さかのぼること100年以上前の19世紀後半、パリの水道事情はとても悪いものでした。上水道も完備されておらず、パリ市民は水売りが路上で売る水を買い、洗濯や炊事をしていたのです。しかしセーヌ河の水を売る悪質な業者が多く、パリ市は上水道の整備に力を入れ始めます。しかし各アパルトマンの家主が水道工事の負担を拒んだりしたため、工事は思うようにいきませんでした。そこで考案されたのが街中に無料の水飲み場(給水泉)を作ることでした。その中でも芸術品コレクターであり篤志家であったイギリス人リチャード・ウォーレス(フランス読みでリシャール・ヴァラス / Richard Wallace)が1872年にパリ市に寄贈した公共水飲み場は、備え付けのコップで安全な水を飲むことができることで評判でした。この水飲み場は、普仏戦争敗北後の水不足を救い、また無料で水が飲めることで、飲料水の高騰から安いワインばかりを飲んでアル中になる人を未然に助けました。