フランス映画レビュー

『It’s Not Me イッツ・ノット・ミー』
C'est pas Moi

パリの美術館ポンピドゥー・センターでの展覧会用に制作されたレオス・カラックス監督による映像作品。2024年の第77回カンヌ国際映画祭カンヌ・プレミア部門で上映された映画で、2021年に公開された『アネット』以来の新作となる。カンヌ映画祭ディレクターのティエリー・フレモーはこの映画を「美学的なエッセイ」と称賛し、「まばゆく素晴らしい作品」と評価している。過去の作品を取り入れたコラージュ的な映像や、彼自身が出演していることもあり、カラックス監督の自伝的な要素の強い映画となっている。また監督の独特な映像美と彼自身の内面を深く掘り下げた作品として評論家からも評価が高い。 『It’s Not Me イッツ・ノット・ミー』(写真提供:Unifrance)
"C'est pas Moi" photo by Unifrance

映画制作のきっかけ

当初ポンピドゥー・センターはカラックス監督に白紙委任する形で監督のための展覧会を構想していた。このプランは予算が膨らみすぎて実現不能になってしまったが、その中に展覧会で上映する予定だった映像の制作依頼があったという。それは10分程度の自画像的な短編映像で、カラックス監督の今いる位置についてを自身の映像で回答してほしいという内容だった。監督は当初この依頼を保留にしていたが、試行錯誤の結果この41分のセルフポートレート映像ができたという。だからこの作品はカラックス自身の思考についての私的な映画であり、彼がいま考える映像芸術についての暫定的な回答といえる。自分に影響を与えた芸術家へのオマージュと自分自身に対する混乱、そして今の世界に対する怒りのメッセージが込められた独創的なホームムービーとなっている。 『It’s Not Me イッツ・ノット・ミー』(写真提供:Unifrance)
"C'est pas Moi" photo by Unifrance

詩的で美しいエッセイ

監督によれば、この映画は自身が見たある夢から構想されたという。それは鏡の前に立って目を瞑る自分自身の姿だった。閉じられた瞳の中に見えるイマージュ。それがこのシネエッセイの始まりとなっている。映画に明確なストーリーはない。冒頭に「現在制作中」という言葉が現れ、最初から観客を惑わす。鋭い色彩と監督の声、スクリーンいっぱいに現れる言葉たち、過去作の映像、古典作品や歴史的人物の引用、個人的な家族ムービー。それらが監督自身の編集によって詩的にコラージュされて提示され、観客がその意味を考える間もなく次の映像へと移っていく。セルフポートレートとしての映画であるため、彼自身の過去や父親についても言及されるが、その自画像は次々に写しだされる写真で否定され、どれが彼の素顔なのか分からない。この映画のタイトルにもある「それは私ではない」というパラドックス的な言葉は、まさに監督の自分に対するカオス(混沌)な状態を表している。映画には監督が寝室(おそらく自宅)のベッドでタバコを吸いながら思考を書き留めるシーンも挿入され、彼の創作スタイルの一部を垣間見ることができる。また『汚れた血』のアレックス(ドニ・ラヴァン)の疾走や『ポン・ヌフの恋人』での花火シーン、『ポーラX』のギョーム・ドパルデューとカテリーナ・ゴルベワなど、過去の監督作品の映像がふんだんに使われ、今までのカラックス映画の懐古的な内容になっている。 『It’s Not Me イッツ・ノット・ミー』(写真提供:Unifrance)
"C'est pas Moi" photo by Unifrance

普遍的で個人的なメッセージ

そして映画は個人のポートレートから徐々に政治的・歴史的な意味合いを帯びてくる。画面に登場するのは歴史上の人物だ。映画監督や女優、作家、活動家、政治家(独裁者)の顔などが映し出され、様々な分野で影響力を与えた人物に対するカラックス監督の意見が投影されていく。そこにはドストエフスキー、ロマン・ポランスキー、ゴダール、マリリン・モンロー、ニーナ・シモン、レオ・フェレ、毛沢東、プーチンなどの有名な人物がいる。フランスの哲学者アンリ・ベルクソンが提唱した"Elan Vital"(生命の躍動)という言葉がスクリーンに現れ、創造の原動力について考察するイメージ映像が流れていく。世界で起きている様々な問題(環境破壊、難民、戦争、差別)に関する映像が挟まれ、彼の関心は日々深刻化する社会全体に向けられていく。そこには2000年代にフェミニズム運動を起こしたウクライナの活動家オクサナ・シャチコの映像も含まれている。変化し続ける社会では加害者と被害者が生まれ、過酷な環境下で苦しむ人々は置き去りにされる。それらの現状を映すニュースは、日々移り変わる新たな映像によって忘れ去られていく。世界に無関心になっているそんな今の状況に対して、彼は「自分の目よ、呪われよ」という言葉を投げかけている。走行中のパリのメトロから乗客が落ちたことに誰も気がつかないショッキングな映像はあまりにリアルで恐ろしい。

その一方で地元パリで新たに撮られた日常的なフィルムもあり、カラックスとメルド氏(ドニ・ラヴァン演じる架空の人物)が理解不可能な対話をしなからビュット・ショーモン公園を歩く珍しいツーショットもある。また作品内にはカラックス自身の娘ナースチャ・ゴルベワ・カラックスや飼い犬も登場し、親密な存在に対する意外な演出を見ることができる(ナースチャがミシェル・ルグランの「コンチェルト」をピアノで弾くシーンに雷のイメージが重なる映像はこの映画の中でも特に印象的なシーン)。最後は80年代のカラックス監督作品の撮影を担当してきたジャン=イヴ・エスコフィエへの感謝を捧げ、カラックスが子供の頃から敬愛するデヴィッド・ボウイの80年代の名曲「モダンラブ」で幕を閉じた。 『It’s Not Me イッツ・ノット・ミー』(写真提供:Unifrance)
"C'est pas Moi" photo by Unifrance

ゴダールへのオマージュ

これらの映像は何を意味しているのだろうか?次々と現れるコラージュ的な映像はヌーヴェル・ヴァーグによってフランス映画に革命を起こしたあの監督のように難解な暗示に満ちている。この映画の編集中にジャン=リュック・ゴダールが自死を決意し、カラックス監督の中で大きな存在だったフランスの巨匠はこの世を去った。つまりこの映画はゴダールをかなり意識して作られたオマージュ的な作品であることが分かる。映画、音楽、写真、ホームビデオなど、さまざまなジャンルやフォーマットの映像を組み合わせ、個人的なありながら普遍的な映像を作り上げている。この手法はゴダールの後期作品に見られるエッセイ的なアプローチを彷彿とさせる一方で、ゴダールのような分析的なスタイルというよりは、より夢想的な領域に広がりを持っているようにも感じられる。またミュージカルを愛するカラックス監督ならではの音楽やユーモアに対する情熱が込められた作品にもなっている。 『It’s Not Me イッツ・ノット・ミー』(写真提供:Unifrance)
"C'est pas Moi" photo by Unifrance

新たな映画の形へ

過去より今いる存在の成長を見るのが好きだという監督はこの世界の「今」を見ている。カラックスは芸術の幼年時代へどうやったら戻れるのかを問いながらもノスタルジーに浸ることなく、新たな映画制作の形を模索しているように見えた。映画は夜に頭に浮かんだことを朝目覚めてから編集していったという。自分が全てを編集したのはこの作品が初めてで、足りない映像はYouTubeから取って差し込み、後からiPhoneで撮り直していったとも話している。まさに監督の頭に浮かんだ思考をそのまま映像として追加していったような現在進行形の映画といえるだろう。オープニングに出てきた言葉のように、この映画は今も「現在制作中」なのだ。

日常生活がデジタル動画であふれ、まばたきさえできない現代社会の中で、監督はまばたきの必要性を問うている。だからこの映画は監督が瞳を閉じたときの様々な美のイメージが組み合わさって作られた夢の断片ともいえる。この世界の美がまばたきを求めているとしたら、カラックス監督の映画こそその美しさに値するのかもしれない。
フランス映画
『It’s Not Me イッツ・ノット・ミー』 / C'est pas Moi
監督:レオス・カラックス(Leos Carax)
出演:ドニ・ラヴァン(Denis Lavant)、ナースチャ・ゴルベワ・カラックス(Nastya Golubeva Carax)
制作会社:CG Cinéma,Théo Films, Arte France Cinéma
制作年:2024年
日本公開:2025年3月22日
時間:41分

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