パリの文化・歴史
パリの歴史:パリの光

パリの光の歴史

闇に包まれていた中世の街から光の都市へ   
パリの文化・社会・歴史:パリの光
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パリの光の歴史

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300年以上前、光の都は闇に包まれていた

パリのことを「光の都」(Ville Lumiere)と呼びます。しかし17世紀後半まで、パリの夜はまったくの闇に包まれていました。皆夜になると家に閉じこもり、表を歩くのは夜警と犯罪者くらいだったといいます。闇の中にある光といえば、夜警が巡回に使う松明くらい。 街灯や広告などはもちろんなく、家の中にある明かりでさえ木片を燃やした炎や樹脂ロウソクの灯りのみ。何も持たずに夜の町を出歩くことはもってのほか。外出時には提灯を持っていくか、松明をもった人夫を雇わねばなりませんでした。

光の都パリの誕生

パリの夜に光が現れたのは17世紀後半。1667年、太陽王ルイ14世によって街路照明が本格的に行われました。照明の設置はパリの初代警視総監ガブリエル・ニコラ・ド・ラ・レイニの指揮のもとに始まりました。夜が闇に包まれていると犯罪が起きやすいため街を明るく見やすくしようというものでしたが、これには市民の暴動を監視する目的もあったはずです。当時、光とは「権力の象徴」でした。光に使って闇を消し去ることで、王の力を誇示しようとしたのです。パリ最初の外灯はパリにある912の通りに計2736本灯されましたが、それはロウソクが1本入っただけのランタン(ランテルヌ灯)でした。しかし当時の闇に包まれたパリにとって、ロウソクだけでも明るく、ヨーロッパ各国からの外国人旅行者にも人気でありました。「光の都パリ」の誕生です。

闇に葬られる死体。道先案内人の活躍

パリ最初の光は、地上約4メートルのところに約30メートルおきにロープによってつるされました。しかしロウソクの光は風に弱く、消えやすいの難点でした。また備付けが悪く、蝋が流れ出すことも問題となっていました。しかも18世紀末までの100年以上の間、一年間毎日外灯が点くことはなく、多くても年に9か月だったと言われています。特に月夜の晩には月明かりがあるから不要とされ、不便であったそうです。そこで活躍するのはランタンを持った道先案内人でした。彼に銅貨を払えば、すぐに目的地まで明かりを照らして誘導してくれました。辻馬車も呼んでくれたといいます。暗闇では金を払ってでも、道先案内人を雇ったほうが得策だったのです。というのも18世紀当時のパリの治安は悪く、1730年代にもセーヌ川から毎年100体以上もの身元不明の死体が上がっていたといわれています。暗く、風で消えやすいという欠点があったにも関わらず、ロウソクの光はそれから100年間、18世紀の末までパリの夜を照らし続けました。

オイルランプの登場

ランテルヌ(ロウソク)に代わる光が現れたのは約100年後のことでした。1763年に、新しい外灯のアイディアコンクールが開かれ、レヴェルベール灯が採用されることになりました。これは動物の油を使ったオイルランプで、半球状の反射鏡によって光を下に反射させるものでした。このオイルランプはパリの街中に1,200箇所設置されたと言われています。今までのロウソクより格段に明るくなり、点灯作業もずいぶん楽になりましたが、ずっと見ていると目を傷めたそうです。しかしパリの光がオイルランプに変わってからは、治安もだいぶ改善されました。そのため夜中の1時2時になってもパリの街を出歩く人が増えたといいます。夜は夜警と犯罪者だけでなく、街を楽しむ人のためのものになっていったのです。

権力の象徴とされたオイルランプ

しかし外灯が多くなり明るさが増しても、いったん小さな路地に入れば光の届かない闇の世界がたくさんありました。そのような暗い街路では、まだまだ犯罪も多く、やはり道先案内人が必要でした。レヴェルベール灯はときにパリを監視する国家権力の象徴とみなされ、いったん暴動が起こると真っ先に破壊されました。ヴィクトル・ユゴーの小説「レ・ミゼラブル」にもその光を巧みに扱った描写が出てきます。

ガス灯の登場

レヴェルベール灯は大革命やナポレオン帝政を経て、1830年ころまでパリの町を照らし続けました。そして1830年代にパリの光に革命が起きます。ガス灯の登場です。その明るさは前のレヴェルベール灯に比べて格段に勝っていました。長い棒を持ったガスの点灯夫が夕暮れ時にガス灯にやってきて明かりを一つずつ灯していったと言われています。19世紀中頃の第二帝政期には、劇場街グランブールヴァールで、ガス灯はおおいに活躍しました。すでにパリの繁華街はパレ・ロワイヤルからグランブールヴァールへ移っていて、この頃からボードレールような夜の孤独な散策者が現れ、多くの詩人や散策好きがそぞろ歩きが楽しめるようになりました。

現代パリのイメージを作ったガス灯

そしてパリの景観においても、ここで大きな変化が起こりました。ガス灯になって初めて、灯柱が登場しました。つまり今のパリのイメージそのものになっている、あの灯柱は、ガス灯によって初めてパリの街路に姿を現したわけです。それまでのレヴェルベール灯はエネルギー源が油だったので、点灯夫が給油しにやってくる必要がありましたが、ガス灯になってからは、ガス工場からガスを直接パイプで運ぶ構造になったため、地面から生える灯柱が必要になったためです。そしてこの灯柱のデザインは当時から今に至るまでほとんど変わっていません。日本でいえば江戸時代からデザインが変わっていないことになります。これは灯柱の製造業者は150年間変わらず、当時と同じ会社が今も製作しているからです。この会社はガス灯の普及ととも発展してきた、まさにパリ街灯の歴史そのものです。

現代の電灯へ

そして19世紀末ついに電灯が登場し、20世紀にはガス灯と電灯が併用されるようになりました。そして1962年に最後のガス灯が電気に変わり、ガス灯の歴史は幕を閉じることになります。郷愁の光であったガス灯でさえ、パリの街から消えてしまいました。しかしガスを送り込んでいた灯柱はそのまま電灯にも利用されたため、幸運にもパリの景色は変化せずにすみました。パリが今でもその昔の美しさを保っているのはそのためです。光の都パリは闇から生まれ、今でもかつての光を私たちに与えてくれます。

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