パリの観光スポット
パリ観光地:エッフェル塔

エッフェル塔
La Tour Eiffel

フランス革命の100年後に造られたパリのシンボル   
パリ観光地:エッフェル塔
パリ観光地:エッフェル塔
パリ観光地:エッフェル塔
パリ観光地:エッフェル塔
パリ観光地:エッフェル塔
パリ観光地:エッフェル塔
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パリ観光地:エッフェル塔
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パリ観光地:エッフェル塔
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パリ観光地:エッフェル塔
パリ観光地:セーヌ河とエッフェル塔
パリ観光地:エッフェル塔の構造
パリ観光地:エッフェル塔の下の売店(お菓子屋)

エッフェル塔

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パリ観光地:エッフェル塔
7月14日(パリ祭)のエッフェル塔

エッフェル塔とは
パリにある鉄の塔。鉄橋の設計技師だったギュスターヴ・エッフェルによって1889年に造られました。

世界的に有名なパリの象徴

エッフェル塔は誰もが知っているパリのシンボル。パリを聞いて最初に思い浮かべるイメージがエッフェル塔という人は多いのではないでしょうか。そんな「パリの顔」とも言えるエッフェル塔は世界で最も観光客の訪れる場所の一つとして知られています。パリ7区のシャン・ド・マルス公園内にあり、パリの様々な場所から見ることができます。フランス革命100周年を記念して、第4回パリ万博の1889年に完成しました。パリの計画的な都市美を眺めることができる高さ320メートルの鉄の塔として毎日多くの観光客が訪れます。初めてパリに来た人がパリを実感できるのも、このエッフェル塔を見たときかもしれません。しかしかつてパリにエッフェル塔は存在しませんでした。誰もが想像もしなかった塔ができたのは19世紀末。この世界一有名な塔ができた歴史を見てみましょう。

とっても軽いエッフェル塔
250万個の鉄のリベット(部材と部材を半永久的につなげる部品)が使われていますが、その重量は約7000トンで、同じ大きさの建築と比較すると非常に軽いものでした。天に伸びるかのように作られたエッフェル塔は、当時の最先端の素材だった鉄と空間を巧みに使うことで、建築による重力からの解放を目指していたのかもしれません。

様々な愛称で呼ばれた
エッフェル塔には様々な呼び名があります。鉄で作られた優雅な姿から「鉄の貴婦人」(La Dame de fer)と呼ばれたり、作家ジャン・コクトーは「レースでできた美しいキリン」(※原文は調査中)と表現しました。

パリ観光地:セーヌ河岸とエッフェル塔
セーヌ河岸とエッフェル塔

歴史1:最初は反対された奇抜な鉄の塔

「パリに高い塔を作ろう」という計画は19世紀の初期からありましたが、その計画が具体化したのは19世紀末のパリ万博の時でした。フランス革命100周年の年に開催される万博(1889年)に合わせてパリの新しいシンボルを造ろうという動きがあり、フランス政府の主催でその建築アイディアを競うコンクールが開かれました。そのコンクールに出品されたのがギュスターヴ・エッフェルによって設計されたエッフェル塔です。19世紀のヨーロッパでは国家の威信をかけて高層建築を競い合っており、エッフェル塔も世界一の塔を目指して考案されたものでした。その当時フランス政府が注目していたのが鉄による建築。イギリスの産業革命の影響で、19世紀末のフランスには鉄を扱う会社がたくさん生まれました。その一つが1864年に32歳のエッフェルが創業したエッフェル社でした。エッフェル社は当初はあまり知られていませんでしたが、1884年に建設を担当したフランス カンタルにあるガラビ高架橋によって一躍有名になります。

エッフェルが作ったフランス中央山塊の高架橋
ガラビ高架橋はサン・フルールの南約12キロの地点にあり、全長565メートル、高さ122メートルの巨大な橋。パリ〜クレルモン=フェラン〜ベジエ間を運転していた直通急行「オブラック」が通過する橋として知られていました。鉄道の名前の由来は高級肉牛で有名なオブラック地方を通ることから。エッフェルと彼の会社が建設したこの橋は当時世界一を誇ったアーチ橋で、この橋の建設には高度な技術力が必要でした。

世界一高い建造物になったエッフェル塔
エッフェル塔が完成した当時、世界一高い建造物はアメリカにあるワシントン記念塔(169メートル)でした。しかし石で作られた建物には構造上の限界があり、その重みで地盤は沈んでいました。石より軽い素材である鉄で作られたエッフェル塔は、より高い塔となることができたのです。

しかし鉄橋建築の技師だったエッフェルは、万博期間の間だけ展示されて取り壊される建築を作ることに対して乗り気ではありませんでした。そのためギュスターヴ・エッフェルは自分の事務所(設計会社)の2人の技師ヌギエとケクランに万博用の建築プランを頼みます。依頼された2人が考えたのが、エッフェル塔の原型となる鉄塔でした。

自由の女神を作ったエッフェル
エッフェル塔の設計が勧められている間、別の大きなプロジェクトも進められていました。アメリカの独立100周年を記念して構想された自由の女神です。エッフェル塔の設計者として知られるギュスターヴ・エッフェルですが、ニューヨークにある自由の女神を作ったことはあまり知られていません。外観の設計はフレデリク・バルトルディでしたが、女神像の内部の構造設計を担当したのがエッフェルでした。彼は鉄橋の支柱構造を応用し、女神像の骨格を設計しました。自由の女神は1886年に完成してフランスからアメリカに寄贈されました。アメリカの象徴となる自由の女神像の建築で、エッフェルは世界的に名前が知られるようになりました。エッフェル塔が建てられたのはその3年後の1889年でした。

歴史2:パリ万博で成功を収めたエッフェル塔

ニューヨークで自由の女神の建設が行われている間も、パリのオフィスではエッフェル塔の設計案が練られていました。最終的に部下が作ったプランをエッフェルが買い取ってデザインを自ら調整し、パリ万博のコンペに設計案を提出しました。1886年に建築コンクールが開催され、コンペでは当時の最新素材だった鉄を使ったエッフェル塔の案が通り、1887年から建造が開始されます。

エッフェル塔は立たなかったかもしれない?
当初コンペの最有力候補はトロカデロ宮を設計したジュール・ブールデの「太陽の塔」でした。これは頂上に特殊な反射鏡を設置してパリ全域をアーク灯で照らすという石造りのパリらしい塔でしたが、建造に時間がかかるし現実的でないというデメリットがありました。それに比べて鉄の塔であるエッフェル塔は2年間で建造が可能で費用も安く済むということが分かりました。その結果、優勝候補「太陽の塔」を退けてコンペで優勝します。

そしてパリ万博の開催年である1889年の3月31日、エッフェル塔は完成しました(万博に間に合わせるために工事期間は2年2ヶ月という短さでした)。当時は今までのパリにはない鉄という新素材と形の奇抜な建築物だったため、反対意見もたくさんありました。中には「金属製アスパラガス」と皮肉るパリジャンもいたそうです。エッフェル塔のデザインは19世紀当時のフランスの美学からすれば、明らかに理解できない異様な建築でした。そのため多くの知識人や芸術家、庶民から非難の声が出たそうです。当時の新聞には芸術家による抗議文が投稿され、エッフェル塔は「役に立たず醜い」(inutile et monstrueuse)と酷評されています。ギ・ド・モーパッサンやデュマ・フィスなどを中心に文化人による反対運動が起こりましたが、無駄を排除した機能美を体現したエッフェル塔は万博で成功を収めます。万博開催中には200万人がエッフェル塔に上り、その中にはサラ・ベルナールやトマス・エジソンもいました。それでもなお、エッフェル塔が美しいと感じるまでには20世紀まで待つ必要がありました。

エッフェル塔の形は風から生まれた?
エッフェル塔の独特のフォルムはどのように考案されたのでしょうか?「エッフェル塔の形は風が創造した」という言葉を残しており、鉄でありながら優雅で湾曲した外観は風の力学によって設計されたそうです。直線的な塔よりもエッフェル塔は風の当たる力を和らげバランスを保ちやすいように作られています。エッフェル塔の外観には優秀なエンジニアだったエッフェルの科学的な視点が含まれているのです。パリにはエッフェルが晩年に建設したエッフェル空気力学研究所があり、今も空気に関する様々な実験が行われています。

ボルドーにもあるエッフェルの作品
エッフェルの作品はフランスの各地に残っています。その代表作として知られるのがボルドーにあるエッフェル鉄道橋。当時はフランス一の長さを誇る鉄道高架橋で、現在は使われていませんが歴史遺産として保存されています。

パリ観光地:セーヌ河岸とエッフェル塔
エッフェル塔

歴史3:取り壊しの危機からパリのシンボルになったエッフェル塔

様々な議論を呼んだエッフェル塔は20年後の1909年には取り壊しが決定していました。しかし軍事用の無線電波の送信に使えることが分かり、その後も利用されることになりました。そのうちにエッフェル塔の美学に共感するギョーム・アポリネールのような詩人が現れます。「ミラボー橋」で有名なアポリネールは1900年の万博のためにパリへやってきました。そして新しいパリのモニュメントになったエッフェル塔を美しいと感じた数少ない人間の一人となりました。その後、初期のラジオ放送の巨大なアンテナとして利用されることになり、現在は頂上部分を改造してラジオとテレビのアンテナが設置されています。観光用だけではなく実用でも重要なエッフェル塔。今ではパリにエッフェル塔がないことは考えられないくらい、パリを象徴するモニュメントになっています。エッフェル塔のなかったパリから、エッフェル塔があるパリへ。人間の美学は時とともに変わっていくことをエッフェル塔は伝えています。

パリの版画家が描いたエッフェル塔版『冨嶽三十六景』
エッフェル塔は今では毎日のように写真の被写体になっていますが、完成当時その姿を版画で残した作家がいました。アンリ・リヴィエールはパリの版画家です。葛飾北斎の『冨嶽三十六景』に感銘を受け、様々な場所から見たエッフェル塔のある風景を描いた連作『エッフェル塔三十六景』を制作しました。まだエッフェル塔が完成間もない頃のパリの様子が活き活きと描かれています。江戸の庶民を描いた葛飾北斎の版画のように、当時のパリの街で暮らす人々の生活がよく分かります。

屋根裏から見るエッフェル塔
パリで活動する写真家のポール・スコンドゥ(Paul Second)は、アパルトマンの屋根に上ってエッフェル塔を背景に添えた美しい写真を撮り続けています。彼のSNSのフォロワー数は50万人以上で、地上からはなかなか見られない特別なパリの風景を見ることができます。

パリ観光地:エッフェル塔の下にある売店
エッフェル塔の下にある売店

エッフェルの足元へ行ってみよう

遠くから眺めるエッフェル塔もいいですが、パリを訪れたら是非塔の足元まで行ってみましょう。エッフェル塔のすぐ近くにはお菓子やジュースを売る店やメリーゴーラウンドがあり、観光地の賑わいを感じることができます。またエッフェル塔は東京タワーと違い、塔の真下をくぐることができます。この中に入ると空間の広さに驚きます!その向こうに広がるのはシャン・ド・マルス公園(Parc du Champ de Mars)。公園の先にルイ15世によって1751年に建てられた王立軍事学校(Ecole Militaire)、そしてパリでは珍しい高層ビル「モンパルナスタワー」が見えます。パリを訪れた際にはエッフェル塔の下でパリという設計空間の素晴らしさを実感してみてはいかがでしょうか。
パリ観光基本情報
エッフェル塔 / La Tour Eiffel
パリの観光地
オープン:1889年
住所:Champ de Mars, 5 Avenue Anatole France, 75007 Paris
最寄メトロ:Bir-Hakeim(ビラケム)、Trocadero(トロカデロ)、RER線Champ de Mars Tour Eiffel(シャン・ド・マルス・トゥール・エッフェル)
エリア:エッフェル塔周辺
カテゴリ:パリの観光スポット
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エッフェル塔へのアクセス(地図)
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