パリの観光スポット
パリ観光地:フランス学士院

フランス学士院
Institut de France

「アカデミー・フランセーズ」で有名なフランス最古の学術団体。   
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フランス学士院

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フランス学士院

フランス最古の学術団体

芸術橋(ポン・デ・ザール)をルーヴル美術館側から歩いて行くと、目の前にシンメトリックで荘厳な建物が見えてきます。ここはフランス学士院(アンスティチュ・ドゥ・フランス)と呼ばれる国の施設。観光スポットではないため、多くの人はその外観を見るだけで素通りしてしまうことが多いのですが、フランス文化にとってひどく重要で象徴的な場所として知られています。「フランス語の純化」という仰々しい目的を持つアカデミー・フランセーズなどの国立学術団体が入っていて、今もフランスの文化を継承するための活動を行っています。

フランス学士院の歴史

フランス学士院は元々、王立のアカデミー(国王のための学術機関)でした。17世紀の絶対王政の元で設立されましたが、フランス革命後に廃止になります。そして1795年にフランス学士院として新たに創設されました。現在はアカデミー・フランセーズ(1635〜)、碑文・文芸アカデミー(1663〜)、科学アカデミー(1666〜)、芸術アカデミー(1816〜)、倫理・政治学アカデミー(1795〜)の5団体で構成されています。中でもアカデミー・フランセーズは最古の学術機関であり、ブルボン朝の国王ルイ13世の宰相リシュリュー枢機卿によって設立されました。フランスにおける学問の頂点に位置する組織として、フランス語を理解可能な言語に純化・保護・統一することを目的としています。具体的な仕事として「アカデミー・フランセーズ辞典」と呼ばれるフランス語の辞書の編纂があります(初版は1694年)。

謎の多いアカデミー・フランセーズの会員

アカデミー・フランセーズ会員は学者や作家など、多様な分野で活躍する40名の会員で構成されています。会員たちは毎週木曜日にフランス学士院に集まって会議を行います。日常生活とはかけ離れた場所というイメージが強いですが、毎年新たな会員が選出されてメディアのニュースにもなっています。2022年にはアカデミー・フランセーズ会員として作家で文学評論家のアントワーヌ・コンパニョン氏が選ばれました。パリの高級宝飾ブランドのブシュロンは、コンパニョン氏のためにオーダーメイドの剣を作成しました。アカデミー・フランセーズの会員は、その地位を示す象徴として緑色の礼服と腰につけた剣で正装する伝統があります。ブシュロンは今までにも歴代のアカデミー・フランセーズ会員のためにオリジナルの剣を複数作成してきました。

限られた人だけが聴ける秘密の儀式が行われる

謎の多いフランス学士院ですが、パリ的な行事が行われることで知られています。フランスでは伝統的にこのアカデミーの一員になると、インモルテル(不死)の名を冠せられます。その名誉ある新しい会員を迎える儀式では、パリの伝統行事の中でも最もパリらしいものの一つとされ、儀礼刀をつけた大礼服の会員の前で新入会員によるお礼の演説が行われます。その演説は限られた400名の聴衆だけが聴くことができるそうです(聴衆席は「緑の座席」と呼ばれています)。その演説の内容はラテン的なエスプリに満ちたもので、それこそフランスの文化が古代から受け継がれていることの証拠といえます。

12世紀に建てられたネールの塔の痕跡

フランス学士院が建てられる前、その場所には「ネールの塔」(La Tour de Nesle)と呼ばれる建物がありました。ネールの塔はフィリップ・オーギュストの時代(1200年頃)に建てられたパリの塔で、中世のパリの城壁の一端をなしていました。つまり当時はここがパリの端でした。外敵の侵入を防ぐ見張り台であったネールの塔は、対岸のルーヴルの塔と向かいあう形で立っていました(夜間に2つの塔は外敵防止のために大きな鎖でつながれたそうです)。現在はフランス学士院とルーヴル美術館という2つの文化施設が向かい合う場所に、中世は2つの堅牢な塔が立っていたのです。その後ネールの塔はカペー朝フィリップ4世の手に渡ります。この時代、ネールの塔で王位継承を揺るがすスキャンダルがありました。

ネールの塔で起きたスキャンダル

そのスキャンダルはある密告から始まりました。皇太子の妃たちマルグリッドとブランシュがゴーティエとフィリップ・ドーネイというノルマン系の兄弟騎士と不貞を働いていたのです。これは妃たちの義理の妹であったイザベルの密告によって発覚しました。1308年にイギリス国王エドワード2世に嫁いだイザベルがイギリス土産として妃たちに刺繍入りの財布を買ってきたのですが、年末にロンドンで開催されたパーティーで何故か騎士たちがその財布を持っていたことに不信を抱き、父の国王に知らせました。その後国王による調査で妃たちの不貞が明らかになったようです。当時ネールの塔はそのような情愛の場として使われていたようです。不貞を働いた2人の妃は終身刑となり幽閉され、相手の騎士2人は拷問された後にグレーヴ広場で処刑されました。

ネールの塔に伝わる恐ろしい伝説

またネールの塔にはこのスキャンダル以上に恐ろしいある伝説が残されています。ネールの塔の女主人が毎夜塔の下を通りかかる美青年に声をかけては館に連れ込み食事を与え、情事を楽しんだ後に殺してセーヌ河に捨てたという話です。この恐ろしい殺人から逃れられたのはその後パリ大学総長となった神学者ジャン・ビュリダンだけだったそうです。この逸話はのちにフランソワ・ヴィヨンの詩に書かれ、またアレクサンドル・デュマによって戯曲となりました。この戯曲『ネールの塔』は舞台化され、ジャン・ビュリダンが仇討ちをする設定が人気を博し、800回以上も上演されたそうです。

伝説にもなったネールの塔は数百年物間ネール館の一部でしたが、1660年に取り壊されました。現在その塔は残っていませんが、フランス学士院の向かって左側の建物の外壁にネールの塔があったことを示す記念板が掲げられています。
パリ観光基本情報
フランス学士院 / Institut de France
パリの観光地
オープン(完成):17世紀
住所:23 quai de Conti, 75006 Paris
最寄メトロ:Pont Neuf(ポン・ヌフ)
エリア:サン・ジェルマン・デ・プレ
カテゴリ:パリの観光スポット
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