パンテオン
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ユゴーやルソーなどの偉人たちが眠る墓へ
パリ5区、学生街カルチェラタンを歩いていると、リュクサンブール公園からまっすぐに伸びる坂道の奥に巨大なモニュメントが見えてきます。壮麗なドームとコリント式の円柱が特徴的なこの建築はパンテオン。ルイ15世の病気回復を祝って再建されたギリシャ風神殿で、完璧なシンメトリーが美しいパリを代表する建築物です。現在はフランスの偉人たちのための墓地となっていて、誰でも見学可能です。巨大な聖堂空間を通って地下に降りていくと、そこには偉人たちが眠る墓地があります。入り口のすぐ左手には劇作家ヴォルテールの墓、右手には思想家ルソーの墓があります。その先に進めばフランスを代表する偉大な作家であるヴィクトル・ユゴー、エミール・ゾラ、アレクサンドル・デュマが眠る部屋を訪れることができます。壮大な聖堂空間と偉人たちの存在を間近で感じることができるパリの名所です。観光嫌いのドストエフスキーも立ち寄った
ロシアの作家ドストエフスキーは自らを「奇妙な旅行者」と呼び、海外を旅してもいわゆる観光名所にはほとんど足を向けませんでした。彼の興味の対象はもっぱら人間観察であり、名所めぐりには全く関心を示さなかったそうです。そんなドストエフスキーがパリ滞在中に珍しく訪れた観光地がパンテオンでした。(参照:『冬に記す夏の印象』)
聖ジュヌヴィエーヴの丘に立つギリシャ神殿
パリ観光名所になっているパンテオンは、パリでも高いサント・ジュヌヴィエーヴの丘の上にあり、1757年に着工され、フランス革命期の1792年に完成しました。パリの守護聖人だった聖ジュヌヴィエーヴが祀られています。彼女はフン族の来襲からパリを救った女性で、現在パンテオンが建つ丘で祈りを捧げていたと言われています。彼女の死後(502)、遺体はサン・ピエール・エ・サン・ポール教会の地下に埋葬されました。その教会のあった場所に今はパンテオンが建っています。パンテオンの歴史:もともとはキリスト教の大聖堂だった
パンテオンの歴史は6世紀初めまでさかのぼります。507年にキリスト教に改宗したフランス国王クロヴィスは自分と妻の墓所として大聖堂を建設します。それがサン・ピエール・エ・サンポール教会でした。パリを蛮族の侵入から守った聖ジュヌヴィエーヴは502年に亡くなり、この教会のクリプトに葬られました。教会を造ったクロヴィス王も彼女の墓の隣に埋葬されたと言われています。この教会は12世紀に修道院になり、1744年にはルイ15世によってサント・ジュヌヴィエーヴ教会へと変貌していきます。これは聖ジュヌヴィエーヴへの祈願によって重病を克服したルイ15世が、自分を救った聖女にこの大聖堂を捧げたいと希望したためでした。新しい大聖堂の計画は新古典主義建築の代表的な建築家スフロに委ねられ、1790年に完成します。完成した大聖堂はローマのサン・ピエトロ大聖堂に匹敵するものとなりました。その1年後の1791年、完成した大聖堂は国立のパンテオンに改造され、フランスの偉人の遺骸を祀る神殿となりました。これはフランス革命の指導者ミラボーの遺骸を納める場所を探していた憲法制定議会によって決定しました。なお元々パンテオンの立つ場所に眠っていた聖ジュヌヴィエーヴの石棺は、フランス革命の混乱を乗り切り、パンテオンの向かいにあるサン・テティエンヌ・デュ・モン教会に移されました。現在、サント・ジュヌヴィエーヴの聖遺物は教会内に展示され、多くの人の信仰を集めています。クロヴィス王の墓は消えてしまい、未だに見つかっていません。パンテオンの歴史:ヴィクトル・ユーゴーなどの偉人たちの墓地になる
教会として作られたパンテオンでしたが、フランス革命期に完成したため、権力の象徴と見なされる教会建築は多くの市民に批難されました。そのためパンテオンは国民議会によってフランスの偉人たちを祀る霊廟として利用されることが決まります。教会として設けられた多くの窓もほとんどが塗り込められました。パンテオンの正面には"Aux grands hommes la patrie reconnaisante"(偉人たちに祖国は感謝を捧げる)と書かれています。現在パンテオンに埋葬されている偉人には、マリ・キュリ(キュリー夫人)、アレクサンドル・デュマ、ヴィクトル・ユーゴー、アンドレ・マルロー、モネ、デカルト、ジャン・ムーラン、ジャン=ジャック・ルソー、ヴォルテール、エミール・ゾラ、ベルトロなど、フランスを代表する作家・思想家・画家などがいます。作家ヘミングウェイはパリ修業時代にパンテオンの近くに住んでいましたが、新古典主義の傑作と言われるこの建物にはあまり興味がなかったようです。黒人女性が初めて殿堂入り
2021年11月、フランスで活躍したアメリカ出身のジャズ歌手・ダンサーのジョセフィン・ベーカー(Josephine Baker, 1906-1975)がパンテオンに祭られることが決まりました。黒人女性がパンテオンに祭られるのは初めて。ジョゼフィン・ベーカーは20歳の時に渡仏し、20年代のパリでダンサーとして活躍しました。「狂乱の時代」と呼ばれた当時のパリで彼女の刺激的なダンスは多くの熱狂と共に受け入れられましたが、一方で凱旋帰国したアメリカでは激しい人種差別も経験しました。その後フランス人との再婚を機にフランス国籍を取得し、社会に根強く残る差別と闘いました。第二次世界大戦中はレジスタンスの通信員として弾圧から逃れた仲間やユダヤ人を助けました。戦後も博愛主義の精神を貫き、フランスの最高勲章であるレジオン・ドヌールを受章。その後世界各国の養子を引き受け、キング牧師の公民権運動を支援しました。マクロン大統領は彼女の殿堂入りについて「自由と軽やかさで多くの闘いを主導した」と讃えています。「フーコーの振り子」の実験が行われた場所
パンテオンの設計は国王の建築物の監督官であったジャック・ジェルメン・スフロ(彼の名前を冠したスフロ通りがパンテオンからリュクサンブール公園の間にあります。近くにあったホテル・スフロは永井荷風が泊まった明治期の日本人御用達のホテル)。またパンテオンは地球の自転を証明した「フーコーの振り子」の実験(1849)が行われた場所としても知られています。実験が行われたドームは展望台になっていて、カルチェラタンとパリ左岸を眺めることができます。近くにはパリ随一の進学校や図書館、区役所も
カルチェラタンの中心ともいえるパンテオンの周りには多くの重要な施設があります。パンテオンの目の前にはパリ5区の区役所とソルボンヌ・パンテオン大学、サント・ジュヌヴィエーヴ図書館(公立大学図書館)などがあり、パリにおける学術の中心地を思わせます。パンテオンの裏通りであるクロヴィス通りにはパリ随一の進学校として有名なアンリ4世高校があります。高校の向かいにあるのが前述したサン・テティエンヌ・デュ・モン教会です。興味のある方はこれらの周辺のスポットも是非訪れてみてください。- パリ観光基本情報
- パンテオン / Le Panthéon
- パリの観光地
- オープン(完成):1792年
- 住所:Place du Panthéon 75005 Paris, フランス
- 最寄メトロ:Cardinal Remoine(カルディナル・ルモワーヌ)
- エリア:カルチェラタン
- カテゴリ:パリの観光スポット
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パンテオンへのアクセス(地図)
パンテオンへのアクセス(地図)