ジョルジュ・ブラッサンス公園
最終更新日:
週末の古本市で有名!国民的歌手の名前がつけられた緑豊かな公園
パリ15区は観光地として恵まれてはいませんが、その分地元の人が通う穴場のスポットが多く点在しています。ジョルジュ・ブラッサンス公園もその一つで、古本市が開かれる公園として知られています。かつての市場と食肉処理場の跡地にできた珍しい公園で、市場の構造物の一部が今も園内に残っています。公園の名前はフランスの有名な歌手であるジョルジュ・ブラッサンス(George Brassens, 1921-1981)に由来します。国民に愛されたこの歌手は公園のすぐ隣に住んでいました。魚市場や馬市場の跡地に建てられた
ジョルジュ・ブラッサンス公園は1984年に開かれました。それ以前、この場所には魚市場、馬市場、食肉処理場(屠殺場)がありました。市場と食肉処理場は1894年から1897年の間に建てられましたが、1970年代以降に人口が増えると周囲が住宅地に変わり、徐々に閉鎖されていきました(食肉処理場は1975年に閉鎖)。パリ市は最初、跡地を公営住宅かスポーツ施設にしようとしていましたが、その土地がの地盤が不安定であることを技術者が発見し、公園を作ることに決めました。 新しい公園は古い市場の一部を残す形で進められ、特に食肉処理場を示す門と魚市場の鐘楼、馬市場の鉄製のシェルターが残されました。旧市場時代の彫像や鐘楼が残る
ジョルジュ・ブラッサンス公園には子供から大人まで楽しめる様々な工夫がされています。大人向けには18世紀の農地を再現したブドウ畑、本格的なテアトル(劇場)、バラの庭園、薬効で香りのよい植物が植えられた庭もあります。子供向けには「ジョルジュ・ブラッサンス」と書かれたメリーゴーラウンド(回転木馬)や人形劇場、ポニー乗り場などもあり、飽きることがありません。公園の中央入り口の門には牛の彫像が残っており、かつてここが食肉処理場だったことを教えてくれます。古い門はブロンズ製の馬の頭飾りがついています。かつての魚市場の古い鐘楼は池のそばに建っています。また園内には1989年に造られたジョルジュ・ブラッサンスの胸像が設置されています。芝生と木の木立で囲まれた大きな池の周りでは、地元のパリジャンが読書をしたり会話を楽しんだり、思い思いの時間を過ごしています。公園にいるとパリの人々の様々なライフスタイルを見ることができ、ある意味人生観察の場ともいえます。週末に開かれる古本市で人気!
ジョルジュ・ブラッサンス公園の名物イベントといえば、週末に開かれる古本市です。かつての馬市場の鉄製シェルターの中で開催され、毎週末には多くの本好きが集まります。美術書、コミック、写真集、文学、絵本、古雑誌など、売られている本のジャンルは幅広く、どんな人でも気軽に入って楽しむことができます。お気に入りの本を見つけて公園で休憩するのもパリの週末の素晴らしい過ごし方でしょう。ジョルジュ・ブラッサンスとは
1921年、南仏の港町セートで生まれる。父の職業は石工。モンペリエの高校で学んだが、少年時代よりシャンソンに魅了され、高校を中退後はパリに上京。叔母の家に寄宿しながらルノーの自動車工場などで働き、詩やシャンソン、小説を書く。戦後は彼の才能を認めた仲間の紹介で様々なキャバレーやミュージックホールに出演。その間にシャンソンを書いてレコードも制作。代表作は『悪評』(La Mauvaise Reputation, 1952)。『雨傘』『墓掘人』などでディスク大賞を受賞、テアトル・ナショナル・ポピュレールでは30回の公演を行い、9万人の聴衆を動員した。またルネ・クレールの映画『リラの門』(原作はルネ・ファレの『ラ・グランド・サンチュール』)に出演し、俳優としても活躍。小説や詩集を出版し、アカデミー・フランセーズの詩部門の年間最優秀賞も受賞した。多くのフランス国民に愛されたシャンソニエだったが、1981年に故郷セートで死去。現在はペール・ラシェーズ墓地に彼の墓がある。
- パリ観光基本情報
- ジョルジュ・ブラッサンス公園 / Parc Georges-Brassens
- パリの観光地
- オープン(完成):1984年
- 住所:2 Place Jacques Marette, 75015 Paris
- 最寄メトロ:コンベンション(Convention)、ポルト・ドゥ・ヴァンブ(Porte-de-Vanves)
- エリア:パリ15区
- カテゴリ:パリの観光スポット
- 関連:その他のおすすめパリ観光
ジョルジュ・ブラッサンス公園へのアクセス(地図)
ジョルジュ・ブラッサンス公園へのアクセス(地図)