パリの観光スポット
パリ観光地:ヴォージュ広場

ヴォージュ広場
Place des Vosges

国王アンリ4世が造った幾何学的な広場   
パリ観光地:ヴォージュ広場
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パリ観光地:ヴォージュ広場

ヴォージュ広場

17世紀貴族たちの集まった、かつての王宮広場

ヴォージュ広場はパリ4区、マレ地区にある正方形の広場。四方をルネサンス様式の赤レンガの館に囲まれた美しい広場で、市民の憩いの場になっています。パリで初めて作られた公共の広場としても知られていて、かつて「広場」と言えばこのヴォージュ広場を指していました。

ヴォージュ広場の歴史

ここには元々トゥルネル宮(Hotel des Tournelles)と呼ばれるオルレアン公の城館がありました。1407年にブルゴーニュ公の送った刺客によってオルレアン公が暗殺されると、城館は王家に渡り、シャルル7世はここに居を定めました。しかし国王であったルイ12世とアンリ2世が城内で相次いで亡くなるという悲劇が続きました。アンリ2世は娘の婚礼の儀式で行われた1559年の馬上槍試合で、相手の槍が目に当たって死んでしまったのです。そして王宮はアンリ2世の王妃カトリーヌ・ドゥ・メディシスによって取り壊されます。その後、不吉とされたこの場所は住む人もなく荒れ果てていました。17世紀になると、宗教戦争を終結させたナントの王令で知られる国王アンリ4世が荒廃しきったこの地区を高級住宅地として整備し始めます。その一環として計画されたのがヴォージュ広場でした。

優秀な都市プランナーだったアンリ4世
ヴォージュ広場を考案したアンリ4世はフランス最初の都市計画者で、国王権力を象徴する2つの都市プランを構想しました。1つ目がシテ島にあるポン・ヌフとドフィーヌ広場、そして2つ目がヴォージュ広場でした。彼は美しい正方形の広場を挟んで、すべてが「同一のシンメトリーに従って建てられる」邸宅群を造ろうとしました。そのため、住民が散策する公共空間としての機能を明確に意識した造りになっています。

広場は1605年に建造が始まりますが、アンリ4世は広場の完成を見ることなくパリで暗殺されてしまいます。その2年後の1612年にヴォージュ広場は完成しました。完成当初はロワイヤル広場(王宮広場)と呼ばれていて、権力によって中世の猥雑な地区に突如出現した国王広場の好例でした。そのためヨーロッパ各国で造られる国王広場の原型にもなりました。ここはパリ市民に解放されたパリで最初の公共広場で、当時「広場」と言えばこのヴォージュ広場を指しました。貴族たちの住むルネサンス様式の美しい館が周りを囲み、その下にあるアーケードではパリの人々が自由に散策することができました。広場の中央部では決闘が行われることもあったそうです。今では市民の憩いの場となり、パリを代表する美しい広場の一つとなっています。

ヴォージュという名前の由来
ヴォージュ広場は最初ロワイヤル広場(王宮広場)と呼ばれていました。広場が現在の名前になったのは1800年のことで、当時のフランスの新体制に初めて税金を納めたヴォージュ県を称えるためでした。

美しいアーケードと庭へ

実際にヴォージュ広場を行くと、その整然とした美しさにこれぞフランスの広場と思わせます。なんだか都市の中に突如現れた正方形のミステリーサークルのようにも見えてきます。一辺が140メートルあり、広場中央には1639年に建設され1829年に復元されたルイ13世の騎馬像が立っています(フランス革命の時代に破壊され、王政復古時代に再現されました)。庭には左右対称となるように設計された4つの泉があり、その周りでは広場を訪れたパリ市民が気持ちよさそうに思い思いの時間を過ごしています。庭から周りを見回すと、無限に続くだまし絵のような美しい館に囲まれているのが分かります。広場を囲む3階建ての館は全部で36あり、勾配のきついスレート屋根と古い赤煉瓦の壁が特徴です。屋根はフランス・ルネサンスの面影を残しています。最初に建てられた数軒は本物のレンガ造りでしたが、残りの館は建設工期を縮めるために木骨と漆喰で造られました(現在は漆喰の上にレンガ風の装飾が施されています)。館の下はアーケードになっていて、優雅なカフェや高級ブティック、ギャラリーが並んでいるので、散策にはもってこい(ただしブティックやギャラリーは高所得者向けであることが多いです)。

アーケードとは?
アーケード(arcade)とは、アーチの連続する回廊のこと。フランス語ではアルカドと発音します。元々アルカドはイタリア発祥の建築様式。古代ローマ時代に造られたコロッセオやニーム近郊のポン・デュ・ガールにアーチ構造が見られます。夏でも涼しいアーチの回廊はその後フランスの建築に取り入れられます。そしてアルカドがさらに発展したものが19世紀に人気を集めたパサージュになります。

マレ地区観光の休憩に最適

ヴォージュ広場の周辺は貴族の館が多く残るマレ地区。ショッピングや散策を楽しむ旅行者に人気の地区で、ユダヤ人が多い地区でもあります。マレ地区の観光に疲れたらヴォージュ広場中央の草むらで一休み。お腹が空いたら近くのユダヤ料理屋でファラフェル(ひよこ豆の野菜コロッケが入ったピタサンド)を買って食べるのをオススメします。休みの日にはアーケードの下で楽器の演奏があり、気軽に音楽を楽しむ人でにぎわいます。

ヴィクトル・ユゴーが住んでいた

広場を囲む館の一角にあるロアン・ゲメネ館(Hotel de Rohan-Guemenee)は作家ヴィクトル・ユゴー(1802-1885)が住んだ家として知られています。彼がこの館に引っ越してきたのは、『ノートルダム・ド・パリ(Notre Dame de Paris)』が出版された一年後でした。戯曲『エルナニ』と小説『ノートルダム・ド・パリ』で成功を収めた彼は、1832年に家族(妻と4人の子供)とともにこの家に引っ越してきました。妻の不貞や娘の死などの悲劇がありましたが、ユゴーはここで16年間暮らし、『ルイ・ブラス(Ruy Blas)』などの作品を執筆しました。現在ユゴーの家は記念館(Maison de Victor Hugo)になっています。館内には自作のデッサン・肖像画・家具などが展示され、小説家・詩人として活躍した作家の人生をたどることができます。フランス文学が好きな方は是非訪れてみてください。この広場にはユゴーの他にも、書簡文学で有名なセヴィニエ夫人、リシュリューなどが住んでいました。

貴族の館を完全修復したシュリー館

ヴォージュ広場の南西の角には、1624年に建設されたルイ13世時代の貴族の館を完全に修復したシュリー館(Hotel de Sully)があります。ここは現在ジュ・ド・ポーム国立美術館(Jeu de Paume)の分館や書店、国立歴史的建造物センター(Centre des Monuments Nationaux)などが入っています。シュリー館の裏手には美しく装飾された後期ルネサンス様式の中庭が2つあり、四季の自然の力をモチーフにした装飾を見ることができます。北側の中庭の南壁には春(花鳥)と夏(小麦)、南の中庭の北壁には秋(ブドウ)と冬(命の終わりの象徴)を表す図案が刻まれ、南の中庭の西壁には空気と火、東壁には土と水の図案が刻まれています。シュリー館へはヴォージュ広場から一本の道でつながっているので、アクセスも簡単。ヴォージュ広場の観光と組み合わせて訪れてみてはいかがでしょうか。
パリ観光基本情報
ヴォージュ広場 / Place des Vosges
パリの観光地
オープン(完成):1612年
住所:Place des Vosges
最寄メトロ:サン・ポール(St-Paul)、バスティーユ(Bastille)
エリア:マレ地区
カテゴリ:パリの観光スポット
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ヴォージュ広場へのアクセス(地図)
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