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パリ観光地:サン・ジェルマン・デ・プレ教会

サン・ジェルマン・デ・プレ教会
l'Eglise de Saint-Germain des Pres

パリで最も古い教会
パリ観光地:サン・ジェルマン・デ・プレ教会
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サン・ジェルマン・デ・プレ教会

パリ最古の教会へ

サン・ジェルマン・デ・プレ駅から地上に出てしばらく歩くと、一際大きな建物が見えてきます。どっしりとした石造りの外観からもそれがとても古い建造物であることが分かります。ここがパリで有名な教会の一つ、サン・ジェルマン・デ・プレ教会。パリで最も古い教会です。

この教会の歴史は6世紀までさかのぼります。542年のスペイン遠征の際に当時のパリ王であったキルデベルト1世がキリスト磔刑の十字架と聖ヴァンサン(3世紀スペインの殉教者)のチュニカを持ち帰りました。それらの聖遺物を納めるために当時はまだパリ郊外であった野原に修道院を建てました。これがのちのサン・ジェルマン・デ・プレ教会(修道院付属の教会)となりました。

王たちの眠る「野原のサン・ジェルマン」

キルデベルト1世はフランク王国(メロヴィング朝)の初代国王クロヴィスの息子で、この時代のパリ国王となった人物。のちにこの教会に自身も埋葬され、それ以降ここがメロヴィング朝の霊廟となりました(サント=ジュヌヴィエーヴの丘に葬られた初代国王クロヴィスとサン・ドニへの埋葬を選んだ最後の国王ダゴベルトの2人は例外)。576年にパリ司教であった聖ジェルマンが葬られたことから、「野原の聖ジェルマン」を意味するサン・ジェルマン・デ・プレ教会と呼ばれるようになりました。

強大な権力をもったパリ最大の修道院

なにもない野原に建てられたサン・ジェルマン・デ・プレ教会は、8世紀には大小1万7000の修道院をまとめるベネディクト修道会の一翼を担っていました。この修道会から輩出された高位聖職者は多く、教皇24名、皇帝43名、国王44名、枢機卿200名、大司教1600名、ローマ教会公認の聖人1560名など、その数は膨大になっています。当時のサン・ジェルマン・デ・プレ教会はローマ教皇以外に逆らえるものがいないほどの権力を持つ大修道院だったのです。

ノルマン人による破壊

大きな権力を誇ったサン・ジェルマン・デ・プレ教会でしたが、修道院の建物は9世紀に侵入してきたノルマン人のために4度に渡り破壊されました。現在の教会は990年から1021年に再建されたものです。その後修道士の増加によって、広い内陣を建てる必要に迫られ増築されました。その後、ゴシック様式の回廊と食堂、特にピエール・ド・モントルイユによる聖マリア礼拝堂の存在によって、サン・ジェルマン・デ・プレ教会は最も美しい中世修道院の一つとなりました(聖マリア礼拝堂は19世紀に解体されて現存していません)。

修道院の周りに築かれた城壁

パリでの権力は拡大していきましたが、サン・ジェルマン・デ・プレ教会はパリの外の野原にある教会であり、12世紀にフィリップ・オーギュストの城壁が築かれたときもまだパリ城壁の外に位置していました。14世紀後半になると、100年戦争で攻め入ってきたイギリス軍に対抗するため、新たにシャルル5世の城壁がパリ右岸に築かれました。その際に、サン・ジェルマン・デ・プレ教会の周囲にも個別に城壁が巡らされ、セーヌ川へと注ぎ込むお堀が造られました。17世紀末になるとこのときの城壁と要塞が取り壊され、住宅地になりました。今では高級住宅地となっており、この一帯をフォーブール・サン・ジェルマン"Le faubourg Saint-Germain"(城郭外のサン・ジェルマン)と呼ぶのはそのためです。

フランス革命によって衰退

18世紀のフランス革命期になると、権力の象徴であった大修道院は廃止され、膨大な蔵書は没収となりました。教会の中には硝石精製所が置かれ、メロヴィング朝の歴代の王が眠る墓碑はなくなりました。その大部分は売却されたり破壊されたり焼かれたりしました。サン・ジェルマン・デ・プレ教会の身廊は雨漏りなどで水浸しになりましたが、王政復古期に修復されました。しかしかつて存在した翼廊の2つの塔は失われました。1841年から63年にかけて、フランドランによって教会内部に新たなフレスコ画が描かれました。

教会の外観

教会の歴史に思いを馳せながら、その外観を見てみましょう。野原の教会から始まった修道院付属のサン・ジェルマン・デ・プレ教会はロマネスク様式の美しい建築で、11世紀以来その姿を何度も変えてきました。屋根には3本の鐘塔がそびえていましたが、現在は1本しか残っていません。フランス最古といわれる堂々とした堅牢な鐘塔です。アーケードとなった最上階は12世紀に手を加えられバルタールによって再度造られたものですが、現在見られる尖塔は19世紀になってから加えられたもの。もともとあったポーチは1607年に増築されたポルタイユ(正面入り口)に覆われて外部からは見えなくなっています。正面右手にある建物は18世紀に造られた司教館です。内陣は12世紀半ばに再建され、シテ島にあるノートルダム大聖堂と同時代の建築。内陣の底には壊れずに残った2つの方形の塔があります。教会の隣にある小公園はかつて修道士の墓地だった場所に造られています。ここは18世紀には修道院の牢獄に囲まれていましたがフランス革命期の1792年にその牢に囚われていた318名の聖職者が殺されました。公園には現在ピカソの彫刻「アポリネールへの賛辞」が置かれています。また園内には1802年に解体されてしまったピエール・ド・モントルイユによる聖マリア礼拝堂の一部が残されています。公園前のラベイ通り(Rue de l'Abbaye)の14番地と12番地にはかつて修道院の壮麗な食堂があったそうですが、革命期の1794年に火事で焼失してしまいました。

教会の内部

教会内部へ入ってみましょう。サン・ジェルマン・デ・プレ教会は修道院付属の教会だったため、規模はそれほど大きくありません。奥行65m、幅21m、高さ19mとなっています。アーチ型の正面入り口を抜けると右手にメロヴィング朝の小さな祭壇があり、この教会の名前の由来となった聖ジェルマンの遺骸が収められています。ロマネスク様式の身廊とトランセプト(翼廊)の天井はかつて木製でしたが、内陣に倣って1646年にゴシック様式のヴォールトに換えられました。彫刻のある柱頭はすべて11世紀の作品を模倣したもので、実物はカルチェラタンにあるクリュニー中世美術館が所蔵しています。内陣の柱頭の大部分にはロマネスク時代に好んで描かれた葉模様、鳥、怪物が描かれています。 それぞれのアーチの上には19世紀の新古典主義の画家アングルの弟子であったフランドランによる宗教絵画(キリストの生涯を描いたものと旧約聖書の挿話に関するもの)が残っています。 内陣と後陣回廊は12世紀の建築がほぼそのまま残っています。トリフォリウム(側廊上部にある小さな通路)の小円柱に再利用されている大理石の柱身は教会を立てたキルデベルト1世の時代に使われていたもので、これらの石だけが、サン・サンフォリヤン礼拝堂とノートルダム大聖堂で発見された遺跡とともに、メロヴィング朝の名残を今日に伝えています。

現在はパリ音楽祭の会場にも

現在サン・ジェルマン・デ・プレ教会はパリ随一の観光地として多くの旅行者を迎え入れています。またクリスマスのミサのコンサート会場になったり、毎年6月21日に行われる音楽祭の会場にもなり、人々が集まる場所になっています。以前音楽祭の日にここを訪れたときには、教会の前でジャズのグループが演奏していました。
パリ観光基本情報
サン・ジェルマン・デ・プレ教会 / l'Eglise de Saint-Germain des Pres
パリの観光地
オープン:558年
住所:3 Place des Saint-Germain des Pres
最寄メトロ:Saint-Germain des Pres(サン・ジェルマン・デ・プレ)
エリア:
カテゴリ:パリの観光スポット
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