パリの観光スポット
パリ観光地:ムーラン・ルージュ

ムーラン・ルージュ
Moulin Rouge

「赤い風車」が印象的なパリ歓楽街のシンボル   
パリ観光地:ムーラン・ルージュ

ムーラン・ルージュ

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パリの夜のシンボル

「夜のパリ」と聞いて多くの人が連想するのが赤い風車のイメージが鮮烈なムーラン・ルージュ(Moulin Rouge)かもしれません。ムーラン・ルージュはパリ最大の歓楽街ピガールにあるキャバレー。フランス語で「赤い風車」を意味します。ピガール広場から始まるクリシー大通りの途中にあり、その印象的な外観からピガールのシンボルにもなっています。元々ムーラン・ルージュはベル・エポック(19世紀末)にパリジャンを熱狂させたダンスホールで、現在ではショーを観ながら食事が楽しめるナイトクラブとなっています。ここでは毎夜世界中から集まった踊り子たちによる素晴らしいフレンチカンカン(ショーダンス)を見ることができます。踊り子と聞いて日本人の多くが思い浮かべるのは、画家ロートレックが描いたキャバレーのダンサーたちの絵かもしれません。そこにはショーの華やかさと同時に人生の悲しみが映し出されています。オープンから130年以上経った今でも多くの観光客を惹きつけています。パリの夜の豪華な思い出に、出かけてみてはいかがでしょうか?

ムーランルージュに出演した歌手
ムーランルージュに出演した有名な歌手にはミスタンゲット、エディット・ピアフ、イヴ・モンタン、ライザ・ミネリ、エルトン・ジョン、フランク・シナトラ、ダリダ、シャルル・アズナブール、レイ・チャールズなどがいます。エディット・ピアフはイヴ・モンタンを見出して育てたことでも有名です。

ムーラン・ルージュの歴史

ムーラン・ルージュは肉屋をやっていたジドレールという興行師が1889年のパリ万博の観光客を見込んで作りました。場所はモンマルトルのふもとにあるブランシュ広場(Place Blanche)の一角。「白い広場」を意味するブランシュ広場は、かつてここで石膏がたくさん採掘されたことに由来しています。パリ万博にやってきた他国からの多くの観光客、アーティスト、ボヘミアンがムーランルージュを訪れ、その名前はヨーロッパに広く知れ渡りました。ここでは曲に合わせて踊り子がスカートをたくし上げて激しく踊る「フレンチ・カンカン」という派手なショーが売り物で、その後このキャバレーから多くのスターが生まれることになりました。当時のトップダンサーだったルイーズ・ウェヴェール(通称ラ・グリュ)もその一人。作曲家ジャック・オッフェンバックによる有名なオペレッタ『天国と地獄』のメロディに合わせて踊る彼女の姿は画家ロートレックのポスターにも描かれています。当時は観客も一緒に踊れるような広いダンスホールのような空間で踊り子たちが激しいダンスを披露していました。それだけダンサーと観客の距離がとても近く、ムーランルージュが舞台の映画『赤い風車』ではその熱狂ぶりを見ることができます。まさに歓喜の感情を爆発させる場所としてムーランルージュはパリ市民の心をつかんでいました。また19世紀末のパリでは盛り場には娼婦が集まることが多く、ムーランルージュの中庭(小劇場を備えたテラス)は彼女たちが客を探す格好の場所だったようです。『荷風パリ地図』によれば、当初の風車は「大きな輪に幾十もの大きな箱をぶらさげて、そのなかに客をのせて、紅い灯をつけながら、ぐるぐるとまわした展望観覧車」だったようです。この風車が人を乗せて動いていたかと思うと面白いですね。

作家コレットも出演したムーランルージュ
代表作『青い麦』で有名な作家シドニー=ガブリエル・コレット(Sidonie-Gabrielle Colette / 1873-1954)はかつて舞台で活躍する女優でした。夫と離婚後、パリのミュージックホールで踊り子として出演していました。1907年ムーラン・ルージュで「エジプトの夢」と題するレビューをプロデュースし、彼女自身が舞台で演じました。その後、パリ・オペラ座からの依頼でオペラ台本を書いています。

2つの世界大戦の間もムーランルージュは営業を続け、第二次大戦中のドイツ軍占領下のパリではドイツ軍将兵がよく通ったと言われています。第二次世界大戦が終結に向かった1944年(パリ解放の年)、エディット・ピアフとイヴ・モンタンの出演は多くの人に勇気と希望を与えました。1959年には厨房設備ができ、ドリンクだけでなく食事も楽しめるキャバレーになりました。1999年には新たな世紀のレビューとして現在も上演されている『Feerie』(フランス語で「妖精、魔法、おとぎの国」の意味)が発表されます。現在もフレンチ・カンカンが楽しめ、映画館も併設された複合施設になっています。オープン当時は観客と同じ床で踊り子たちが踊っていましたが、今では客席と舞台が完全に分離され、劇場のような構造になっています。かつてのカオス的な魅力は今はもうありませんが、それでも当時のムーラン・ルージュの伝統は今もなお生き続けています。

ロートレックが通ったキャバレー

ムーランルージュで繰り広げられるショーは多くの画家を惹きつけ、彼らに新しい素材とひらめきを与えました。フランスの画家トゥールーズ・ロートレックはここに通いつめて踊り子たちの姿を描きました。南フランスのアルビにある伯爵家に生まれた彼は、子供の頃に骨折したことが原因で足の成長が止まってしまいます。しかし幼いころから絵の才能を発揮していた彼は1882年にパリのモンマルトルに移り住んで当時の風俗を絵にしました(この頃、同じ画塾の生徒だったゴッホと出会います)。その中でもロートレックを惹きつけたのは夜のパリでした。彼はムーランルージュの踊り子たちをモデルにしてポスター(リトグラフ)を手掛け、今でもそのイメージはパリのいたるところで見ることができます。その代表作に「ラ・グリュ」と呼ばれた踊り子ルイーズ・ウェヴェールを描いた『ムーラン・ルージュ ラ・グリュ』(1891)があります。彼女と一緒に踊っているシルクハットの男性は「骨なしヴァランタン」と呼ばれた名物ダンサーです。ポスターには"CONCERT BAL TOUS Les SOIRS"(毎夜開催のコンサート付きダンスホール)という文字が書かれています。ロートレックは他にも「狂人ジャンヌ」というあだ名の踊り子ジャンヌ・アブリルをモデルにして絵を描いています。『踊るジャンヌ・アブリル』(1892)にはダンサーの華やかさと同時に厳しい現実が映され、彼女の苦悩と疲れが伝わってくるようです。アルコールで疲労したスターダンサーたちの人生は、そのままロートレック自身の人生にも重なります。鋭い観察力でダンサーの素顔を描き続けた彼は、晩年にはアルコール中毒と梅毒を患い、36歳の短い生涯を閉じます。ピエル・ラ・ミュルが書いたロートレックの伝奇小説『ムーラン・ルージュ』は後に映画にもなりました。

映画になったムーランルージュ
ムーランルージュは今までに6本の映画の舞台となっています。1952年に公開された『赤い風車(Moulin Rouge)』はこのキャバレーに通い詰めた画家ロートレックの愛と悲しみに満ちた生涯を描いています。1955年公開の『フレンチ・カンカン』はジャン・ルノワール監督によるジャン・ギャバン主演の映画で、フレンチ・カンカンの成立を巡る物語。歌手エディット・ピアフが出演したことでも知られています。一番新しい映画は2001年公開の『ムーラン・ルージュ(Moulin Rouge!)』で、ユアン・マクレガーとニコール・キッドマン主演のミュージカル映画です。ムーラン・ルージュの「裏の顔」を描いたロートレックの生き様を観たい方は『赤い風車』がおすすめ。華やかなミュージカルとしての明るいムーラン・ルージュを観たい方は『フレンチ・カンカン』がおすすめです。どちらもジャック・オッフェンバックの有名な曲『天国と地獄』に合わせて歌う踊り子たちが登場します。

歌の中のムーランルージュ
ムーランルージュはシャンソン(フランスの歌)にも歌われています。代表的な作品には歌手ジュリエット・グレコの『Moulin Rouge』や作曲家ジョルジュ・オーリックが書いた『Moulin Rouge』などがあります。ジョルジュ・オーリックの曲は1952年公開のハリウッド映画『赤い風車(Moulin Rouge)』では英語版『Where is Your Heart』として使われています。

パリ観光基本情報
ムーラン・ルージュ / Moulin Rouge
パリの観光地
オープン(完成):1889年
住所:82 Boulevard de Clichy, 75018 Paris, フランス
最寄メトロ:Blanche(ブランシュ)、Pigalle(ピガール)
エリア:モンマルトル
カテゴリ:パリの観光スポット
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ムーラン・ルージュへのアクセス(地図)
ムーラン・ルージュへのアクセス(地図)

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