パリの文化・歴史
パリの文化・社会・歴史:パリの広告

パリの広告

パリの広告は大胆で奇抜   
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パリの広告

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パリの広告は大胆で奇抜

都会を歩いていて避けられないものの一つが広告です。渋谷や新宿にあるようなあまりにしつこい広告は好きではないですが、パリの広告はついつい見てしまうような独特のセンスを持つものが多いです。感情に訴えるクリエイティブなものから、思わず見とれてしまう芸術的なものまで、フランス人のセンスが気軽に分かるのもパリ広告の魅力。しかもメトロなどの広告はとても巨大で、インパクトも抜群。縦3メートル・横4メートルもあり、複数の紙を糊で張り合わせて作られています。ポスターの色使いや構成はデザイン関係の仕事をしている人にとっては勉強になるかもしれません。他にもバス停の広告やキオスクの広告など、パリの様々な場所で広告を見かけます。たまにポスターの張り替え作業の現場に出会いますが、古い広告の上に新しい広告を巨大な水のりで貼っていくすばやさも、注目すべきフランス人センスの一つかもしれません。
パリの文化・社会・歴史:モーリス広告塔(パリの広告)
モリス広告塔(パリの広告)

100年前からあるパリの広告装置

パリでよく見かけるこの緑色の塔。玉ねぎのような屋根がついた円柱の塔がパリの街並みに溶け込んでいます。これはモリス広告塔(Colonne Morris)という広告宣伝のための塔です。歴史は古く、150年以上前からパリの街にあります。それ以前、パリの広告は公衆トイレの壁に貼られていました。パリで最初の公衆トイレが現れたのは1841年。形はモリス広告塔と同じ円柱で、壁には演劇などの広告(ビラ紙)が貼られていました。ガス灯と給水栓に続いて、パリにできた新たな公共建築物でした。しかしトイレに広告があるのを嫌う人が多く、特に女性の慎みを擁護するために反対の意見が出てきました。そのため、トイレとは完全に独立した広告のためだけの円柱の設置が提案されました。
そこで登場したのがモリス広告塔でした。当時パリの全ての劇場のポスター印刷権を持っていたモリス社が広告塔の設計見本を提出し、その案が認められました。設計はサン・ミシェル広場の泉やシャトレ広場を手掛けた建築家ガブリエル・ダヴィウー。モリスの広告塔が初めてパリの街に現れたのは1868年。当時は多くの人が今日の劇場演目を知るため、塔の周りに集まったといわれています。当時はパリのあらゆるところに勝手に広告やビラが貼られていたため、ポスターをが一箇所にまとめられた広告塔はとても便利でした。そしてその施策はパリの美観対策としても一役を買うことになったのです。
現在はインターネットで情報収集する時代ですが、今でも街行く人に映画や舞台の夢を与えるこの塔(当時のレプリカ)は健在です。2006年以降、パリ市の広告禁止令によってモリス広告塔の数はかなり減り、新たなデザインの広告塔の開発が検討されています。最近では再びトイレと合体したり、公衆電話と融合した広告塔も現れています。時代によってデザインは変化しても、150年も変わらずにパリの点景であり続けたモリス広告塔はこれからもパリの街角の「名脇役」であってほしいと願っています。

絵画や写真に残されたモリス広告塔
モリス広告塔はパリに住んだ画家であった佐伯祐三がモチーフとしてよく描きました。またパリ市の公式カメラマンであったシャルル・マルヴィルが撮影しています。

ポスター先進国フランス

パリにおけるポスターの歴史は古く、多くの有名なポスター作家が生まれました。ポスターの父と言われるジュール・シェレ(1836-1932)はイラストレーターで、アール・ヌーヴォーの先駆者でもありました。他にモンマルトルの風俗を描いた画家トゥールーズ・ロートレック(1864-1901)、アドルフ・ムーロン・カッサンドル(1901-1968)、レイモン・サヴィニャック(1907-2002)など、多くのポスター画家がいました。彼らが描いた広告イラストは今でも人気です。メトロの巨大なポスターはその伝統を受け継いでいて、見るたびにひきつけられる作品が多いですね。

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