フェルー通り
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ヘミングウェイが『武器よさらば』を書き上げたアパルトマンが残る
今回はパリ6区にあるフェルー通りをご紹介します。リュクサンブール公園とサン・シュルピス教会をつなぐ小さな通りです。通りの名前はシャトレの検察官だったエティエンヌ・フェルー(Etienne Ferou)から取られていて、彼はこの通りができた当時の土地所有者でした。通りは1517年以前から存在する古い通り。20世紀には作家のヘミングウェイやフィッツジェラルド夫妻が住みました。フェルー通り6番地には、ヘミングウェイが2番目の妻ポーリーンとパリ最期の数年を過ごした高級アパルトマンが残っています。ヘミングウェイのパリ時代の最期となる1927年、彼は愛人だったポーリーンと再婚してここに移り住みました。最初の妻ハドリーと離婚後、出世作『日はまた昇る』("The Sun Also Rises")を出版して一躍有名になったヘミングウェイは、この高級アパルトマンで『武器よさらば』("A Farewell to Arms")を書き上げました。またアレクサンドル・デュマ・ペールの有名な小説『三銃士』の中で、三銃士の一人であるアトスが住んだのがここフェルー通りだとされています。ランボーの詩が書かれた巨大壁画
フェルー通りには他にも文学に関連した場所があります。リュクサンブール公園からサン・シュルピス教会に向かって通りを歩いていくと、左手に文字が書かれた巨大な壁画が現れます。ここは税務署の囲い壁で、書かれているのは詩人アルチュール・ランボーの詩『酔いどれ船』("Le Bateau ivre")。1871年9月、ランボーがこの詩を初めて朗読したのがサン・シュルピス教会近くのカフェだったと言われています。この詩による彫刻作品はオランダ人のカリグラファーによって手書きで制作されました。オランダ大使館の出資とオランダ人の寄付によって、2012年6月に実現したものです。壁の目の前にはアイスクリームを提供するサロン・ド・テGlacier Pierre Geronimiがあるので、お茶を飲みながら壁に書かれた詩を読むのもいいですね。小さく目立たないけど、文学スポットが意外に多いフェルー通り。文学に興味のある方は、是非訪れてみてください。
- パリ観光基本情報
- フェルー通り / Rue Ferou
- パリの通り
- オープン(完成):1517年以前
- 住所:Rue Ferou, 75006 Paris
- 最寄メトロ:サン・ジェルマン・デ・プレ(Saint-Germain-des-Pres)
- エリア:カルチェラタン
- カテゴリ:パリの通り
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フェルー通りへのアクセス(地図)
フェルー通りへのアクセス(地図)
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