パリの観光スポット
パリの通り:オデオン通り

オデオン座
Odeon Theatre de l'Europe

サラ・ベルナールも演じた新古典主義建築の劇場   
臨時休業中

オデオン座

パリの通り:オデオン座(オデオン通り)
オデオン座

カルチェラタンにあるパリを代表する国立劇場

サン・ジェルマン大通りから南に伸びるオデオン通りを歩いていくと、目の前に大きなギリシア・ローマ様式の建築物が現れます。パリを代表する劇場の一つであるオデオン座です。場所は学生街カルチェラタンで、ここは元々フランスの貴族であるコンデ公の館の庭でした。フランス革命前の1782年からあるとても古い劇場で、当時のフランス人の趣味で新古典主義建築(古代風)として造られました。最初はコメディ・フランセーズ劇団管轄のフランス劇を演じる劇場でしたが、最近では前衛劇や外国の作品も多く演じられています。客席は馬蹄型で5階層になっていて、アンドレ・マソンの現代的な天井画(1963年制作)が見られます。人気のパリ観光地であるリュクサンブール公園もすぐ近く。ジャック・リヴェット監督の映画『彼女たちの舞台』にも登場しました。

オデオン座の歴史

オデオン座がコンデ館の庭に面して建てられたのは革命前の1782年。フランス劇で有名なコメディ・フランセーズ劇団の劇場としてオープンしました。当時このコメディ・フランセーズの俳優たちはチュイルリー宮殿の劇場に身を寄せて活動をしていました。オデオン座の開場初日にはルイ16世の王妃だったマリー・アントワネットも臨席したそうです。オデオン座は現代までに歴史の大きな波にもまれてきました。当初の劇場名はフランス座(Theatre Francais)でしたが、フランス革命の直前には国民劇場(Theatre de la nation)と改名され、その後も平等劇場 マラー支部(Theatre de l'Egalite section Marat)と名前を変えて営業を続けました。しかし大革命の最中に劇団は分裂し、劇場は閉鎖されます。

オデオン座という名前になったのは1797年。ある団体が「オデオン」(Odeon)という名前の元に劇場を復活させたことがきっかけでした。オデオンとはギリシア時代、音楽コンクールの開催された建物のことです。再開当初は演奏会やバレエの上演が行われ、その後演劇が上演されましたが成功はしませんでした。1799年には火災に見舞われ、その後ナポレオン1世によって復旧。1807年に凱旋門の建築で有名なシャルグランによって再建されました。そして名前も皇后劇場(Theatre de l'Imperatrice)に変わりました。ナポレオン3世の時代には、コメディ・フランセーズから抜け出た女優サラ・ベルナールが1872年まで公演を行ったこともあります。この時代、アルフォンス・ドーデの戯曲『アルルの女』が上演されて成功を収めましたが、有名になった作者や俳優たちの努力も実らずオデオン座から客足は遠のき、パリ市民の関心は右岸の劇場に移っていきました。

その後も火災や革命、戦争などを経て、そのたびに名前が変わりました。劇場の役割もその時々によって革命派の拠点になったり、戦争時には負傷者の収容所になったり、ドイツ軍の駐在所になったりしました。戦後はコメディ・フランセーズ劇団の第2劇場となり、右岸にあるパレ・ロワイヤルの第1劇場はリシュリュー館(Salle Richelieu)、左岸にあるオデオン座はリュクサンブール館(Salle Luxembourg)と呼ばれました。ド・ゴール大統領の時代には文化相アンドレ・マルローがオデオン座をコメディ・フランセーズから引き離し、フランス劇場(Theatre de France)と改名してジャン=ルイ・バローとマドレーヌ・ルノー夫妻に監督を任せます。当時ルノー=バロー劇団(la troupe Renaud-Barrault)を組織して旅興行をしていたジャン=ルイ・バローは、オデオン座で演劇活動を行い、世界の劇団を招くきっかけを作りました。ジャン=ルイ・バローはフランス映画『天井桟敷の人々』の俳優(バチスト役)として有名です。

しかし1968年の五月革命によってオデオン座は学生に占拠され、劇団も追われることになります。その後1971年にはジョルジュ・ポンピドゥー大統領の元で再びコメディ・フランセーズの管轄に戻り、現在の名前である国立オデオン劇場(Theatre national de l'Odeon)に改名されました。ミッテラン大統領の時代には、フランスが欧州連合(EU)に組み込まれる機運の中でヨーロッパ劇場の構想を考案し、従来のフランス劇だけでなく海外の公演も催すようになりました。1990年にはコメディ・フランセーズ劇団から完全に離れ、ヨーロッパ劇場(Theatre de l'Europe)として運営されています。その後は前衛的な劇や外国の作品もたくさん演じられるようになりました。2006年には大幅に改装され、パリの北部にはアトリエ・ベルティエという別館もできました。

2021年3月4日、新型コロナウイルスによって文化活動の停止を余儀なくされているアーティストたち(閉鎖措置反対グループ)がオデオン座を占拠。自分たちの境遇と労働環境の改善を訴えました。この劇場占拠運動はSNSでも話題になり、パリだけでなくフランス全域に広まり、多くの劇場が占拠されました。要求内容には政府勧告によって閉鎖されている文化施設の再開や失業保険改革法案の撤廃、アンテルタミン(芸術分野の不定期労働者のための失業手当制度)の再延長などが含まれていました。そこに経済苦を訴える学生などの運動も合流し、その動きはさらに広がっています。
パリ観光地:リュクサンブール宮殿
リュクサンブール宮殿(リュクサンブール公園)

リュクサンブール公園やサン・ジェルマン・デ・プレにも近い

オデオン座の近くは散策にも最適です。オデオン座の前にあるオデオン広場(Place de l'Odeon)にはラシーヌやコルネイユなどの有名な作家の名を冠した通りが集中しており、その一角はいわゆる「百科事典学派」の根拠地になっていました。オデオン座の近くにはマロニエの木々の緑が美しいリュクサンブール公園があり、高級ブティックの並ぶサン・ジェルマン大通りまでもすぐです。通りの端にあるオデオン広場には、編集者カフェという名前の少々スノッブなカフェがあります。
パリの通り:オデオン通り
シェイクスピア&カンパニー書店のあった場所。現在はブティックになっている(オデオン通り)

オデオン通りには『ユリシーズ』を出版した書店があった

オデオン座の前にはオデオン通りが北に向かって走り、そこは短いながらも文学にとって重要な歴史的スポットがあります。オデオン通り12番地にはかつてシェイクスピア&カンパニー書店(Shakespeare and Company)があり、長い間パリに住むアメリカ人の文学的シンボルとなっていました。アメリカ人女性シルヴィア・ビーチによって1919年にオープンしたこの英語専門の書店は、当初は無名の小さな書店でした。しかしアイルランドの作家ジェイムズ・ジョイスの問題作『ユリシーズ』を出版(1922)したことでも有名になり、英語を読みたいアメリカ人たちにとって心の拠り所であり続けました。
パリ観光基本情報
オデオン座 / Odeon Theatre de l'Europe
パリの観光地
オープン(完成):1782年
住所:Place de l'Odeon, 75006 Paris, フランス
最寄メトロ:オデオン(Odeon)
エリア:カルチェラタン
カテゴリ:パリの観光スポット
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オデオン座へのアクセス(地図)
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