パリの観光スポット
パリ観光地:ムーラン・ド・ラ・ギャレット

ムーラン・ド・ラ・ギャレット
Moulin de la galette

モンマルトルにあったかつての風車の名残
パリ観光地:ムーラン・ド・ラ・ギャレット

ムーラン・ド・ラ・ギャレット

モンマルトルにあったかつての風車の名残

モンマルトルの丘を登っていくと、ひと際大きい風車が目に入ります。19世紀にダンスホールに改造された風車小屋ムーラン・ド・ラ・ギャレットです。かつてこの辺りは田園風景が広がり、小麦を作るための風車が回っていました。この風車はその数少ないオリジナルの一つです(もともとは1292年に作られた非常に古い風車でしたが、その後修復されました)。

かつて風車はパリの風景の一部だった
小麦を食料として使っていた中世ヨーロッパ都市にとって、風車は日常の風景に存在するものでした。中世のパリも例外ではありません。しかし19世紀に蒸気機関が発明されると、都市化の波とともにその役目を譲って徐々に消えていきました。中にはこのムーラン・ド・ラ・ギャレットやムーラン・ルージュのように食堂や安酒場、観光スポットとして余生を送る風車もありました。ゾラの小説『居酒屋』に出てくる大衆酒場〈銀風車〉もその一つです。

元々この風車はナポレオンがエルバ島に流された1814年以降、モンマルトルに住む人々が外国軍に抵抗するための本拠地として使われていました。当時ロシア軍に占領されたときには、小麦の製粉所の主人が抵抗して殺され、その体が風車の翼に張り付けられたこともありました。その後ナポレオン3世の第二帝政時代に、田舎作りのダンスホールに改造されたのがムーラン・ド・ラ・ギャレットの始まりです。「ガレット(焼菓子)の風車」という意味を持つこの気軽なダンスホールは20世紀初頭まで賑わい、多くの芸術家や労働者、お針子の女性たちが集まりました。

19世紀に流行した野外酒場ギャンゲット

ムーラン・ド・ラ・ギャレットは当時流行のギャンゲット(guinguette)でした。ギャンゲットとは「野外のダンス酒場」、つまりパリ郊外の大衆酒場です。ガンゲットの起源は19世紀にさかのぼります。当時パリの境界にはこうしたギャンゲットがたくさんあり、酒税がかからないため安いワインを飲むことができました。そこで飲まれた白ワインが「ギャンゲ」と呼ばれていたため、ギャンゲが飲める野外酒場をギャンゲットと呼ぶようになったそうです(諸説あり)。言わば「歌って踊れる庶民の酒場」。郊外は空気も良いので田舎の散策の休憩所として愛され、夏の日曜日には家族連れ、月曜日には労働者、木曜日には学生たちで賑わったそうです。フランス人にとって、音楽とダンスとお酒が生きるためにいかに重要な要素であったかが分かります。当時のパリのガイドブックにも観光カテゴリとしてガンゲットの項目があり、パリの労働者階級のレジャー風俗を知るのに最適と書かれています。

当時のおすすめギャンゲット
当時のパリ案内ではオススメのギャンゲットが紹介されています。メーヌ門の〈ゲーテ庭園〉、モンパルナスの〈ミル・コロンス〉、モンマルトル麓の〈隠者の庵〉、メニルモンタンの〈緑の格子〉、ベルヴィルの〈愛の島〉など。〈隠者の庵〉は小説『居酒屋』『ナナ』の主人公ナナのお気に入りでした。また〈愛の島〉はパリ拡張によってマルヌ川の岸辺に移転しました。ラディケの小説『肉体の悪魔』にもこのお店が登場します。『肉体の悪魔』はマルヌ川を舞台にした不倫の物語です。

ギャンゲットのおすすめメニュー
郊外のダンス酒場であるギャンゲットでは、料理も提供されました。おすすめはウサギ料理で、モーパッサンの短編『ピクニック』にも登場します。フランス人にとってウサギはジビエ料理にするための狩りの対象でした(現在でも食べられています)。

庶民の交流の場となったギャンゲットは七月王政の時代(1830-1848)に全盛期を迎え、1830年にはパリ市の内外に367軒ものギャンゲットがありました。当時はパリ郊外だったモンマルトルの丘にあるムーラン・ド・ラ・ギャレットもそんなギャンゲットの一つでした。そんなモンマルトルの風車の光景は、19世紀のパリを舞台にしたエミール・ゾラの小説『居酒屋』にも頻繁に登場します。しかし、ギャンゲットは1848年の二月革命を境に減っていきました。1850年以後の数年間で、半分の店舗は閉店したそうです。1860年のパリ改造でパリの境界が拡張されてからは、残っていたギャンゲットもパリ市内に取り込まれて営業を続けることができなくなり、自然の多いパリ郊外に店を移転するようになりました。その多くは郊外のセーヌ川沿いやマルヌ川沿いにありました。

通りやお店の名前として残る風車
パリの風車はほとんど消えてしまいましたが、その痕跡は通りの名前として今も残っています。「風車通り」(rue des Moulins)や「綺麗な風車通り」(rue du Moulin-Joly)、「緑の風車通り」(rue du Moulin-Vert)、「乙女の風車通り」(rue du Moulin-de-la-Vierge)など、風車にちなんだ名前の通りがパリ市内に残っています。当時の風車の姿を見ることは想像でしかできませんが、パリ14区のダゲール通りにある「乙女の風車」という名前のパン屋のウィンドウには当時の風車の牧歌的な絵が飾られています。その当時、パン屋と風車は切っても切れない縁があったことを気づかせてくれます。他にもモンマルトルには「2つの風車カフェ」(Cafe des 2 Moulins)という名前のカフェがあり、映画『アメリ』の舞台になりました。

ゴッホやルノワールに描かれた風車

当時の活気あふれるムーラン・ド・ラ・ギャレットの様子は、多くの画家によって描かれました。当時モンマルトルの丘には安いアパルトマンが多く、お金のない画家たちがたくさん暮らしていたためです。有名な作品はルノワールの『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』(1876)。多くの人々が席に座って談笑したり、ダンスを踊ったりしている様子が描かれており、19世紀にこのダンスホールがどんなに繁盛していたかを知る貴重な資料でもあります。この絵画は現在はオルセー美術館に所蔵されています。ルノワールの絵を見ると、モンマルトルの素朴で陽気で庶民的なカフェであったムーラン・ド・ラ・ギャレットの雰囲気がよく伝わってきます。ゴッホによる『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』(1886)もあり、当時の素朴で美しいお店の外観を見ることができます。他にロートレック、ピカソ、ユトリロ、コローなどの画家たちも当時のムーラン・ド・ラ・ギャレットの様子を残しています。コローの描いたムーラン・ド・ラ・ギャレットはとても写実的で、まるで少し遠くからその風景を実際に見ているかのようです。ピカソがパリに移り住んで初めて描いた絵が、このムーラン・ド・ラ・ギャレットでした。

現在のムーラン・ド・ラ・ギャレット

20世紀初頭まで庶民的なギャンゲットやダンスホールとしてにぎわっていたムーラン・ド・ラ・ギャレット。現在はレストランとして運営されています。サクレクール寺院の西側にあり、モンマルトル観光の合間に寄ることができます。店内に入らなくても風車の姿を見ることができ、モンマルトルの丘を象徴するランドマークになっています。風車小屋のレストランで昼食をとり、ルノワールによって描かれたかつてのダンスホールの名残を味わってみるのもいいかもしれません。

他にもあるパリの風車
パリの風車はモンマルトル以外にも残っています。元修道院だったロンシャン競馬場やポルト・ディヴリー近くには立派な風車が残っており、またモンパルナス墓地には「慈愛の風車」(Moulin de la Charite)と呼ばれるカリタス修道院所有の風車が残っています(胴体部分のみ)。この修道会は17世紀半ばに風車の脇の土地を購入して墓地を作り、これがモンパルナス墓地の始まりでした。

パリ観光基本情報
ムーラン・ド・ラ・ギャレット / Moulin de la galette
パリの観光地
オープン(完成):
住所:83 rue Lepic, 75018 Paris
最寄メトロ:Abbesses(アベス)、Lamarck Caulaincourt(ラマルク・コランクール)
エリア:
カテゴリ:パリの観光スポット
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