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パリ文学スポット:オスカー・ワイルドが生涯を閉じたホテル

オスカー・ワイルドが生涯を閉じたホテル

世紀末、オスカー・ワイルドが永眠した小さなホテル   

オスカー・ワイルドが生涯を閉じたホテル

世紀末、オスカー・ワイルドが永眠した小さなホテル

パリの有名な国立美術学校「エコール・デ・ボザール」の目の前にある細いボザール通りの途中に、小さな高級ホテル「L'Hotel(ロテル)」があります。ホテルという名前の奇妙なホテル。ここは1900年11月30日にアイルランドの作家オスカー・ワイルドが生涯を閉じたホテルです。現在は高級ブティックホテルになっており、地下はレストランになっています。正面玄関の上には牛の頭部の飾りが置かれ、その右の壁には彼がここが亡くなったことを示すプレートがかけられています。

ワイルドがいた当時はオテル・ダルザス(アルザス館)という27室しかない安ホテルでした。1856年にダブリンで生まれたワイルドは、数々の詩集や劇作を発表し有名になりましたが、同性愛が原因で刑務所に入れられてしまいます。1897年に釈放されたワイルドはフランスに渡り放浪しながら作家生活を続けるも、貧困のうちにパリのこのホテルで下宿生活をします。最初は近くのカフェへ通っていましたが、持病の頭痛が悪化し筆を執ることもできなくなります。そしてこのホテルの食堂で、家主デュポワリエの腕に抱かれながら生涯を閉じることになります。19世紀の最後の年のことでした。刑務所内での過酷な刑罰が死を早めた原因だと言われています。

ワイルドへの督促状が未だ残る16号室

現在は高級ホテルになっているロテルは、パリ6区のセーヌ川近くのボ・ザール通り13番地にあります。部屋数は全20室と少ないです。古かったホテルは1968年に新しく改装され、ワイルドのいた部屋以外は豪華な内装に変わりました。外から見るだけで歴史の重みに沈み込むかのような重厚感があり、ロビーにはオスカー・ワイルドが友人に宛てた書簡や、19世紀の劇作家の写真などが飾られています。地下には左岸のホテルでは珍しいプールもあります。ワイルドが暮らした部屋は16号室で、内装は当時のまま。彼が使った家具類や自筆原稿が残されています。彼宛の未払の請求を求める手紙が部屋のライティングデスクの上にいまだに展示されています。ルームキーにはワイルドの顔が刻まれている凝り様です。今でもジョニー・デップやキアヌ・リーブスなどワイルドを愛する世界中の有名人たちが彼の滞在していた部屋に高い料金を払って宿泊していますが、ワイルドが住んでいた当時はホテル・ダルザスという名前で、とてもみすぼらしい安ホテルだったのです。ワイルドは晩年に女友達にこう宣言していました。 「わたしは壁紙と死を賭けた決闘を挑んでいる。どちらか負けたほうが死ぬだろう」

幻想の短編作家ボルヘスが住んだ

アルゼンチンの詩人であり短編作家であったボルヘスがしばらくの間滞在したのもこのロテルでした。ワイルドとボルヘス、文学に縁の深いパリのホテルです。

ホテルの主人がワイルドに捧げた花

オスカー・ワイルドは死後、パリ20区にあるペール・ラシェーズ墓地に埋葬されました。ジャコブ・エプスタイン作の異様なスフィンクスの像が立つ墓石です(写真)。像はファンからの無数のメッセージで埋め尽くされ、男根が持ち去られています。その墓碑には"He died fortified by the sacraments of the church"(彼は教会の秘蹟によって心を強められて死んだ)と書かれています。パリで衰弱したオスカー・ワイルドは、死ぬ前にカトリックの洗礼を受けていました。墓石には彼が獄中で書かれた詩が書かれています。埋葬の際に、ワイルドの棺を飾った花環は、彼の臨終を見届けたオテル・ダルザスの主人デュポワリエのものだけでした。その花環のリボンには"a mon locataire"(わが寄宿人に捧ぐ)と書かれていました。
パリ観光基本情報
ロテル
パリの観光地
住所:13 Rue des Beaux Arts, 75006 Paris
最寄メトロ:サン・ジェルマン・デ・プレ(Saint-Germain-des-Pres)
エリア:サン・ジェルマン・デ・プレ
カテゴリ:パリの観光スポット

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