パリ散策モデルコース
おすすめパリ散歩:ヘミングウェイが歩いたカルチェラタン
最終更新日:
このモデルコースの概要
カルチェラタンで作家ヘミングウェイゆかりの地を訪れるパリ散策コース。古代ローマ時代の遺跡リュテス円形劇場やパリ植物園も訪れます。
主な散策ルート
- メトロ駅:モベール・ミュチュアリテ
- サン=テティエンヌ・デュ・モン教会
- ヘミングウェイのアパルトマン
- コントルスカルプ広場
- ムフタール通り
- ヘミングウェイのアパルトマン
- アレーヌ・ド・リュテス
- グラン・モスケ・ド・パリ
- パリ植物園
- メトロ駅:ケ・ドゥ・ラ・ラペ
作家ヘミングウェイの足跡を辿る文学散歩
今回のパリ散歩はセーヌ左岸のカルチェラタン。学生街として世界的に有名なエリアで、多くの作家たちの痕跡が残っています。アメリカから作家を目指してやってきたヘミングウェイが最初に住んだのもカルチェラタンで、彼はここで文学の青春時代を過ごしました。ヘミングウェイゆかりのスポットを巡りながら、少しマニアックなパリの魅力をご案内。またローマ時代の遺跡や居心地の良い広大な植物園、モスクのカフェも訪れます。パリで唯一ジュベが残る教会へ
散策のスタートはメトロ10番線のモベール・ミュチュアリテ駅から。駅を出たすぐのところにあるカルム通りの坂道をまっすぐ歩きます。突き当りに見えるのは壮大なパンテオン。ルイ15世の病気回復を祝って再建されたギリシャ風神殿で、今はフランス国家に貢献した偉人たちが眠る墓所となっています。パンテオンに面したクロヴィス通りを左折すると、すぐにファサードが個性的な教会が見えます。パンテオンの隣に立つこの教会はサン=テティエンヌ・デュ・モン教会。パリの守護聖人サント・ジュヌヴィエーヴを祭る教会で、もともとはパンテオンの前身であるサント・ジュヌヴィエーヴ大修道院の付属教会でした。パリの観光地としてはあまり知られていませんが、他の教会には見られないジュベ(jube)があることで有名。ジュベとはミサの際に司祭と信者を隔てる仕切り壁のこと。これがあると司祭の姿が見えなくなることから、ルネサンス時代にはパリ中の教会にあったジュベが全て取り壊されてしまいました。建築好きな方なら是非立ち寄りたい場所の一つです。中世の世界に迷い込んだような小径
教会を出て少し右に歩くと、不意に中世のパリに迷い込んだような小さな石畳の道に出会います。周囲にある車道よりも明らかに道幅が狭く、人の往来もあまりない。ここはサン・テティエンヌ・デュ・モン通り。サン・テティエンヌ・デュ・モン教会の裏通りで、ひっそりとした穴場の小径です。通りからは教会の時計塔を見ることができます。ヘミングウェイが作品を書いたアパルトマン
サン=テティエンヌ・デュ・モン通りを抜けるとデカルト通り(Rue Descartes)にぶつかります。フランスの哲学者ルネ・デカルトの名前がついた通りです。その39番地にあるのが、ヘミングウェイが作品を書いたアパルトマン(仕事部屋)。一階がレストランになっている小さな建物です。まだ無名だった頃、彼はここの屋根裏部屋を借りて小説を執筆しました。住居とは別の仕事のための部屋でした。またフランスを代表する象徴派の詩人ポール・ヴェルレーヌが没したのもこの建物でした。隣のアパルトマンでは、日本人の作家である辻邦夫が1988年から1999年に住んでいました。活気あふれる下町を感じられるコントルスカルプ広場
デカルト通りの坂道を歩いて行くと、賑やかな広場にでます。ここはサント=ジュヌビエーヴの丘の上にあるコントルスカルプ広場(Place de la Contrescarpe)で、庶民的で気さくな雰囲気が残っています。人が集まる噴水とカフェがあり、まさにパリの下町広場のイメージそのもの。しかし、ここはかつて浮浪者が集まり酒盛りをしていて、誰もが敬遠する不衛生な場所だったそうです。パリで文学修行をしていたヘミングウェイのいた1920年代、この広場には飲んだくれが集まって悪臭を放つカフェ・デ・ザマトゥール(Cafe des Amateurs)という店がありました。パリでの青春時代を記した著書『移動祝祭日』の中でヘミングウェイは、この店のことを「ムフタールの掃き溜め」と表現していますが、彼の最初の住処はこの広場のすぐそばにありました(この後の散策で訪れます)。
映画にも描かれた庶民の商店街ムフタール通り
広場の先は下りの坂道となっていて、その先はムフタール通り(Rue Mouffetard)となっています。お手ごろ価格のクレープ店やレバノン料理店、市場もあり、庶民の商店街といった感じの通りです。地元の人が食材を調達しにやってくるパリの日常的な活気あふれる風景が見られます。最近は観光地化が激しく観光的なレストランや観光客も多くなりましたが、昔から残る下町の雰囲気が感じられる貴重な通りですので、時間があれば歩いてみることをおすすめします。ムフタール通りは食材調達のワンシーンとして、映画『アメリ』(2001)や『ジュリー&ジュリア』(2009)などにも登場しました。地元のパリジャンに交じって気になるものがあれば買ってみるのもいいですね。ヘミングウェイ最初のアパルトマン
ムフタール通りを散策した後は、再びコントルスカルプ広場に戻ります。広場からカルディナル・ルモワーヌ通り(rue Cardinal Lemoine)へ入ると急に静かな雰囲気に。その通りの74番地にヘミングウェイが最初に住んだアパルトマンがあります。1921年の暮れ、新婚間もないヘミングウェイ夫妻はパリに新しい生活を求めてアメリカからやってきました。カナダの新聞社トロント・スターの契約通信員だったヘミングウェイは、作家になるためにパリにやってきたのでした。夫妻はしばらくジャコブ通りにあるホテル・ジャコブ(現ホテル・アングレテール)に滞在していましたが、その後カルチェラタンのこのアパルトマンの4階に手ごろな部屋を見つけます。年明けの1月から住み始めましたが、2部屋だけの暖房もない貧困の中でのパリ生活でした。1階にはいつも賑わう騒々しいダンスホール「バル・ミュゼット」があり、娼婦たちが集まっていたそうです(現在はディスコになっています)。彼はここに住み、文章を書きながらパリの生活を送りました。カルチェラタンでよく通ったのは、サン・ミッシェル広場にある行きつけのカフェや美術収集家であるガートルード・スタインの家。アイディアに行き詰ったときはリュクサンブール公園にある美術館で印象派の絵画を見たそうです。オデオン通りにあったシェイクスピア&カンパニー書店も彼の行きつけの場所でした。
古代ローマの円形闘技場へ
ヘミングウェイのアパルトマンを見た後はカルディナル・ルモワール通りをさらに下ります。メトロがあるモンジュ通りとの交差点を右へ。車の行き交う通りを少し歩くと、アーチの窓がついた石造りの門があります。そのひっそりとした佇まいは、アパルトマンや店舗とも違い、不思議な雰囲気を漂わせています。緑の両扉がついた入り口を通ると、そこは静かな別世界。ここはかつて古代ローマ時代の円形闘技場(円形劇場)があった場所で、現在はアレーヌ・ド・リュテス公園(Square des arenes de Lutece)として一般公開されています。当時は剣闘士の戦いなどのイベントを観戦するために使われたり、円形劇場として多くの演劇作品が上演されました。まさにローマ時代の「パンとサーカス」が古代のパリでも繰り広げられていたのです。公園は誰でも自由に入ることができます(無料)。現在残っているのは円形闘技場の一部で、観客席部分はモンジュ通りのアパルトマン建築の際に失われました。1917年に大幅に修復され、今では若者たちがブールやサッカーをするのどかな遊び場になっています。園内はパリ中心地とは思えないほど静か。時の流れが止まったような世界の中で古代ローマに想いを馳せながら休憩して見るのもいいですね。
モスク内のカフェで甘いアラブ菓子とミントティーを味わう
時が止まったようなアレーヌ・ド・リュテスを出たあとは、モンジュ通りをさらに進みます。ラセペード通りを左折し、キャトルファージュ通りを右に曲がると、見えてくるのは巨大なモスク。パリでは珍しいイスラム教寺院で、グラン・モスケ・ド・パリと呼ばれています。第一次世界大戦で戦死したイスラム圏出身者の兵士のために建てられました。「ミナレ」と呼ばれる四角柱の塔が特徴的で、北アフリカやスペインの建築を思わせます。中にはハマム(公衆浴場)や祈りの間、中庭もある本格的な寺院で、パリに住むムスリムにとって大事な場所。パリにおけるアラブ文化の中心地ともいえます。おススメはモスクの中にあるアラブ風のカフェ「ラ・モスケ・ドゥ・パリ」。ミントティーやアラブ風のお菓子バクラワなどが味わえるサロン・ド・テです。祈りの場だけでなく、アラブのティータイムが味わえるパリ観光にオススメのカフェ。ミントティーと甘いアラブ菓子で一休みしましょう。ルソーも訪れたパリ植物園
モスクのカフェで一休みしたら、散策を再開。次に向かうのは最終目的地であるパリ植物園です。カルチェラタンの東にある巨大な緑地帯で、国立自然史博物館に所属しています。ラ・モスケ・ドゥ・パリからもすぐ近く。誰でも無料で入ることができて、散策におすすめの観光スポット。植物園というよりは公園のような雰囲気です。園内にはフランス式花壇のある美しい大通り、動物園や温室、自然史博物館などがあり、一人の散策でも家族連れでも楽しめます。蓮の花が浮かぶ池は園内の人気スポット。博物館の本館である進化大展示館には、動物の進化の様子が一つの吹き抜け空間にダイナミックに展示されていて迫力満点です。パリ植物園はもともと17世紀に設立された王立薬草園でした。薬理学と植物学の基礎を学ぶ場所として、世界中から植物が持ち込まれました。18世紀には博物学者のジョルジュ=ルイ・ルクレール・ド・ビュフォンが王立薬用植物園の整備に力を注ぎ、庭園管理官として41年間もの長い間その任務につきました。この間に完成させたのが有名な『博物誌』。ビュフォンの著作に影響を受けた思想家のジャン=ジャック・ルソーは、人生の後半を植物学の研究に捧げ、植物園に植物の種を寄贈しています。
最後はセーヌ川を渡ってメトロへ
パリ植物園を散策したら、セーヌ川に架かるオステルリッツ橋を渡ってセーヌ右岸へ。メトロのケ・ドゥ・ラ・ラペ駅でパリ散策は終了です。今回ご紹介したのはカルチェラタンの少しマニアックな魅力を感じられるルート。ヘミングウェイの住んだアパルトマンや下町の雰囲気が残るコントルスカルプ広場、ローマ時代の円形劇場、植物園などを訪問しました。- パリ観光基本情報
- パリのオススメ散策コース
- コース内で紹介した観光スポット:サン=テティエンヌ・デュ・モン教会、コントルスカルプ広場、アレーヌ・ド・リュテス(リュテス円形劇場)、グラン・モスケ・ド・パリ、パリ植物園
- 所要時間:約3時間
- 利用メトロ:モベール・ミュチュアリテ(Maubert-Mutualite)、ケ・ドゥ・ラ・ラペ(Quai de La Rapee)
- エリア:カルチェラタン
- カテゴリ:パリおすすめコース
- 関連:パリの人気観光スポット
散策で通ったパリのエリア・スポット
パリ観光サイト「パリラマ」に関しまして
パリラマはパリを紹介する観光情報サイトです。パリの人気観光地からあまり知られていない穴場まで、パリのあらゆる場所の魅力を提供することを目的としています。情報は変更される場合があります。最新情報はそれぞれの公式サイト等でご確認ください。
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