好きです。彼女たちは、独自の美意識やセンスを磨くことに常に熱心であり、自分自身を高めることに強い情熱を持っています。

そのためパリジェンヌは、パリという都市の象徴的な存在として、世界中から注目を浴びています。彼女たちのライフスタイルやファッション、美容術、文化に関する情報は、多くの女性たちの憧れの的となっています。

パリジェンヌを生んだモードの歴史

モードとは何か?

パリジェンヌについて考えるうえで、避けて通れないのがモードです。最近日本のファッション雑誌でもモードという言葉がよく使われます。日本のメディアではその言葉を意識せずに使い、なんとなく最新のファッションというような意味として考えています。そもそもモード(mode)とはフランス語で「形式、様式」という意味があり、意訳をすれば「流行」になります。英語のファッションとほぼ同じ意味です。そのためモードとは正確には「フランスの流行、パリの流行」を指します。ではモードとは、いつ生まれたのでしょうか。モードの歴史を見ていきましょう。

モードの誕生

19世紀後半、ナポレオン3世の主導のもとセーヌ県知事オスマンによるパリ改造がありました。新しくなったパリではメディアが発達し、ファッション雑誌が隆盛を極め、多くのパリジェンヌがモードを知るようになりました。印象派の画家オーギュスト・ルノワールの作品に『モード誌を読む女性』(1880)という絵がありますが、これは当時多くの女性がモード関連の雑誌を読んでいたことをよく表わしています。またパリ改造によって街並が中世の汚れた路地から近代的で衛生の行き届いた大通りに整備されたため、「美しい服を着たい」という欲求が高まったこともモードへの関心が生まれた理由のひとつでした。また19世紀末はパーティーの時代で、貴族から庶民まで多くのパリジェンヌが着飾って男性と踊り、様々なパーティーを楽しみました。貴族は皆から注目されるために美しい服を着てオペラ座へ行き、庶民はパリ郊外のガンゲット(大衆的なダンスホール)などで着飾って踊りました。ルノワールの『ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレット』はそんな庶民のパーティーシーンの幸福な瞬間をとらえた作品といえます。このように改造後の新しいパリで余暇の概念が生まれたことで、人々の中にモードへの関心が生まれていきました。そしてこのようなパリ独自のモードの誕生が、現代のパリジェンヌという概念の原型を生み出したといえます。

パリコレの基礎となったオートクチュールの誕生

モードに関心が集まることで、パリでは美しい服への需要が拡大しました。そのため服を効率的かつ大量に生産する必要性がでてきました。このとき出てきたのがオートクチュール(高級仕立服)というシステムです。当初パリでは様々なオートクチュールのお店が乱立し、その規格も曖昧でしたが、イギリス人のデザイナーであったシャルル・フレデリック・ウォルトがパリでその基礎を築き組織化しました。それまで顧客の一方的な注文によりデザインしていた「顧客主導」の服制作を、デザイナーがあらかじめデザインした服を顧客の体に合わせて仕立てる「デザイナー主導」の服制作へと変更し、大きな成功を収めたのです(いくつかのデザインの型を用意して、その中から顧客に好きな型を選ばせるスタイル)。このとき実際の人間に服を着せて顧客に披露して販売する方法を作り出し、これが現在のモデル(マヌカン)という職業の発端になりました。この方式によってデザイナーとモデルの地位は格段に高まり、現在のパリコレのスタイル(アトリエ制作、専属マヌカン、衣装発表会)の元になりました。このように今では流行という意味で使われるモードという言葉は、19世紀に隆盛したオートクチュールの「型」と深い関係があることが分かります(フランス語のmodeの原義は「型、形式、様式」)。

またオートクチュールの高級な服を着るパリジェンヌは多くの画家たちを刺激しました。ルノワールやエドゥアール・マネ、メアリー・カサットなどの画家たちがそんな流行のパリジェンヌたちの日常を描きました。オートクチュールは高級なため、一部の上流階級の女性だけが購入しましたが、庶民はオートクチュールの代わりとしてデパートで服を買ったそうです。

オートクチュールの衰退とプレタポルテの誕生

しかしウォルトの築いたオートクチュールもポール・ポワレの20世紀的でシンプルなデザインやより効率的なプレタポルテ(Pret-a-porter)の登場によって徐々に衰退していきます。プレタポルテは大量受注が可能な高級既製服で、英語の「着られる準備がしてある」という意味のready to wearをフランス語に置き換えた造語です。フランスの既製服メーカーであったヴェイユ社が広告のキャッチコピーとして使用したのがはじまり。それまでは質の低い安価な既製服が出回っていましたが、それらと区別するためにプレタポルテという言葉が作られました。いわゆる「高級ブランド」の誕生です。プレタポルテの全盛によって、オートクチュールとしてのウォルトの店は1954年に閉鎖されます。この頃にはプレタポルテの品質も向上し、オートクチュールに匹敵する服が製作されるようになっていました。ピエール・カルダンやイヴ・サン・ローラン、ソニア・リキエル、高田賢三などのデザイナーがプレタポルテの店を開店し、パリのモードを牽引するようになりました。そして世界最大のプレタポルテ展示会として有名なパリコレはファッション市場が活性化した1960年代から開かれるようになり、現在も毎年そのコレクションが注目されています。

また2017年10月より、パリ16区にあるピエール・ベルジェ - イヴ・サン=ローラン財団の施設がイヴ・サン=ローラン美術館としてオープン予定で、パリのファッションに興味ある方には是非訪れてほしい観光スポットとなりそうです。ここでは5000点以上のオートクチュールのほか、15000点ほどの装飾品、彼の描いたデッサンなどが展示される予定です。オートクチュールの中には映画のために制作された服も含まれており、カトリーヌ・ドヌーヴが『昼顔』(1967)で着用した服も見ることができます。ピエール・ベルジェ - イヴ・サン=ローラン財団はイヴ・サン=ローランを支え続けてきたピエール・ベルジェがイヴ・サン=ローランの40年間に渡る仕事の記録、オートクチュール、アクセサリー、デッサンなどを保存するために設立した財団です。今までは美術館ではありませんでしたが、以前より定期的にファッション・絵画・写真・デッサンなどの展示会が開催されており、美術館として生まれ変わったあとは更なる充実したファッション展示が期待できそうです。

今見ると奇抜な当時のモードとは?

現在の流行がそうであるように、19世紀末に流行ったモードのほとんども熱狂的でありながら一過性のものでした。その中でも特にパリジェンヌの間で流行ったのがクリノリン(crinoline)です。これはスカートを膨らませるために発明された骨組みのある下着で、1850年代から1860年代にかけてパリで大流行しました。クリノリンとは馬の尻尾の毛を意味するクラン(crin)と麻布を意味するラン(lin)の合成語。ヨーロッパの昔の絵や版画などでそのデザインを見たことがあるかもしれません。当時上流階級から庶民まで多くのパリジェンヌが異常な準備時間をかけて履いたクリノリンを身に着けてパリを歩き、それはときに滑稽な風刺画の対象となりました。需要が高まった1860年代には、大量生産のためのクリノリン専門の工場ができたほどでした。しかしクリノリンは女性の身体を過度に締め付ける設計だったため、体の内臓の形を変えてしまうほどの危険性があり、またクリノリンを身に着けた女性による転倒や暖炉の火がスカートに引火したりなどの事故が多発したため、次第に廃れていきました。

1880年代にクリノリンに代わって流行となったのがバッスル(Bustle〈英〉/Tournure〈仏〉)です。クリノリンがスカート全体だったのに対して、バッスルはお尻の部分だけ膨らんだ構造で、明治時代の日本でも流行したそうです。しかしコルセットが身体をきつく締め付けたため、この流行はすぐに終わりました。このような一過性のモードは、ジョルジュ・スーラやギュスターヴ・カイユボットなどの画家たちによっても描かれています。

そのほかにも19世紀には帽子が流行し、パリ市内には多くの帽子屋がありました。帽子屋は客から注文を受け、完成した帽子を客のアパルトマンまで届けにいきました。ジャン・ベローの『シャンゼリゼ大通りの帽子屋』やドガの『帽子屋』を見ると、当時のパリの帽子屋の様子がよく分かります。しかし帽子には鮮やかな装飾のために鳥の羽が大量に使われたため、多くの希少な鳥が絶滅したといわれています。

現代パリのモードへ

オートクチュールやクリノリンなどを経て、流行は20世紀になって新しい時代を迎えます。ポール・ポワレがコルセットなしの、体を締め付けないゆるやかでシンプルなデザインの服を考案し、彼女はパリのモードのリーダー的存在となりました。19世紀の装飾過多なモードとは一線を画したこのデザインは新しい時代の到来を予感させ、現代パリのモードへとつながっていきます。そして今ではプレタポルテのデザイナーが注目されると同時に、多くのパリジェンヌが自分だけのスタイルを確立し、モードの意味も大きく変容しています。

上流階級だけでなく庶民にまでモードが広まったのが19世紀の特徴でした。パリのモードは上流階級だけでなく、一般の人々も一体となって作り上げられていったもので、それが形を変えて現在のパリジェンヌにつながっています。

19世紀の風俗研究家であったオクターヴ・ユーザンヌはこう言っています。 「パリジェンヌは新しい社会と広がった世界にフランス趣味そしてパリモードを伝える役割を一手に担っていた」

そして今

最近のパリジェンヌにとって、いかに安く素敵な服を手に入れるかということが最重要課題になっています(フランス人はヨーロッパの中でも服飾関係に関する消費量が少ない)。世界のメディアが注目するフランスのモードの祭典であるパリコレは、パリジェンヌにとっては注目するものではないようです。高級店よりデパートやブティックのソルド(バーゲン)が人気ですし、安い服を手に入れるために蚤の市へ掘り出し物を探しに行くことも多いです。そして使えるものであれば親や祖母のお古を再利用し、自分流にアレンジして着こなしてしまう。随筆家小門勝二は「パリジェンヌは、決してきらびやかなよそおいをして、派手な歩きかたをしているわけではない。いや逆だ。ちょっと見は地味で質素で、どこの堅気の家の娘さんかとおもわれる」と言っています。となると、パリでごく普通の暮らしをしている女性こそがパリジェンヌと言えるのではないでしょうか。祖母や母がパリジェンヌだったように、自分もその伝統の中に入る。そして伝統的でありながら自分の道を行く自信に満ちている。パリジェンヌとパリは歴史の中で深く結びついています。パリジェンヌのおしゃれを学ぶことは、究極の自分らしい生き方につながるのかもしれません。

パリジェンヌのイメージと現実

メディアが植え付けた「おしゃれ」というイメージ

パリジェンヌと言えばおしゃれというイメージが強い。それはどの女性雑誌もパリジェンヌの服装特集をしていることからも見てとれます。フランス女性のファッション、特にパリの街角のスナップ写真などは雑誌でよく見かけます。しかし、実際にパリを歩いていると分かりますが、ほとんどのパリジェンヌの服装は普段着です。

多くのパリジェンヌはGパンが履いていることが多く、服装もシンプル。そして皆古着のような、または自分で作ったような服を着ている人もいます。日本女性の美的基準の一つである「かわいい」とは全く違う服装で、それは素のままの自分をもっとも引き出せる服装でもあります。日本のように人気のファッション(ブランド)で自分自身をキャラクター化したりブランドに身を包むのではなく、いかに自分らしさを出すかが重要となってくるようです。

それは日本のような大きな流行というのがないせいなのかもしれません。たしかにパリコレという世界的なファッションイベントはありますが、そこに出てくるファッションモデルを真似する人はいません。そのため、パリジェンヌという一つのおしゃれなファッションスタイルではなく、パリジェンヌ一人一人が異なる服装をしています。それが日本人から見たらオシャレに見えるのかもしれません。

パリジェンヌは何故個性的なのか

ではなぜ、パリジェンヌは流行を追わずにそれぞれが違う服装をするのでしょうか。そこにはフランス人独自の考え方が根付いていると思います。フランス人は「人間は平等ではなくそれぞれ違うものだ」という意識があります(昔から続く堅固な階級社会もそこに関連しています)。「人間みな平等」という日本人の考え方とは正反対ですね。そのため、それぞれのベース(個性)にあったファッションがあるべきで、皆が同じ流行を追うのはおかしいという考えが生まれます。だからパリジェンヌにとって、ファッションは真似するものではなく、自分に合うスタイルを見つける行為なのでしょう。フランスでの平等とは、それぞれの個性(違い)において全くの自由であることを意味します。それこそがパリジェンヌのファッションが美しいことの根源的な理由なのかもしれません。そしてそんなパリジェンヌの姿は、パリの街に非常によく似合っています。世界的に有名なフランスのファッションデザイナー、ココ・シャネル(1883〜1971)は女性のファッションについてこう語っています。「きちんと着こなしていない女性の場合には洋服が目に付くが、すばらしい着こなしの人の場合には洋服ではなくて彼女そのものが映えて見えるのだ」。

いまだに残る女性への差別

自由と平等を強く掲げるフランスですが、実はフランス女性への差別はダイバーシティが重要となりつつある現代社会でもいまだに根強く残っています。驚くべきことに、フランス人女性が自分宛ての手紙を開封する権利を手にしたのは20世紀に入った1923年のことでした。女性の選挙権にいたっては、1945年になるまで与えられませんでした。さらに1964年まで、女性は夫の許可なしには銀行口座を開設したりパスポートを取得したりすることもできませんでした。そのようなフランス女性にとって圧倒的に不利な状況下で、女性作家シモーヌ・ド・ボーヴォワールは1949年に『第二の性(Le Deuxieme Sexe)』を執筆しました。当時からパリジェンヌは古い慣習にとらわれずに率直に意見を言い、自らの言動や行動に自信を持っていましたが、それが職場での男女の機会均等につながったわけではありませんでした。ビジネス社会では男性のほうが女性より有利である環境はいまだに続いていますし、それは日本社会にも言えることかもしれません。しかし、最近、女性たちの力は以前よりも増し、その力を認める動きが出てきました。フランスでの女性作家や女性映画監督の活躍はそんな状況を反映しているといえます。

パリジェンヌの性格

パリジェンヌの性格と聞いてどんなイメージを持つでしょうか。エレガント、気が強い、高飛車、プライドが強そう。実際のパリジェンヌは実に様々。それぞれに個性があってこそ、そのすべてがパリジェンヌですし、一つにまとめることはできません。あえて共通点を挙げるのであれば、個人主義が多いことかもしれません。

個人主義はよくエゴイストと同一視されることが多いですが、実際には違うようです。個人主義とは他人と比べたりせずに自分の生き方に忠実であること。自分の意見を持つことがもっとも大事だとされるフランスにおいて、他人に従ったりその場の雰囲気や流行に流されること(流行とはまさに自分自身が流されること!)は、生きていないのと同じことになります。パリジェンヌは他人と違って初めて、自分の存在を確認できる。日本人にとっては考えにくいことですが、自分の我を通す代わりに他人には干渉しない。それはつまり、他人の生き方を否定しないことを意味します。 これこそ人生を楽しく生きる秘訣で、それがそのままフランス人そのものの性格にも当てはまります。他人には無干渉でも、それは都会特有の無関心とは全く違います。それは「お互いの存在を認め合う意味での無関心」なのです。あなたが話しかければ(たとえフランス語ができなくても)、しっかりと会話をしてくれます。そんなパリジェンヌがいるパリは、やはり素晴らしい都市なのだと思います。

パリジェンヌと日本女性

パリジェンヌと日本女性の違いはどこにあるのでしょうか。文化も国も異なるので違いがあるのは当たり前ですが、特徴的な違いを見ることでパリジェンヌについてより理解できるのではないかと考えています。

(1)集団行動か個人行動か

第1に日本女性は集団の中で仲良くする傾向があるのに対し、パリジェンヌは集団的な仲のよさを好みません。何故かと言うと、「人はそれぞれ違う」という意識が根底にあるからです。性格も意見もそれぞれ違うのに、皆が同じ意見で集団で同じことをするのはおかしいという考えを持っています。だからといって日本人の行動が間違っているのではなく、日本人は昔から和を尊ぶ人種であるため、集団行動は当然の習慣といえます。そのため日本女性は相手の意見に合わせることを美徳とし、一方でパリジェンヌは自分の意見をしっかり言うことを礼儀としています。

(2)流行を追うか追わないか

第2に日本女性は流行のファッションやブランドを身に着けるのを好むのに対し、パリジェンヌは自分だけの流行を持っています。だからパリジェンヌはそれぞれが個性的に見えるのかもしれません。その一方で日本女性のファッションは前述したような集団的な同調意識が働き、皆が着ているような服や今流行のブランドを好む傾向にあります。最近ではパリジェンヌを手本としたファッションやインテリアの特集が雑誌やWebなどでたくさん紹介されていますが、パリジェンヌのファッションや部屋自体がそれぞれ異なるため、パリジェンヌの根底にある意識を理解しない限り手本とすることはなかなか難しいような気がします。メディアを賑わすパリジェンヌは日本から見たイメージ(偶像)に過ぎないのかもしれません。

(3)いつまで女か

日本女性は社会的な役割によって変化するのに対し、パリジェンヌはどこにいても同じです。日本女性は社会の目に敏感で、そのときに応じて女である自分、妻である自分、母親である自分を使い分けます。そして最も役割の大きいものを、自分のアイデンティティーとする傾向が強いと思います。つまり、結婚した女性は妻や主婦となり、子供を持つ女性は母親となります。パリジェンヌももちろん同じですが、違うのは彼女たちがどんな役割になっても「女」として存在していることです。妻や主婦や母親はあくまで役割に過ぎず、そこにいるのは「女」。だからこそパリジェンヌは生涯を通じて恋愛をするのかもしれません。

一概にパリジェンヌと日本女性の違いを断言することはできませんが、特徴的な違いを見ることにより、パリジェンヌの理解の一助になればと思います。

フランス女性はなぜ太らないのか

フランス女性で太っている人はほとんどいません。パリを歩いているパリジェンヌもみなスリムです。ワインを飲み肉料理を食べ、バターたっぷりのクロワッサンや砂糖の多いケーキを食べているのに何故太らないのでしょう。それにはいくつかの理由が考えられます。

(1)時間をかけて食べる

フランス人は一日の中で食事にかける時間が多いです。親しい友人と喋りながら楽しくゆっくり食べることで、食事の時間を長くして消化を助けます。朝ごはんの時間は30分くらいですが、ランチには1時間半くらいの時間をかけます。ディナーは最低2時間はかけて、友人と会話を楽しみながら食事するパリジェンヌが多いようです。食後はコーヒーを飲んで消化を助けます。

(2)新鮮な食材を食べる

スーパーでまとめ買いするのではなく、市場に行って様々な果物や野菜を買って自分で料理を作ったりすれば、素材の味を活かした料理を味わえます。それはジャンクフードの過剰摂取を防ぎ、食事の量を腹八分目に抑えることにつながります。パリでは青リンゴをかじって食べているパリジェンヌもよく見かけますね。

(3)多種多様な食材を食べる

いろいろな料理を食べることで新たな味の発見もありますし、バランスのよい食生活を送ることができます。同じものを食べ続けるよりは、新しい食事で刺激を受けることも大事ですね。ランチの定番であるサンドウィッチにもさまざまな種類がありますし、豊富な種類の野菜をメインにした料理が多いのもフランス料理の特徴です。

(4)カロリー控えめではなく、血糖値の上がりにくいものを食べる

カロリーの摂取が太る原因だと考えられがちですが、実際には血糖値を上昇させる食材がインシュリンの分泌を促して脂肪を増やしています。そのため、カロリーがあっても血糖値上昇度(GI値)の低い食事をとることで、健康的な食生活が送れます。 パリジェンヌが好きなクロワッサンは意外にも血糖値の上昇が低く、それはバターのおかげだと言われています。乳製品はGI値が低い食材だからです。他にもライ麦パン、リンゴ、イチゴ、チーズ、肉、魚、牛乳、トマトなどがGI値が低い食品で、どれもフランス人が好んで食べるものです。フランスパンはGI値が高いですが、乳製品であるチーズと一緒に食べたり、チーズサンドイッチにしたりすることで、血糖値の上昇を防いでくれます。またメインがステーキであっても、パリの市場で売られている新鮮な果物や野菜と一緒に食べることで、血糖値の上がらないメニューを作ることができます。パリジェンヌが大好きなガトーショコラなどのケーキも、食べる前に牛乳を飲めば太りません。簡単にいえば、食生活に乳製品と果物を取り入れること。それが自然に太らない健康的なパリジェンヌの食生活かもしれません。

(5)食べるけど食べ過ぎない

中くらいの量を美味しく食べることがパリジェンヌの食べ方でもあります。またデザートによく食べられるチーズは、コレシストキニンという満腹感をもたらすホルモンの分泌を促すので、食事を多く食べなくても適度な満足感を得られるそうです。料理のラストにチーズがくるのは理にかなったことなんですね。またパリジェンヌだけでなくフランス人が好きな甘いケーキやチョコレート。こちらは質の高い美味しいものを少量食べることで、カロリーを抑えながらも満足感が得られます。そのため、毎日デザートを食べていても太ることはあまりないそうです。

(6)水を多く飲む

アメリカでは喉が渇いたらジュースやコーラが基本ですが、フランス女性は水の大切さを知っています。水は自分の体重をコントロールする本当に貴重なものです。食事の合間や起床時に水を飲むことによって、自分の身体を適切に維持することができます。

(7)食事そのものを楽しむ

早食いやテレビを見ながらの雑な食べ方ですと、うまく消化ができずに太る原因になる可能性があります。天気のいい日にはパリの公園でゆっくり食べたりするのも、パリジェンヌらしい食事の楽しみ方。そして食材の味を感じながら噛んで食べることで、適正な量をゆっくり味わって食べることができます。これはまた、フランスがグルメ大国と言われる理由の一つでもあります。楽しい食事は楽しい人生につながり、それはフランス人の生き方そのものです。

(8)パリを歩く

ダイエットといっても、決してジムへ通ったり、激しいスポーツをする必要はありません。ただ散歩したりするだけで日々のエネルギーを消費できます。パリジェンヌはパリの街歩きが大好きです。また犬と一緒に散歩するだけでもいい運動になります。パリには犬を散歩させている人が多く、それが適度なカロリー消費になっているんですね。カフェにペットを同伴させている人をよく見かけるのもパリならでは。 その他にも、パリジェンヌが日常的に歩くことが多いのには、パリのアパルトマンの構造的事情があります。パリにはエレベーターのないアパルトマンがまだ多く、階段の上り下りが運動になっています。私もパリに住んでいた時には、6階(日本での7階)の屋根裏部屋を借りていたため、毎回延々と続くような螺旋階段を上っていました。他にもアメリカのように日常で車を使わず、移動のほとんどを徒歩ですませるのもパリジェンヌのスリムの秘訣かもしれません。パリへお出かけの際には、是非パリジェンヌになった気分で好奇心に任せて歩いてみることをおすすめします。

食事をゆっくり楽しみ、そしてパリの街を歩く。それがパリジェンヌの美しい理由なのかもしれません。

日光浴が好きなパリジェンヌ

冬が去り春になると、多くのパリジェンヌは近くの公園に出てきて日の光を浴びます。パリの冬はどんよりとしていて常に雲に覆われているため、春になると太陽を求めて外出するのです。緑のベンチに座ってじっとしているパリジェンヌの姿は冬眠から覚めて生の喜びをかみしめる動物のようにも見えます。しかし日光浴には単に暖かな日差しを浴びる以上の効果があります。日光浴をするとセロトニンという脳内物質が放出されます。これは別名「幸福ホルモン」と呼ばれ、心の不安やストレスを解消してくれるそうです。つまり日光浴をすることでストレスが軽減され心がリラックスするので、心安らぐ一日を過ごすことができます。 ただ日を浴びるだけのように思えますが、パリジェンヌにとって日光浴は無料でできる催行のストレス解消方法。日本でも最近流行のオフ活(ストレスをオフにするための活動)につながりそうですね。最近ストレスを強く感じている方は、ベランダで朝日を浴びたり天気のいい日に公園に出かけてみてはいかがでしょうか。

パリジェンヌのアパルトマン

パリジェンヌは普段どんな部屋で暮らしているのでしょう。パリジェンヌの多くはアパルトマン(共同住宅)で暮らしています。パリジェンヌのアパルトマンについて一つの答えはありません。当り前ですが、彼女たちが暮らすそれぞれの部屋は全て違うからです。100人のパリジェンヌがいれば、100部屋のアパルトマンがあり、ひとくくりにまとめることはできません。それこそ個性的なパリジェンヌらしさの表れだと思います。ただパリジェンヌの部屋にいくつかの共通点を見つけることはできるかもしれません。そして日本のアパートとの違いも見つけることは可能です。そのようなパリジェンヌの住まいの共通点や日本の住居との違いから、パリジェンヌのアパルトマンをご案内したいと思います。

パリジェンヌの日常

パリジェンヌの日常はそれこそ様々だし、これといった典型例はありません。あくまで一例として、日常生活を書いてみます。朝は遅く起き、クロワッサン(バター抜き)もしくはバゲットを食べる(急がしい時はシリアルとヨーグルト)。アパルトマンの階段を下り、メトロやバスに乗って職場(学校)へ。昼は近くのレストランで食事し、夜は友人と一緒にヴェルニサージュ(ギャラリーのオープニングパーティ)へ。会場のワインを飲みながら、絵を見て評価したり「悪くはない」と文句を言ったり。もしくは職場からそのままアパルトマンに戻り、赤ワインにスーパーの冷凍野菜と肉料理、それに朝の残りのバゲットで簡単な食事を済ます。それからベッドの上でメールをチェックして音楽を聴き、友人や恋人に電話をかけて今日の出来事を話す。寝る前には新刊書を少し読む。休みの日はパリの街をぶらぶら歩く。目的もなく気ままに歩くのが好きだ。書店をのぞいたり、気になったブティックを覗いたり、前から欲しい服の置いてあるお店に行ってまだ売れ残っていることを確認したり。蚤の市に古着や掘り出し物を探しに行くのもいい。晴れた日はそれだけで幸せで、公園のベンチで日光浴。フランス人にとって人生は「楽しむためにあるもの」。個人の幸福が最も優先される社会の首都パリでは、女性はもっとも生き生きと輝くのかもしれません。

パリジェンヌを描いた漫画

パリジェンヌの日常を知るために、漫画を読むのもいいかもしれません。 今までフランス女性の漫画家、しかも日常を描くエッセイ漫画はフランスにはほとんどありませんでしたが、最近では日本と同じく軽いタッチの作風が人気のようです。 フランスの漫画家ペネロープ・バジュー(Penelope Bagieu)の『ジョゼフィーヌ』"Josephine"は、パリの30代独身OLの日常をコミカルに描いたバンドデシネ(フランス語圏のマンガ作品)です。親近感のわくイラストと日本にはない鮮やかな美しい色彩が魅力の漫画で、フランスで30万部売れたベストセラーコミック。物語もフランス女性の正直な心の動きを見事に描いていて、日本の女性も共感できそうです。笑いのツボやよくやる失敗が日本人でも同じところがあって、一気にパリジェンヌを身近に感じてしまうかも。またコミカルな作風ながらも心の奥に潜む悲しみや喜びを非常にリアルに表現しているからこそ、多くのフランス女性の心を掴んだのでしょう。パリならではのアパルトマンの生活風景や友達との会話、男女の偶然の出会いも魅力です。ペネロープ・バジューの作品には他に、記憶を失ったパリジェンヌを描いたミステリー的な作風の長編漫画『エロイーズ』や世界各地の女性15人の活躍と生涯を描いた『キュロテ 世界の偉大な15人の女性たち』などがあります。

パリの文化・社会・歴史:フランスのマンガ
フランスのエッセイ漫画(ペネロープ・バジュー『ジョゼフィーヌ』)
またオード・ピコー(Aude Picault)の『クレール』"Claire"も等身大のパリジェンヌを知ることができるエッセイ漫画。病院の新生児室で働く30代のクレールは、忙しい生活に振り回されながらも、自分を分かってくれる優しい男性との生活を夢見ています。そこにいるのは愛に満ちた人生を過ごす幻想のパリジェンヌではなく、日常の中にある不安と不満を抱えた等身大のパリジェンヌです。黄色を基調にしたお洒落なイラストタッチの絵柄は親しみやすく、見ていて心地よく読みやすい。原題は"ideal STANDARD"(理想のスタンダード)。アパートの家具の配置が悪いことにイライラしたり、パートナー(男性)の理解のなさに愚痴をこぼしたり、「普通の幸せ」が見つからないことへの焦りや苛立ちを描いています。また日本のエッセイとの違いは性生活の様子やそれにまつわるセンシティブな悩みを隠すことなく描いているところでしょうか。そこはやはり愛の国フランスです。

パリジェンヌのそのままの日常を描いた『ジョゼフィーヌ』や『クレール』は、パリジェンヌを知るための格好の参考書でもあります。どちらも日本語訳も出ていますので、ご興味のある方は是非読んでみてはいかがでしょうか。

パリの文化・社会・歴史:フランスのマンガ
フランスのエッセイ漫画(オード・ピコー『クレール』)

ピクニックが好きなパリジェンヌ

パリジェンヌは外で食事するのが好きです。レストランでの外食もそうですが、もっとも自然体でいられるのが公園などでのピクニック。パリの公園はどこもきれいに整備され、中には美しい芝生があるところも多いです。そのため夏になると多くのパリジェンヌやパリジャンが日光を求めて公園に集まり、持ち寄った食材とワインなどでピクニックを行います。芝生や石の上に座って食事をしながらおしゃべりをしているときこそ、もっともパリジェンヌらしい時間なのかもしれません。おすすめの公園は起伏の激しいビュット・ショーモン公園や、オブジェの多い美しく整備されたモンソー公園など。公園以外ではパリ市内の広場が人気です。特にマレ地区にあるヴォージュ広場は噴水と芝生があり、多くのパリジェンヌが日光浴をしに集まってきます。本格的な大自然を好むパリジェンヌは、パリの森(ヴァンセンヌとブーローニュ)まで出かけて森林浴を行うようです。ピクニックを通して自然と接する時間をパリジェンヌはとても大事にしています。

日本アニメが好きなパリジェンヌ

日本とは考え方も文化も遠いイメージのパリジェンヌ。しかし最近では日本文化に興味を持つパリジェンヌも増えています。その興味対象は主にアニメ・漫画・コスプレ。今パリでは日本のオタクカルチャーがひそかにブーム。パリ郊外で毎年7月に開催されているジャパンエキスポ(JAPAN EXPO)は日本アニメ・コスプレ・日本文化の祭典。日本の漫画やアニメ・ゲーム・音楽がメインで、その他に茶道や書道・空手などの日本の文化を紹介しています。そのイベントに参加するパリジェンヌはほとんどがコスプレをしています。日本人にも懐かしいアニメから最近のものまで、見事にキャラクターになりきった質の高いコスプレは一見の価値があります。中には特定のアニメではなく、普段はできない自己表現の一部としてコスプレをしているパリジェンヌもいるようです。

パリジェンヌの結婚観

恋愛大国と言われるフランス。その首都パリに住む女性たちは、結婚している人が多いイメージがあります。しかし実際には結婚する人は少ないようです。その原因は離婚手続きの複雑さにあります。フランスでは離婚する際に必ず弁護士を立てて調停手続きをとる必要があり、フランス映画でもそのような場面がよく出てきます。そのため、最近ではパックス(PACS=Pacte civil de solidarite)と呼ばれる制度(※)が人気です。

パックスとは日本語で「連帯市民協約」と訳され、大人になった男女(または同性同士)の間で安定した共同生活を営むための契約です。一緒に生きていくという意味では結婚制度と似ているのですが、より現代的にアレンジされた仕組みと言えます。パックスは、同棲している男女より多くのメリット(法的権利)を受けられ、また結婚より離婚(解消)手続きも楽なため、多くのカップルの間で最近よく交わされています。

新しい家族組織パックスの増加は、愛とは結婚を通じて行われるような儀式的・形式的なものでもないし、単一的なものでもないという証拠なのかもしれません。そのため、ウェディングドレスでの結婚式に憧れるパリジェンヌも最近では少ないようです。パリジェンヌにとって愛とはもっと率直的で深いもの、そして今この瞬間に心から相手を愛しているかどうかが大事な要素になってきます。そのため、愛が冷めたら当然離婚するという厳しい現実もあるわけです。離婚・再婚の多い複合的な家族が多いフランス社会がそのことを物語っています。 ※もともとパックスは結婚を認められなかった同性愛者カップルの権利保護のために1999年に作られた法律でしたが、現在は異性愛者(男女)での成立件数のほうが多くなっています。(その分解消件数も増えています)

パリジェンヌの子育て

結婚よりパックスや事実婚の間で生まれる子どもたちが多くなったフランス。子育てに関しても日本とは大きく違っています。子どもを持ったパリジェンヌたちは自分の子供に愛情を注ぎますが、そのせいで自分の人生の時間を無駄にすることはしません。子どもの部屋もたいてい夫婦とは別です。パリにベビーシッター制度が浸透しているのも、夫婦の自由な時間を大事にするフランスならでは。子育てがあっても夫婦の時間を失うことなく、2人で映画を見に行ったりレストランで食事をする時間を楽しみます。それは結婚前と同じ愛する2人のライフスタイルと変わりません。パリジェンヌ(パリジャン)の多くは子供は子供、自分たちは自分たちと言う独立を保った関係を大切にし、それは子供の成長にも大きく影響します。子どもたちはたくさんの愛情を注がれますが、親と子の間には絶妙な距離感があるようです。このようにフランス人の個人主義は家族間にも適用されています。だからこそパリジェンヌは、母親になっても女として生きられるのかもしれません。

女としてのパリジェンヌ

パリジェンヌの大きな特徴として、年齢に関係なく「女である」ことが挙げられます。日本の女性は多くの場合、結婚したら主婦になり、子供が産まれたら母になります。それは日本社会では当たり前のことになっています。主婦や母という役割を担うことが昔から続いているためです。

しかしフランスでは常に「女は女」という意識が強く、それが自分の大事なアイデンティティーになっているようです。まさに人生の主役は自分という考え方ですね。特にパリジェンヌは、自分の生き方に忠実で、恋愛を食事と同じように生きるために不可欠なものと考えているようです。夫婦になっても妻や母という役割に徹するのではなく、今までと同じ魅力的な女でいること。そして年齢を重ねてもそれを失わないこと。それはきっとパートナーを喜ばせ豊かに生きるためのフランス人の人生の秘訣なのかもしれません。

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