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パリ文学スポット:ヘミングウェイの最初のアパルトマン

ヘミングウェイの最初のアパルトマン

パリ修行時代のヘミングウェイが最初に住んだアパルトマン   
パリ文学スポット:ヘミングウェイの最初のアパルトマン

ヘミングウェイの最初のアパルトマン

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パリ修行時代のヘミングウェイが最初に住んだアパルトマン

パリの学生街カルチェ・ラタンは作家修業時代のヘミングウェイのゆかりの地です。カルディナル・ルモワーヌ通り(rue Cardinal Lemoine)の74番地にヘミングウェイが最初に住んだアパルトマン(アパートメント)があります。1921年の暮れ、新婚間もないヘミングウェイ夫妻は、アメリカからパリに新しい生活を求めてやってきました。新聞社の無名の契約通信員だったヘミングウェイは、作家になる夢を抱いてパリにやってきたのでした。夫妻はしばらくジャコブ通りにあるホテル・ジャコブ(現ホテル・アングレテール)に滞在していましたが、その後カルチェラタンのこのアパルトマンの4階に部屋を見つけます。年明けの1月から住み始めましたが、暖房もトイレもない文字通りの貧乏生活でした。1階には騒々しいダンスホール「バル・ミュゼット」があり、娼婦たちが群がっていたようです(ここは現在ディスコになっています)。すぐ近くのコントルスカルプ広場は、今では小さく温かみのある広場ですが、当時は猥雑で浮浪者や酔っ払いのたまり場になっていたようです。当時のカルディナル・ルモワーヌ街の様子は短編小説『キリマンジャロの雪』やパリ青春時代を回想した晩年のエッセイ『移動祝祭日』に描かれています。

「キリマンジャロの雪」高見浩訳

「・・・そして、あの貧困の中で、馬肉屋とワイン共同組合から通りを隔てたあの街区で、彼はその作家生活の端緒となる作品を書きはじめたのだった。彼がこれほど愛しているパリの街区は、ほかにない。あの、てんでに枝をのばした木々、下のほうが茶色に塗られている白い漆喰の壁の古い家々、あの円形の広場に停まる緑色の長い車体のバス、歩道にこぼれた紫色の花の塗料、セーヌに向かって急角度で丘を下ってゆくカルディナル・ルモワーヌ通り、そして、それとは反対側に伸びているムフタール通りの狭い、込み入った町並み。」
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