パリの文化・歴史
パリの文化・社会・歴史:パリの石畳

パリの石畳

パリといえば石畳
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パリの文化・社会・歴史:パリの石畳

パリの石畳

パリといえば石畳

パリの道といってイメージするのは古い石畳の通りです。しかし最近では効率重視のアスファルトがほとんどとなりました。それでも未だに多くの石畳の道が残り、また新たに石畳にする道も増えているようです。パリのイメージを形作ってきた石畳の歴史をご紹介します。

かつては泥と土にまみれていたパリの道

パリはかつて悪臭に満ちた泥土の街でした。馬車が通れば土埃が舞い上がり、辺りに臭いにおいをまき散らしていました。この匂いをなんとかしようとしたのが、パリ城壁の造営で知られるフランス国王フィリップ2世(1165-1223)。彼は悪臭を放つパリの道路の全面舗装を指示しましたが、砂岩による薄い板の舗石だったため壊れやすく、工事はほとんど進まなかったと言われています。舗装化がパリ市民による負担だったこともパリ全体に工事が浸透しなかった原因でした。

石畳の登場

パリのイメージである石畳(pave)の道ができたのは15世紀頃でした。砂岩と違って頑丈な舗石のおかげでパリの舗装はだいぶ進みましたが、ルイ13世の時代になってもパリ全体の半分しか舗装されていなかったと言われています。一つ一つ舗石を通りにはめ込んでいく作業は大変な時間と労力がかかりました。

アスファルト化の危機

しかし1837年にアスファルトが登場すると、石畳に代わる便利な舗装材として広まります。アスファルトによる舗装は、石畳に比べて労力も少なく効率的でした。また舗石の原料となる天然の石の確保が19世紀初めには困難になっていたこともアスファルト化促進の原因でした。1880年代には石不足を補うための木材舗石が開発され、リヴォリ通りやオペラ大通りなどが木材舗石で舗装されましたが、やはりアスファルトの波には勝てず、第一次大戦後からはパリの多くの道がアスファルトとなりました。

現在のパリの石畳

アスファルトが主流となったパリの道ですが、80年代にパリの石畳の再評価が高まり、部分的にパリの道が再び石畳として生まれ変わりました。昔から残る中世の石畳も含め、パリは今でもやはり石畳の街として散策者の足元を支えています。

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