メニルモンタン
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変化し続ける未来のカルチエ
パリ20区の丘陵地帯にあるエリア。パリ北東部の高台にある下町情緒の溢れる地区で、多くの写真家や映画監督がこの地区を撮りました。かつては労働者の街でありアラブ・アフリカからの移民が多いですが、現在は最先端の文学カフェや小劇場が増え、パリで最も流行に敏感な若者が集まる魅力的なカルティエにもなっています。定義できない未来のパリの一つがここにはあり、その形は変化し続けています。丘の上(坂道)からパリの中心部が一望できるのもメニルモンタンの魅力の一つ。メニルモンタンの歴史(1):「悪い所」という名の村だった?
メニルモンタンとは元々「悪所、悪天候な集落」(Mesnil Mautemps)の意味で、16世紀になって"Mautemps"が「上にあがる」という意味の"Montant"に転化しました。19世紀前半まで、メニルモンタンはパリではなくベルヴィルと呼ばれるパリ近郊の独立した村でした。10世紀頃から大小の修道院がこの土地を所有し、その後労働者やブドウ栽培者が住み始めます。そのためメニルモンタンの丘にはかつてブドウ畑が広がっていて、その名残である曲がりくねった魅力ある坂道が今も残っています。1860年にパリの一部になるまでは物品入市税の境界だったため、ガンゲットと呼ばれるダンスホールを兼ねた酒場などが増え、怪しげな刺激を求めて多くのお忍びの紳士やヤクザな男たちが集まる文字通りの「悪所」でした。それは同時に下町情緒を色濃く残す場所でもあり、メニルモンタンはそこに住む多くの人に愛されました。気さくなメニルムッシュ
メニルモンタンで生まれたフランスの映画俳優モーリス・シュヴァリエはこの地区を親しみを込めて「メニルムッシュ」(Menilmuche)と歌い、この地区は庶民的で気さくな下町として親しまれました。
歴史(2):多くの地方人を受け入れた気さくな下町
1850年代になると、セーヌ県知事ジョルジュ・オスマンによるパリ改造が行われ、中心街から外へ追いやられた人々がメニルモンタンやベルヴィルに住み始めました。フランス中部からやってきたオーヴェルニュ人もここへ住みつき、煙突掃除や石炭売りなどの肉体労働をしました。彼らの妻が夫の仕事中に店のカウンターで客に酒やコーヒーを出したことが、今のパリ・カフェ文化の発祥ともされています。そのためパリにある多くのカフェのオーナーはオーヴェルニュ人。パリが大規模な都市計画を進行させている1860年、メニルモンタンはパリ市に編入されました。霧のメニルモンタン
当時まだメニルモンタンではガス設備のある家が少なく、食事の際には暖炉に薪をくべて料理していました。そのため煙突は必須の設備で、煙突から流れ出た多くの煙が街全体を霧のように包み込んでいました。オーヴェルニュ人による煙突掃除夫は今でいうエッセンシャルワーカーだったのです。上下水道も完備されていないアパルトマンが多く、地元の住民はお風呂に入るために公衆浴場へ出かけていました。そのような時代はそれから100年近く続いたそうです。
歴史(3):移民を受け入れて国際色豊かな労働者街へ
20世紀後半になると、メニルモンタンはポーランドやロシアなど、多くの国の亡命者を受け入れました。その後、パリが高度成長期を迎えた1970年代、アルジェリアやチュニジアなどから多くの移民が労働者としてやってきます。その結果アラブ、ユダヤ、アフリカ移民が多く住み始め、メニルモンタンは国際色豊かなカルチエ(エスニックタウン)として知られるようになりました。しかしその一方でパリの観光地として取り上げられることはなく、まさに庶民だけの労働地区であり続けました。歴史(3):ボボ・シックや新進アーティストが住む最新流行地区へ
しかし21世紀に入ると、流行に敏感なパリジャンや裕福な外国人がこの地区に目をつけ、アパルトマンを購入するようになりました。そのため地価が上がり、今まで住んでいた移民労働者たちは家賃が払えなくなって郊外に移り住むことになります。徐々にメニルモンタンは新しい生活様式を求めるパリジャンたちが暮らすようになりました。彼らは「ボボ・シック」(ブルジョワ・ボヘミアン・シック)と呼ばれ、労働者街だったバスティーユやオベルカンフ、メニルモンタンを流行の場所に変えていきました。そのため、現在メニルモンタンには最先端のカフェや劇場、ギャラリーができています。特にメインストリートであるオベルカンフ通り付近には若いアーティストによるカフェやバーが多く、今まで観光地としては取り上げられることもなかった生粋の下町が、若者文化の発信源として変化し始めていることは興味深い現象です。パリジャンの最新流行を肌で感じたい方は、この通りを散策してみてはいかがでしょうか。曲がりくねった小道はブドウ畑の名残
変化し続けるメニルモンタンの特徴の一つはその地形にあります。メニルモンタン駅から丘の上まで長々と続くメニルモンタン通りはこの地区のメインストリートで、この道の上からパリ中心部の景色(ポンピドゥーセンター方面)が一望できます。道からパリの市街が眺望できる稀なスポットでもあります。この丘にはかつてブドウ畑が広がっていました。曲がりくねった小さな坂道が多いのはそのためで、現在それらの通りは小路好きにはたまらない散策スポットになっています。メニルモンタン大通りから一歩外れると、魅力的な起伏のある小道に出会うことができるし、中にはメニルモンタンでは珍しい石畳の道まで残っています。他にメニルモンタンの北には活気溢れる中華街のあるベルヴィル地区、東には観光客の絶えない多くの有名人が眠るペール・ラシェーズ墓地があります。フランス映画や写真の舞台になったリアルな下町
パリの観光ガイドブックにはまだこの地区はほとんど紹介されていませんが、ここは数年のうちに流行に敏感なパリ文化愛好者が増えるかもしれません。実際にこの地区を愛した芸術家は多いようです。ロベール・ドアノー(Robert Doisneau)やウィリー・ロニ(Willy Ronis)など、多くの有名なパリ写真家が愛した庶民的なカルチエでもあります。パリで写真を撮った木村伊兵衛は、階段を下りる郵便配達夫の姿を捉えた『霧のメニルモンタン』という作品を残しています。またアルベール・ラモリス監督の映画『赤い風船』の舞台にもなりました。この素晴らしい映画の中でメニルモンタンはファンタジー的な物語と見事に溶け合って魅力的な地区として描かれています。写真家や映画監督に愛された地区メニルモンタン。なんといってもモンマルトルを除いてこんなに魅力的な坂道の多い地区は他にありません。モンマルトルのように観光地化されていないところも魅力で、モンマルトルが好きな方もきっとこの地区も気に入るはずです。魅力あふれる落書きアート
メニルモンタンを歩くと必ず目にするのが壁に描かれた落書き。落書きいっても郊外によくあるようなスプレーの書きなぐりではなく、テーマを持った芸術作品。これらはグラフィティ(落書きアート)と呼ばれ、誰もが見られる街の壁を使って自分たちの考えをストリートアートとして表現しています。メニルモンタンのグラフィティは移民街で生きる若者の自由を願った作品からその通りの由来に関する深い内容まで様々。散策の途中で立ち止まって彼らの声に耳を傾けてみてはいかがでしょう。パリの湧水があった場所
メニルモンタンを歩くと水に関係する通りの名前があることに気づきます。滝通り(Rue des Cascades)、水たまり通り(Rue de la Mare)。ここはかつて湧水が流れていた場所で、そのためにこのような名前が通りについています。ここには湧水監視小屋(写真)が残り、中世から19世紀までマレ地区に水を引いていました。パリの湧水を求めて、メニルモンタンを散策するのも面白いです。メニルモンタンへのアクセス:出発はメニルモンタン駅から
メニルモンタンの散策は、まさにメニルモンタン駅から始めるといいでしょう。11区と20区の境界にあるメニルモンタン駅の目の前から、くねくねと曲がった長大な坂道が延びています。これがメインストリートであるメニルモンタン通り(Rue de Menilmontant)。この辺りはフランス人は少なく、アラブ系、ユダヤ系、アフリカ系の人が多いのが特徴。散策の前に近くの北アフリカ料理屋でボリューム満点のクスクスを食べたり、アラブ菓子を散策のお供にしてもいい。運良く訪れたのが火曜か金曜の朝なら、北のベルヴィルまで延々と続く長い朝市を歩くことができます。メニルモンタンの坂を上ればパリを一望!
地元の人たちに紛れながらメニルモンタンの坂を上ってみましょう。パリ中心部では見られない移民系のお店が多く、パリの下町と国際的な魅力を一緒に感じられる。坂を上りきってふと後ろを振り返ると、視界が驚くほど開けてパリの中心部まで見渡すことができます。ポンピドゥーセンターのカラフルな外観が青空の下に光っています。ここは本当に高い丘で、建物に登らずにパリを一望できる貴重なスポットとも言えます。メニルモンタンの知られざる通りたち
かつてブドウ畑であったメニルモンタンには小さな通りが多い。中でも魅力的なのが小路=パッサージュ(Passage)と呼ばれる「抜け道」で、小さな道が好きな人には絶好の散策スポット。丘の上にはそんな魅力的なパッサージュがいくつかあります。そのうちの一つが恵み小路(Passage de la Duee)で、ここは人が一人と通れるほどの狭さ。パリの素晴らしいところは、どんなに小さな通りにも名前があること。「荷風パリ地図」にこのエリアのことが情熱的に書かれています。本に載っていたPassage du Retrait(隅っこ小路)は残念ながら現在通行止めになっています。他にも滝通り(Rue des Cascades)や水たまり通り(Rue de la Mare)、隠者の住む通り(Rue de l'Ermitage, Villa de l'Ermitage)など、散策愛好者をうならせる魅力的な通りがたくさん。バスで下町メニルモンタンからパリの中心ポン・ヌフへ
散策に疲れたら近くのオーヴェルニュ人の経営する昔ながらのカフェで一息いれるか、メニルモンタン通りをセーヌ河まで文字通り突っ切る96番バスで下ってもいい。坂を下りたメニルモンタンの中心街(メトロ駅前)には、様々なアヴァンギャルドなカフェやバーもある。特にメニルモンタン通りが11区に入るところで名前の変わるオベルカンフ通り(Rue Oberkampf)沿いには魅力的な名前のカフェ(「カフェ殺人者」など!)がたくさんあり、若者に人気の場所となっています。96番バスに乗り続けるとポン・ヌフに着き、突如パリ中心部の喧騒に投げ込まれます。
パリ観光サイト「パリラマ」に関しまして
パリラマはパリを紹介する観光情報サイトです。パリの人気観光地からあまり知られていない穴場まで、パリのあらゆる場所の魅力を提供することを目的としています。情報は変更される場合があります。最新情報はそれぞれの公式サイト等でご確認ください。
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