パリの観光スポット
パリ観光地:アンヴァリッド(オテル・デ・ザンヴァリッド)

アンヴァリッド
L'Hotel des Invalides

ナポレオンが眠るフランス退役軍人のための療養所   
パリ観光地:アンヴァリッド
パリ観光地:アンヴァリッド
パリ観光地:7月14日(パリ祭)のアンヴァリッド
パリ観光地:アンヴァリッド前の芝生で寛ぐ人々

アンヴァリッド

パリ観光地:アンヴァリッド前の芝生で寛ぐパリの人々(後ろに見えるのがアンヴァリッド)
アンヴァリッド前の芝生で自由なひと時を過ごすパリジャン

ルイ14世が建てた軍人のための聖域

フランスの英雄ナポレオンが眠る場所として有名なアンヴァリッド(L'Hotel des Invalides)はパリ7区にあるフランス退役軍人のための療養所。黄金のドームが有名で、歴史的建造物としてパリ観光の人気スポットになっています。アンヴァリッドは「無効」という意味で、L'Hotel des Invalidesは日本語で「廃兵院」と訳されています。4000人の傷痍軍人の療養所として1670年代にルイ14世の指示で計画され、1674年に最初の傷病兵たちが入りました。アンヴァリッドを象徴する黄金のドーム(礼拝堂)が完成したのは1706年で、ルイ9世の遺体を安置するために建設されました。フランスのために戦った軍人たちを讃えたこの建物には今も100人ほどの傷痍軍人が暮らしています。栄誉の中庭(Cour d'Honneur)と呼ばれるアンヴァリッドの中庭の北側には軍事博物館(Musee de l'Armee)があります。かつてここは退役軍人たちのための広い食堂がありました。博物館内にはフランス軍の歴史に関する国内最大のコレクションがあり、フランソワ1世の剣やアンリ2世の兜や戦車などが展示されています。

マニア向けの博物館も
軍事博物館の入場料を払えば、アンヴァリッド内のすべての施設を見学することができます。立体地図博物館(Musee des Plans-Reliefs)はフランス国内の都市や要塞(城)の縮尺模型を集めたマニア向きの博物館で、フランスの建築に興味のある人にはおすすめ。

パリ観光地:7月14日(パリ祭)のアンヴァリッド
7月14日(パリ祭)のアンヴァリッド前広場

アンヴァリッド前の芝生はパリジャンの憩いの場

アンヴァリッドの前庭(Esplanade des Invalides)は広大な芝生となっていて、パリジャンの憩いの場になっています。1704年〜20年の間に整備されたその芝生の道の長さは500メートルもあり、フォブール・サン・ジェルマン地区とエッフェル塔周辺地区の境になっています。これほどの空間の広いパースペクティブはパリの街中ではなかなか見られず、とても開放的で心地よい。7月14日の革命記念日には戦車などの軍用車が登場し、ここで盛大なイベントが開催されます。アンヴァリッドの前にはセーヌ河が流れ、パリで一番豪華な橋であるアレクサンドル3世橋が架かっています。橋と一緒にアンヴァリッドを撮影できる場所として人気です。夕暮れにはルイ14世時代の黄金のドームが黄昏の空に輝きます。

アンヴァリッドの歴史

アンヴァリッドが建てられる前、ここは何もない沼地でした。グルネル地区(Quartier de Grenelle)と呼ばれるこの場所はサン・ジェルマン・デ・プレ修道院の所有地で、耕作しても何も育たない不毛の場所だったそうです。この地にルイ14世が輝かしい黄金のドームを持つ療養所を建てたのには理由がありました。一つはフランスのために戦った傷痍軍人たちの功績を讃えるための美しい療養所を作ること。ルイ14世はパリの街中を歩く傷ついた兵士たちの姿に心を痛めていたと言われています。しかしその一方で、片手を失ったり負傷をした軍人たちがパリの中心部を歩いている風景は、王にとって華麗な都パリの中で目を背けたい事実でした。そのためルイ14世は、パリ中心部から離れたグルネル地区(今のパリ15区)にアンヴァリッドを建設することを決定します。1674年にアンヴァリッドはオープンし、それは施療院と養老院を兼ねるもので、退役軍人たちはそこで死ぬまでの間食事と住居が与えられました。しかし規律か厳しかったようです。その後も工事は続き、長い時間をかけてアンヴァリッドの中に教会(礼拝堂)が完成します。今日私たちが見ることのできる黄金のドームが完成したのはさらに後の1706年のことで、太陽王ルイ14世はすでに68歳になっていました。

フランス革命の発端になった

フランス革命の発端と言えば、「バスティーユ襲撃」が有名ですが、パリの民衆がバスティーユ要塞を襲撃する前に、アンヴァリッドへやってきました。理由はアンヴァリッドの武器庫内にある銃を奪うためでした。アンヴァリッドへ押しかけた民衆は約3万2000丁のライフル銃と大砲を奪い、その後弾薬を求めてバスティーユ要塞に向かいました。アンヴァリッドがフランス革命の発端だったと言えますね。

ナポレオンが眠る黄金のドーム

アンヴァリッドで有名なものと言えば、皇帝ナポレオンの墓(Tombeau de Napoleon 1er)です。中庭の南側には2つの教会があります。1つはかつての兵士たちが日常的に使っていたサン・ルイ教会です。2つ目はルイ14世時代の宗教建築の最高峰とされるドーム教会で、その黄金のドームはアンヴァリッドのシンボルになっています。1840年にナポレオンの遺体がこのドーム教会に納められました。フランス革命の頃からアンヴァリッドは「勝利の寺院」としてフランス軍人にとって重要な場所になっていました。ナポレオンもたびたびアンヴァリッドを訪れては負傷兵たちに尊敬の念を抱き続けていました。アンヴァリッドに多額の予算を与えたのもナポレオンでした。1840年、セント・ヘレナ島から移送されてきたナポレオンの遺骸はアンヴァリッドのドーム教会に置かれ、壮大なお墓が作られました。その棺はロシアのマトリョーシカのような6重の構造になっているそうです。中庭には元々ヴァンドーム広場の円柱の上にあったナポレオンの銅像が立っています。

他には誰が眠っている?
アンヴァリッドにはナポレオン・ボナパルトの他にも、ナポレオン2世(ナポレオンの息子)、ジョゼフ・ボナパルト(ナポレオンの兄)、ジェローム・ボナパルト(ナポレオンの弟)、クロード・ジョゼフ・ルージェ・ド・リール(フランス国歌「ラ・マルセイエーズ(La Marseillaise)」の作者)、フェルディナン・フォッシュ(第1次世界世界大戦の将軍)、フィリップ・ルクレール(第2次世界大戦の将軍)などの偉人が眠っています。

パリ観光基本情報
アンヴァリッド / L'Hotel des Invalides
パリの観光地
オープン(完成):1674年
住所:129 Rue de Grenelle, 75007 Paris
最寄メトロ:アンヴァリッド(Invalides)、ヴァレンヌ(Varenne)、ラ・ツール・モブール(La Tour-Maubourg)
最寄RER:アンヴァリッド(Invalides)
エリア:パリ15区
カテゴリ:パリの観光スポット
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アンヴァリッドへのアクセス(地図)
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