パリの通り
パリの通り:サン・ドニ通り

サン・ドニ通り

怪しい魅力がつまったパリ最大の娼婦街   
パリの通り:サン・ドニ通り

サン・ドニ通り

パリ最大の娼婦街

サン・ドニ通りはパリ1区と2区にある通り。サン・ドニ通りと聞くと、今では娼婦街の代名詞になっているほど風俗関連のお店が多い通り。昼は閑散としていますが、夜になると怪しいネオンが灯り、多くの女性が通りに立って通りを行く男性をおびき寄せます。サン・ドニ通りは、南はパリ1区のリヴォリ通り、北はパリ2区のサン・ドニ大通りまで続き、セバストポル大通りと並行しています。

1世紀にできたパリ最古の道の一つ

娼婦街として有名なサン・ドニ通り。しかしこの通りは、パリで最も古い通りの一つで、1世紀頃にローマ帝国によって造られました。約2000年の歴史があることになります。中世になって道は北へ伸び、パリ北部の郊外都市サン・ドニ市、ポントワーズ、ルーアンまで伸びています。通りの名前は、その街からとられました。サン・ドニ市にはサン・ドニ大聖堂があり、歴代の王が眠っていることで有名です。歴代の王が首都に入るときは必ずサン・ドニ通りを勝利パレードで進みました。フランスにとってサン・ドニ通りはとても重要な道だったのです。サン・ドニという地名は、パリでキリスト教を広め最後には首を切られて殉教した聖ドニ(St Denis)にちなんでいます。彼はモンマルトルの丘で首を切られた後、自分の頭を持ったまま現在のサン・ドニ市がある場所まで歩いたと言われています。 1134年から両側に家が立ち並び、サン・ドニ通りは名前がいくつか変わりました。フランス革命の際にはフランシアード通り(rue de Franciade)として知られていました。またサン・ドニ通りは1832年の6月暴動の中心地になり、ヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』に描かれました。

かつてのパリ境界!サン・ドニ通りの終点にあるサン・ドニ門

サン・ドニ通りを北上すると、グラン・ブールヴァール(大通り)と交差します。そこはサン・ドニ通りの終点で、交わった大通りはかつてパリの城壁があった場所でした。つまり、サン・ドニ通りの先はかつての「パリ郊外」。その証拠にサン・ドニ通りはこの大通りを境にサン・ドニ郊外通り(rue Faubourg St-Denis)と名前が変わります。今はその境に巨大なサン・ドニ門が立っています。この門は1672年、ルイ14世のドイツでの勝利を祝って城壁の跡地に作られました。中世の城壁跡にルイ14世時代の門が立つ。サン・ドニ通りの終点はフランスの歴史の変遷を感じられる場所ですね。

19世紀の娼婦のたまり場だったパサージュ

現在のパリの娼婦街といえばサン・ドニ通りとピガール界隈ですが、19世紀における娼婦の聖地はパサージュでした。パサージュとはアーケード商店街(屋根のついた抜け道)で、19世紀に多く作られました。特に繁華街であったグランブールヴァールの界隈には、その客足を見込んだパサージュがたくさん造られました。そしてパサージュを訪れる男客目当てに、パリ中の娼婦がたまるようになりました。現在のパサージュを訪れると、どこも静けさに満ちていて19世紀の活気はまったく感じられません。ここで娼婦たちが客を物色して闊歩していたとは信じられませんが、過去へと沈み込みそうな空間を味わいにパサージュめぐりをしてみるのもいいかもしれません。

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