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パリ文学スポット:ヘミングウェイの第2のアパルトマン

ヘミングウェイの第2のアパルトマン

作家として大成するために再びパリへ
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ヘミングウェイの第2のアパルトマン

作家として大成するために再びパリへ

パリで作家修行をしたヘミングウェイの最初のアパートはカルチェラタンにあり、彼は通信員の仕事をしながら執筆に励んでいました。1924年2月、再び彼がパリに戻ってきたときに住んだのはカルチェラタンではなくモンパルナスの東でした。このときすでに通信員の仕事はやめ、作家として大成するためにパリへ戻ってきました。1度目と同じく愛妻のハドリーを伴っての渡仏でしたが、その脇には帰国時にアメリカで生まれた息子のバンビが一緒でした。ヘミングウェイの第2のアパートはノートルダム・デ・シャン通り113番地(113 rue Notre-Dame des Champs)のアパートで、下には木材の製材所がありました。モンパルナス大通りの裏手にあり、大通りの喧騒が嘘のように田舎的な雰囲気がある界隈でした。モンパルナスといっても東のほうで、リュクサンブール公園まで徒歩10分、作家の集まるクロズリー・デ・リラまで歩いてすぐでした。かつて住んでいたカルチェラタンに比較的近かったことも、この場所に決めた理由だったかもしれません。

ヘミングウェイが使った「抜け道」のパン屋さん

ヘミングウェイの住んでいたアパートはモンパルナス大通りから一本北に入った細い路地でした。そこから大通りに出るのには大きく迂回しなければならないため、ヘミングウェイは当時抜け道を使っていました。それが抜け道のパン屋です。モンパルナス大通りの151番地(151bis Blvd du Montparnasse)にあるのですが、その裏口はヘミングウェイの住む路地につながっています。そのため、ヘミングウェイはパン屋の裏口を通って表通りに出ていたのです。そのパン屋は現在も同じ場所にあり、裏口も健在です。裏口を見せてもらう時はお礼の印として何かパンを買うのがいいかもしれません。モンパルナス大通りからパン屋を抜けてノートルダム・デ・シャン通りに出れば、1920年代のパリにタイムスリップしたような気になるかもしれません。若きヘミングウェイの姿を思い浮かべることのできる数少ない場所の一つです。

現在アパートがあった場所はアルザス学校の一部に

ヘミングウェイはノートルダム・デ・シャン通り113番地のアパートに1924年から26年までの約2年間住みました(現在の表記では115番地付近)。彼はここで精力的に短編を書き、のちにそれらの作品は初の短編集『われらの時代』にまとめられます。しかしアパートの一階は木材屋で騒音に悩まされたと言います。セレクトやドーム、クロズリー・デ・リラなどのモンパルナス周辺のカフェが彼の創作の場でした。現在アパートはアルザス学校の一部になっています。その中庭には117番地の門の隣のゲートから入ることができます。その中庭にある石畳はヘミングウェイが住んでいた当時と変わっていません。中庭に入れば、若き日のヘミングウェイやスコット・フェッツジェラルド、エズラ・パウンドたちが踏みしめた石畳を歩くことができます。

ロスト・ジェネレーションの傑作『日はまた昇る』を執筆

第2のパリ生活の中で、ヘミングウェイはスペインに旅行に行きます。1925年のことでした。このときのサン・フェルミンの祭り(牛追い祭り)での体験が、のちの長編デビュー作『日はまた昇る』の下地となりました。女性を巡っての友人との争いや、闘牛士の情熱などが彼の創作意欲を刺激し、1926年にロスト・ジェネレーションの傑作が生まれました。
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