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パリの墓地

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多くの作家・芸術家が眠る静かな観光地

日本の墓地というと暗く閑散としたイメージですが、ヨーロッパとりわけパリの墓地は美しく整備された公園のようです。パリ市内には現在15の墓地があります(パリ近郊を含めると21)。代表的なパリのお墓にはペール・ラシェーズ墓地、モンパルナス墓地、モンマルトル墓地があり、多くの作家や芸術家たちが眠ることでも知られています。そのため、個人的な参拝だけでなく、多くのファンが訪れる観光地にもなっています。しかしこれらの墓地が完成するまで、パリの墓地は悪臭を放つ悪夢のような場所でした。

悪臭の根源から死者の休息地へ

18世紀までパリには共同墓地しかありませんでした。魂を失った亡骸は巨大な穴に次々と落とされ、適切な処理もされずに朽ちていきました。それは中世のパリが悪臭を放つ大きな原因の一つでした。その代表がパリ中央にあったイノサン墓地でした。パリ中央市場に隣接したこの墓地は、パリで亡くなった人々の遺体が放置され、衛生面から大きな社会問題となっていました。しかし12世紀から続いたイノサン墓地は1786年にようやく撤去され、パリ中心部に墓地を造ることが衛生上の理由から禁止されました。その後、ナポレオンの指示により19世紀の始めに3つの新しい墓地が当時のパリの境界周辺にできました。北のモンマルトル墓地、南のモンパルナス墓地、そして東のペール・ラシェーズ墓地です。中でもペール・ラシェーズ墓地は最も古いパリの墓地で、死者を悼み最後の休息地へ届けるという習慣ができたのもこの墓地が完成してからのことでした。近代墓地の始まりは、ペール・ラシェーズ墓地によって始まりました。

ユニークなお墓が多い

またお墓がユニークなこともパリの墓地の特徴の一つ。故人の人生をイメージして作られた墓石が多く、まるで彫刻の屋外展示を見ているような気にさせてくれます。特に有名なのは数々の有名人の墓たち。作家・画家・音楽家・俳優たちが眠っているため、毎年世界中から多くのファンが訪れます。

パリのお盆「トゥッサン(万聖節)」には多くの参拝客が訪れる

毎年11月1日になると、多くのパリジャンが菊の花を持ってお墓にでかけます。その日はトゥッサン(万聖節)という祝日で、日本で言うお盆に当たる日。しかし日本と違うのは、自分たちの家族の墓地だけではなく、愛する作家や芸術家のお墓にも参拝するところ。パリ市民だけでなく、世界中から作家や画家の永遠の休息地を求めて多くの人がパリの墓地へやってきます。墓地は死者が眠る場所だけではなく、死者を敬い対話する場所でもあるんですね。パリ観光の際にはあなたの好きな芸術家に会いに、墓地へ寄ってみてはいかがでしょうか。

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