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パリ文学スポット:ヘミングウェイが実際に作品を書いたアパルトマン

ヘミングウェイが実際に作品を書いたアパルトマン

ヘミングウェイの作品が生まれた場所   
パリ文学スポット:ヘミングウェイが実際に作品を書いたアパルトマン

ヘミングウェイが実際に作品を書いたアパルトマン

ヘミングウェイの作品が生まれた場所

カルチェラタンのデカルト通り(Rue Descartes)39番地にレストランに挟まれたちょっと窮屈そうな建物があります。そこがヘミングウェイが実際に作品を描いた建物でした。彼はここの屋根裏部屋を借りて執筆したといわれています。騒々しかったカルディナル・ルモワーヌ通りのアパルトマンが住居なら、デカルト通りのこちらは書斎兼仕事部屋だったのでしょう。またフランスを代表する象徴派の詩人ポール・ヴェルレーヌが没したのもこの建物でした。隣にあるレストラン・ヴェルレーヌの上にはヘミングウェイとポール・ヴェルレーヌに関する記念プレートが架けられているので見つけやすい。ただしここに書かれたヘミングウェイの記述は「1921年から25年までここに住んだ」と間違って書かれています(実際に住んだのは先述のカルディナル・ルモワーヌ通りの74番地)。

破天荒な詩人ヴェルレーヌの終息地

「秋の日のヴィオロンの」で始まる上田敏訳の『秋の歌』や『海潮音』で有名な詩人ポール・ヴェルレーヌ(Paul Marie Verlaine/1844-1896)。彼は生涯貧困と病に苦しめられました。ランボーと駆け落ちしたことでも知られ、妻への背徳と後悔、飲酒と放浪、暴力による投獄という破天荒な人生を繰り返しました。イギリス・ベルギーを転々とたあとパリに戻り、1896年1月8日、デカルト通り39番地のアパルトマンで家族や友人に看取られることなく、娼婦の腕に抱かれながら亡くなったと言われています。彼の死後、詩への評価が高まり、リュクサンブール公園の一角に彼の像が建てられました。また日本の詩人である堀口大学が『ヴェルレエヌ研究』という研究書を出しています。
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