パリの水の歴史
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パリの朝は水の香り
早朝のパリはどんな匂いがするのでしょう?カフェから流れるカフェ・オ・レの香り?それとも香ばしいバゲットやクロワッサンの甘い香りでしょうか?実は、歩いていて一番に感じるのは、水の香り。それは文字通り、道路に水があふれているためです。車道と歩道の間にある溝から水があふれ、それが川となって流れる風景はパリならでは。これは水道管が壊れているのではなく、清掃用に使われる、飲料水とは別の水道から流れる生活用水です。この水道は元々は飲み水として使われていましたが、19世紀後半のセーヌ県知事オスマンによる大規模な水道網ができた結果使われなくなり、現在は清掃や消化の「非飲料水」として活用されています。今ではアパルトマンで蛇口をひねれば出てくるほど豊富なパリの水。スーパーに行けばエヴィアンやヴィッテルなどのミネラルウォーターが売られ(より安価なミネラルウォーターも売られています)、市内には無料の公共給水泉もあり、どこでも水を飲むことができます。しかし現在のように安全な家庭用水が確保されるまでには、驚くほど長い時間がかかっていました。パリは100年ほど前の19世紀まで、文明都市とは思えない水事情の中で生活していたのです。その歴史を見てみましょう。
路上を流れる汚水、川のごとく
19世紀末まで下水道さえなかったパリでは、各家庭で出された汚物は道路に放り出され、その汚物が雨によって流され、セーヌへと注がれていました。下水道の代わりになっていたのが、道路の中央に刻まれた溝(路上中央溝)でした。家庭から出された廃水と雨水がその溝に集まり、徐々に流れてセーヌへたどり着く仕組みです。左の写真はパリの通りに残る路上中央溝です。七月王政以前、パリの通りの路面にはこの溝が走っていました。路上中央溝は決して清掃されることはなく、夏には水が澱んで腐り、強烈な悪臭を放っていました。しかも台所から出た廃水だけではなく、人間の排せつ物も混じっていたため、その臭気は現代では想像のつかないものだったはずです。そして、その水を馬車の車輪がはね上げ、道行く人にその飛沫がかかりました。最悪なことには、この溝は汚物でよく詰まり、雨が大量に降ると溝から汚水が溢れだして、路上全体を「悪臭の大河」へと変えました。19世紀までセーヌの水を飲んでいたパリジャン
さらに驚くべきことに、かつてパリの人々は、このような排水・汚物が流れ込むセーヌ河の水を飲んでいました。前述のように汚物の入り混じったセーヌの水をくみ上げ、再び口に運ぶのだから、パリの衛生事情がどれほど劣悪だったかが想像できます。パリは数キロ先からでも臭うと言われた「鼻の曲がる都」だったのです。飲料水だけでなく、入浴施設の少なかったパリでは、身体を洗うのにもセーヌの水を使っていました。しかも当時のセーヌ川には廃棄場モンコーフォンから出た汚物がサン・マルタン運河を通って流れ込んでいました。1832年に起きたコレラ流行も、こうしたパリの劣悪な衛生環境で起こるべくして起こったものといえます。パリにできた初期の水道とセーヌ用ポンプ
とはいえ、昔から水道は存在していました。パリ近郊から水を市内へ引き入れ、飲み水として使われていましたが、その水量はごくわずかで、一部の人にしか行きわたりませんでした(おそらく貴族などの上流階級でしょう)。ベルヴィルの丘に残る石造りの丸屋根の小屋は水道の名残ですし、1628年にはマリー・ド・メディシスの水道が完成しました。 しかし、1822年には7万1873の建物のうち、3万の建物にまだ給水設備がありませんでした。その状態は19世紀末まで続き、生活のための水を得るためにパリジャンは毎日苦労を重ねていました。設備のない建物の中庭には井戸が1つあるだけで、仕事を終えて帰ってきた労働者は妻が火を焚いている間に桶を持って中庭まで下り、井戸で水を汲んでから再びアパルトマンに帰るような生活をしていました。または近くの給水栓まで水を汲みにいきましたが、利用可能時間はわずかに数時間だったそうです。そのようにして苦労して汲んできたわずかな水で、生活の全てをまかなうのは大変なことでした。夕飯用の水や飲み水として使い、体を洗うための水が残っていればいいほうでした。 パリ市民に開放されていた給水栓や中庭の井戸にはバケツを持ったパリジャンが集まり、毎日長蛇の列を作っていました。中には水の入った重いバケツをアパルトマンの上階まで運ぶ水汲み業者も現れ、多くのパリ市民が利用していました。しかし水汲み業者が汲んでくる水は井戸の水ではなくほとんどがセーヌの汚い水で、それでもパリの人たちは普通に飲んでいました。1608年にはアンリ4世がポンヌフの隣にサマリテーヌ・ポンプ(サマリア人のポンプ)を設置し、セーヌの水の質を少しでも改善しようとしました。1672年にはノートルダム橋のポンプもできましたが、セーヌの水はやはり胃を刺激するほど質が悪く、初めて飲んだ人は必ず下痢を起こすと言われていました。パリで初めての公衆トイレ
水の衛生問題に悩んだパリで市民が飲み水を安全に使える措置がとられるようになったのは19世紀に入ってからでした。パリ市街に給水栓(水飲み場)ができたのがこの頃です。公共の給水栓の設置に尽力したのは当時のセーヌ県知事だったランビュトーでした。1830年には146個しかなかった給水栓が、1848年には1840個に増加しました。彼はまた下水対策として公共トイレの設置も積極的に行いました。1841年、フランス初の公衆トイレがパリに現れました(パリのトイレの歴史)。当時のパリの公衆トイレは円柱の形をしていて、屋根はイスラム寺院のように丸みを帯びており、壁には広告が貼られていました。ナポレオン3世による第二帝政の時代になると公道を利用者にとって快適にしようという傾向はより強くなり、1859年にはランビュトーの公衆トイレの改良版も現れます(その後、トイレと広告は分けられ、モリス広告塔という広告専用の円柱が登場します)。市街給水栓と公衆トイレができるようになり、パリはようやく近代都市としての形を見せるようになっていきます。しかしそれでもパリ全体の水の供給量が足らず、全ての市民が安心して水を飲めるまでには時間がかかりました。汚水溜めだった通りの改善
こうしたパリのひどい水事情は19世紀の半ばまで変化はありませんでした。しかし19世紀後半、前述したパリの汚水通りが上下水道局の局長アルフォンス・デュローとアンリ・エムリによって改善されました。2人は理工科学校の同期生でした。彼らは今まで中央が凹んでいた通りを反対に凸型に盛り上がらせることによって汚水を両側の排水溝にはけさせ、その溝に沿って歩道を整備しました。いわば、現在の下水溝の基礎ができあがったわけです。そのおかげで、通りの中央に汚水が溜まって悪臭を放つこともなくなり、不安定な路上で事故の多かった馬車にとっても危険がなくなりました。そして、道路に下水溝が整備されると同時に、各家庭と下水を結ぶという技術的発想が生まれました。この発想を実行に移したのはパリ近代下水道の建設者ウージェーヌ・ベルグラン(※)でした。彼はセーヌ県知事オスマンによってパリの上下水道システムの責任者に任命され、この壮大な事業に第ニ帝政の初期から1878年に亡くなるまで身を捧げました。彼が建設した下水道は1869年には560キロ〈1852年の4倍の長さ)になっていました。オスマンによる大規模な水道事業
パリのあらゆる通りに下水を完備する発想は、当時のセーヌ県知事オスマンの心をも捉えていました。彼はまた下水だけでなく、上水(飲み水)に関する改善にも取り組みました。19世紀後半、セーヌの汚れた水を飲んでいたパリの衛生環境をどうにかしたいと考えていたナポレオン3世は、パリ北東にあったウルク川をパリ市内に移し、ラ・ヴィレット貯水場を建設しました。オスマンが知事になったときには、すでにセーヌ河と並ぶ重要な水の供給源となっていました。しかしウルク川の水質もよくはなく、その後オスマンによってさらに北のデュイス川から長大な水道によって水が引かれることになります。蒸気ポンプによってセーヌの水を汲み続ける「セーヌ河信仰派」の強い反対に遭いながらも、オスマンの水道はついに完成します。全長173キロの水道はパリ郊外とモンスリの貯水場とを結びました。採石所跡に造られたこの貯水場は現在も利用されています。古代ローマ帝国の水道橋のように遠方から水を引くことで、パリの水はようやく近代文明に追いついたのです。19世紀に人気を得た炭酸水
現在パリで食事中によく飲まれているものに炭酸水があります。炭酸水は天然の炭酸ガスが含まれた水で、食欲増進につながって健康的とされ、スーパーでもペリエやバドワなど多くのブランドが売られています。最近では日本でも人気で、スーパーやコンビニでもよく見かけます。 中世ヨーロッパの時代から天然の炭酸水の効用は認められており、ドイツなどでは胃腸病などの治療に使われていました。19世紀になってその効果が化学的に証明されると、様々な実験が行われ、1820年に人工炭酸水メーカーがパリに誕生しました。当初は医者の処方が必要だったため売れ行きは芳しくありませんでしたが、1832年にパリをコレラが襲った際に、解毒剤として使われ、広まりました。当初セーヌ川の水は汚物によってひどく汚染されており、ろ過された瓶詰めの炭酸水は唯一コレラに汚染されていない水だったのです。その後市民権を得た炭酸水は薬としてだけでなく食事の間にも飲まれるようになり、グルメ通の人々にとっては必要不可欠な飲み物になっていきました。現在のパリの水事情
現在パリの水道は浄水技術の進歩により、アヴル川・ロワン川・リュナン川・マルヌ川・セーヌ川の上流など、様々な地域の水によって構成されています。セーヌの汚い水を飲む劣悪な環境が長く続いてきたパリの水事情は、19世紀の半ばになってようやく改善へと動き出し、オスマンによって確立されていきました。現在の下水道は全長2100キロまで拡大し、その一部が下水道博物館(※)として公開されています。ヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』の主人公ジャン・バルジャンが走ったパリの下水道を体験してみるのも新たなパリ観光の一つだと思います。 今ではパリのどこにいても水が飲めますし、路上でも1872年にできたヴァラス給水泉という美しい装飾の無料の水飲み場がいくつもあります。エヴィアンやヴィッテルなどのパリのミネラルウォーターもカフェやスーパーで売られています。スーパーのミネラルウォーターは安く、パリの人たちの重要な飲み水になっていることが分かりますね。美容や食欲増進のためにペリエやヴァドワなどの炭酸水を飲む人も多いです。またフランスの水は硬水で、海底の砂や微生物の死骸の多い堆積岩を通って濾過された地下水。そのため日本の軟水と違い、カルシウムやマグネシウムなどのミネラルが豊富です。2010年には無料の炭酸水飲み場が設置
21世紀に入り、パリ市は水道水の飲用推進をさらに進めています。水を飲むことは基本的人権の一つであるという考えのもと、誰もが自由に水を飲める環境を作ろうとしています。パリ市では環境への配慮から、2005年に有名デザイナーによるパリ市オリジナル水差しを制作し、レストランやパリ市民に提供しました。これによりペットボトルの消費量が大幅に減りました。2010年からパリ市の水道事業は再度公営化されて、パリ市水道公社(Eau de Paris)が運営するようになりました。さらなる環境への対策として、2012年よりすべての行政機関でペットボトル入り飲料水の提供を廃止しました。またパリ市内に1200か所以上の公共の水飲み場を設置し、誰もが水を自由に飲める環境を整えました。フランス(ヨーロッパ)ならではの試みとしては、2010年から無料の「炭酸水飲み場」が設置され、ジョギング中や散歩の休憩に飲めるとパリ市民に人気です。炭酸水は前述のようにヨーロッパが本場で、日本でも有名なペリエは南フランスの老舗炭酸水メーカーです。19世紀にコレラの予防薬として広まって以来、炭酸水は食欲増進や美容に効果的とされ、フランスの食卓では日常的によく飲まれています。夏のカフェでは炭酸水を飲みながら休憩する光景をよく見かけます。 しかしペットボトルの消費量が多いフランスでは以前よりプラスチックゴミの問題があり、ゴミを減らすためのパリ市の施策として市民の声を参考にしながら、誰もが無料で飲める炭酸水飲み場ができました。公共の場に炭酸水の飲水機を設置する動きはイタリアのミラノで始まり、フランスではパリ市が初めて導入。フランスで初めての炭酸水飲み場はパリ12区のルイイ公園に完成しました。 1号機の設置以来、炭酸水飲み場は増え、2018年6月には10号機が設置されました。パリ市によれば、2020年までにパリ20区全ての区に炭酸水飲み場を設置する予定です。無料の炭酸水は天然のものではなく、パリの水道水に炭酸ガスを混ぜたものを提供しています。次回のパリ旅行では街中で炭酸水を汲んで、爽やかで経済的な休息をとってみてはいかがでしょうか。
目が覚めたパリの朝、道路に流れる水を見て感じるのは、そんな水の長い歴史と新しい新鮮なパリの一日の予感なのです。
下水道博物館(Musee des Egouts de Paris)
1370年にさかのぼるパリの下水道の歴史がわかる博物館。オスマンの時代に完成された下水道の仕組みをパネルなどで解説。実際の下水道を間近で観察することができ、パリジャンにも人気の観光スポット。
19世紀から20世紀後半までは、コンコルド広場からマドレーヌ広場までの下水道をボートで見学することができた。その入り口はコンコルド広場のリル神像の南側にあった。
住所:Pont de l'Alma, 75007 Paris
最寄メトロ:Alma Marceau、Pont de l'Alma(RER C線)
営業時間:11:00-17:00
パリの上下水道を完成させた影の立役者
ウジェーヌ・ベルグラン(Eugene Belgrand, 1810-1878)はパリの上下水道を完成させた土木技術者。1855年に上下水道システムの責任者に任命され、パリの水道の近代化に貢献した。世界的にも画期的な上下水道システムを作り出した彼の仕事は圧倒的な支持を受けた。彼が作った下水道は今でも使われている。
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