シェイクスピア・アンド・カンパニー書店
伝説的書店の名前を継いだパリの英語専門書店
作家や読書家にとって、書店というのはいつの時代も精神的な拠り所です。オンラインで本が買える便利な時代になっても、場所の重要性は失われず、書店は多くの人を惹き付けています。そのことを示す重要な書店がパリにあります。学生街カルチェラタンの一角にあるシェイクスピア・アンド・カンパニー書店です。元アメリカ軍人のジョージ・ホイットマンが開いた英語専門の書店で、多くの英語圏の旅行者にとって便利で落ち着ける場所になっています。ただこの書店の魅力はそれだけではなく、かつて存在した「シェイクスピア・アンド・カンパニー書店」の名前と意思を受け継いでいる歴史そのものにあります。その物語こそがこの書店に多くの人が訪れる理由になっているのです。
歴史1:パリ修業時代のヘミングウェイが通った伝説的書店
最初のシェイクスピア・アンド・カンパニー書店は様々な伝説とともに語られています。最も有名な逸話はヘミングウェイに本を貸したことでしょう。ノーベル文学賞を受賞したアメリカの作家ヘミングウェイはパリでの作家修業時代にこの書店に通っていました。お金のなかった若き日のヘミングウェイはこの書店の図書室で本を借りて読んでいました。
ヘミングウェイがこの書店に初めてやってきたのは1921年12月28日のことでした。彼はその日に早速12フラン払って貸出会員になり、ロレンスの『息子たちと恋人たち』、ツルゲーネフの『猟人日記』、トルストイの『戦争と平和』、ドストエフスキーの短編集を借りています。そしてこれ以後、シェイクスピア書店は、これから始まるヘミングウェイのパリ文学修業に欠かせない場所になっていったのでした。
歴史2:1919年に創業した英文書専門店
ヘミングウェイと親交の深かったこの書店はパリ住むアメリカ作家を支援するために1919年に開かれた英文書専門の書店でした。英語の本の販売のほかに、会員制の貸本サービスも行っていました。経営者はアメリカ人のシルヴィア・ビーチ。最初はデュプイトラン通り8番地にありましたが、1921年5月にオデオン通り(Rue de l'Odeon)12番地に移りました。そこは友人であるアドリエンヌ・モニエの書店の向かいでした。
貸本サービスの会員第1号は?
20世紀初頭のパリでは、貸本サービスをやっている書店は多くあったそうです。この書店の定期会員は「バニー」"bunny"(フランス語で「定期会員」を意味するabonnéのもじり)と呼ばれ、その会員第1号はアメリカの作家で美術収集家でもあるガートルード・スタインでした。
歴史3:20世紀最大の問題作『ユリシーズ』を出版
またヘミングウェイが作家ジェイムズ・ジョイスや詩人エズラ・パウンドに出会えたのもシルヴィア・ビーチのおかげでした。シェイクスピア・アンド・カンパニー書店は、単に英語の書籍を売るだけでなく、多くの作家たちの出会いの場としても重要になっていきました。この書店の最大の文学的業績としては、やはりジェイムズ・ジョイスの問題作『ユリシーズ』を出版(1922)したことです。シルヴィア・ビーチは当時猥褻表現が多いことで発禁となっていたこの作品にほれ込み、自費で出版にこぎつけました。彼女自身も『シェイクスピア書店』という自伝を書いていて、ヘミングウェイとジョイスのことが頻繁に出てきます。
歴史4:世界恐慌とナチスによるパリ占領で廃業へ
シルヴィア・ビーチの書店は長い間パリの文学的シンボルとなっていて、英語を読みたいアメリカ人たちにとって心の拠り所でした。しかし世界恐慌で多くのアメリカ人たちが祖国へ帰ると、この書店の経営も苦境に陥っていきました。アンドレ・ジッドとT.S.エリオットの援助によってしばらくは営業を続けられましたが、第2次世界大戦中の1941年、ドイツ占領下のパリで閉店を余儀なくされます。それ以降シェイクスピア書店が再開することはありませんでした。オデオン通り12番地にはその書店があったと書かれたプレートが残るのみです。
ナチス将校が要求したもの
ドイツ軍によるパリの占領時代、一人のナチス将校がシルヴィア・ビーチの書店にやってきました。彼は店のショーウィンドウに飾ってあったジェイムズ・ジョイスの小説『フィガネンズ・ウェイク』を譲るように要求しましたがビーチは拒否。その夜に全ての在庫を自分のアパルトマンに移し、店は閉店しました。
伝説を受け継ぐシェイクスピア・アンド・カンパニー書店の2代目
1951年、パリ5区のセーヌ河近くにひとつの書店がオープンしました。これがシルヴィア・ビーチの意志を受け継いだ2代目シェイクスピア書店。現在も営業をしている書店で、セーヌ川を挟んでノートルダム大聖堂の見えるブシュリー通り(rue de la Bucherie)37番地にあります。オープン当時はル・ミストラル(Le Mistral)という名前で、ジャック・ケルアックやヘンリー・ミラー、アレン・ギンズバーグなどのビートニク作家に人気の場所でした。
しかしシェイクスピア・アンド・カンパニー書店の店主シルヴィア・ビーチが1962年に亡くなると、彼女の文学的意思を継いで店名をシェイクスピア・アンド・カンパニー書店に変えました。今では世界中の文学ファンが集まる文学のユートピアのような役割を担っています。パリに滞在するアメリカ人学生や読書好きな旅行者のメッカになっていて、文学の香りが色濃く漂います。パリ時代のヘミングウェイの代表作『日はまた昇る』がよく売れているそうです。
店内は文学好きの人たちが集まる心地よい空気で満たされ、常に活気に溢れているので入りやすいです。1階は英語の本が所狭しと並び、文学の濃厚な世界に酔いしれることができます。2階はシルヴィア・ビーチ記念室になっており、シルヴィア・ビーチ関係の資料がそろっています。彼女が出版した『ユリシーズ』などの貴重書も保管されています。また2階では当時のタイプライターで文章を打つこともできます。定期的に作家を招いての講演会や朗読会などを行っており、文学好きにはたまらないパリの文学スポットです。2011年にはウディ・アレンの映画『ミッドナイト・イン・パリ』にも登場し、注目されています。現在は最初の店主であったジョージ・ホイットマンの娘のシルヴィア・ホイットマンが経営しています。1代目の店主シルヴィア・ビーチと名前が一緒なのは素晴らしい文学的偶然です
ほかにもあるパリの英語専門書店
パリの英語専門書店は他にも存在します。アビーブックショップ(Abbey Book Shop)はカルチェラタンにあるカナダの本が多い書店。フランス語で羊皮紙業を意味するパルシュミヌリー通り(rue de la Parcheminerie)の29番地に位置しています。1989年にカナダの書籍愛好家ブライアン・スペンスがオープンしたお店で、店内には様々な英語の本が所狭しと積まれています。
書店の2階に泊まることもできる
2代目のシェイクスピア&カンパニー書店は、他の書店にはない大きな特徴があります。2階に上がると書棚に囲まれてベッドのある部屋が。お金のない作家志望の人が書店に宿泊しているのです。いくつかの条件をクリアすれば(執筆計画がある、1ページの自伝の提出、1日1冊本を読む、2時間書店の仕事を手伝う)、誰でも泊まることができます。かつてヘミングウェイが読んだ古書たちに囲まれながら、素晴らしい文学世界の中で読書することができます。書店で開かれるイベントで有名な作家たちに会うこともできます。しかも料金は無料です。本が好きで執筆する意欲があれば、誰でも滞在できる。まさに文学のユートピアにふさわしい貴重な場所。お店の中のプレートにはこう書かれています。「見知らぬ人には親切にしなさい。彼らは変装した天使かもしれないから」。作家・芸術家にやさしい街パリが生んだずっと残ってほしい書店です。
関連するパリ観光
関連するパリモデルコース
パリラマはパリを紹介する観光情報サイトです。パリの人気観光地からあまり知られていない穴場まで、パリのあらゆる場所の魅力を提供することを目的としています。情報は変更される場合があります。最新情報はそれぞれの公式サイト等でご確認ください。
パリ観光サイト「パリラマ」






