パリの観光スポット
パリ観光地:ギャルリ・ヴェロ=ドダ

ギャルリ・ヴェロ=ドダ
Galerie Vero-Dodat

ヴェルサイユの落日を思わせる古き美しいパサージュ   
パリ観光地:ギャルリ・ヴェロ=ドダ(パリのパサージュ)
パリ観光地:ギャルリ・ヴェロ=ドダ(パリのパサージュ)
パリ観光地:ギャルリ・ヴェロ=ドダ(パリのパサージュ)
パリ観光地:ギャルリ・ヴェロ=ドダ(パリのパサージュ)
パリ観光地:ギャルリ・ヴェロ=ドダ(パリのパサージュ)
パリ観光地:ギャルリ・ヴェロ=ドダ(パリのパサージュ)
パリ観光地:ギャルリ・ヴェロ=ドダ(パリのパサージュ)
パリ観光地:ギャルリ・ヴェロ=ドダ(パリのパサージュ)
パリ観光地:ギャルリ・ヴェロ=ドダ(パリのパサージュ)
パリ観光地:ギャルリ・ヴェロ=ドダ(パリのパサージュ)
パリ観光地:ギャルリ・ヴェロ=ドダ(パリのパサージュ)
パリ観光地:ギャルリ・ヴェロ=ドダ(パリのパサージュ)
パリ観光地:ギャルリ・ヴェロ=ドダ(パリのパサージュ)
パリ観光地:ギャルリ・ヴェロ=ドダ(パリのパサージュ)
パリ観光地:ギャルリ・ヴェロ=ドダ(パリのパサージュ)
パリ観光地:ギャルリ・ヴェロ=ドダ(パリのパサージュ)
パリ観光地:ギャルリ・ヴェロ=ドダ(パリのパサージュ)
パリ観光地:ギャルリ・ヴェロ=ドダ(パリのパサージュ)

ギャルリ・ヴェロ=ドダ

パリ観光地:ギャルリ・ヴェロ=ドダ
ギャルリ・ヴェロ=ドダ(パリのパサージュ)

150年以上前から変わっていない?ヴェルサイユの落日を思わせる古き美しい商店街

パリ1区レ・アール広場近くのジャン=ジャック・ルソー通りにアーケード型の入り口があります。中を覗くと薄暗い廊下が奥まで続いています。これはギャルリ・ヴェロ=ドダというパサージュ。パサージュとは日本で言うアーケード付の商店街で、ガラスの天井で覆われた道の両側には商店が並んでいます。しかし日本と決定的に違うのはその古さ。このギャルリ・ヴェロ=ドダも例外ではなく、150年以上も前から改装されることなく今に至っています。その忘れ去られたような内装の古典的な美しさは、現在レトロな魅力として再び人気を集めています。

パサージュの全盛期にオープンしブルジョワ階級の憩いの場に

このパサージュはいつごろなんのためにできたのでしょうか。ギャルリ・ヴェロ=ドダの歴史をご紹介します。ギャルリ・ヴェロ=ドダは1826年にオープンしたパサージュ(アーケード商店街)です。当時はパサージュの全盛期でフランス革命期の18世紀末から多くのパサージュが生まれました。当時道路が舗装されていなかったパリにおいて雨や泥水に汚れずに買い物ができるパサージュは、ブルジョワ階級の暇つぶしにはもってこいの快適な場所だったのです。新興成金で肉屋を営んでいたヴェロとドダも、その時代の勢いに乗ってジャン=ジャック・ルソー通りとブロワ通りの間の細い敷地にパサージュを建設することを決めます。
パリ観光地:ギャルリ・ヴェロ=ドダ
ギャルリ・ヴェロ=ドダ(パリのパサージュ)

乗合馬車の目の前という好立地に建設

ヴェロとドダがその場所にした決め手は、当時2つの通りの前に乗合馬車と郵便馬車の発着場があったためです(ジャン=ジャック・ルソー通りの前の前に郵便馬車、ブロワ通りの目の前に乗合馬車の発着所がありました)。自然と人が集まるその交通の要所にパサージュを開けば、多くの客を呼び込めると思ったのでしょう。そして近くにパリ随一の盛り場として長年の人気を誇ってきたパレ・ロワイヤルがあったことも、集客という意味では最高のロケーションでした。パレ・ロワイヤルで買い物をした客が、ついでにギャルリ・ヴェロ=ドダに流れてくることも経営者は見込んでいたのでしょう(ちなみにパレ・ロワイヤルはパサージュの起源とも言われ、半アーケードの回廊が中庭を取り囲んでいました)。

宮殿のように豪華なパサージュとして人気に

彼らは人通りの多いこの好立地に今までにない豪華な商店街を完成させました。そのコンセプトはとにかく「高級」で「豪華」というもの。透明ガラスをふんだんに使ったファサード、大理石の柱、黄金の装飾、鏡で覆われた両脇の壁、一部を寓意画で飾られた天井ガラス、そして床には黒と白のタイルが斜めの格子模様で美しく埋め込まれました。また夜にはガス灯が灯り、それはまるで宮殿の間のような豪華な雰囲気を醸し出していました。これらのネオ・クラシック調の美しさは近くのパレ・ロワイヤルに対抗したもので、パサージュの名前も「ギャルリ」をつけて高級な雰囲気を演出しました。乗合馬車の目の前という立地条件もよかったせいか、オープンして十年は多くのパリジャン・パリジェンヌを引きつけ、その美しさに魅了された女優のラシェルはこのパサージュの38番地に数年間住んでいました。パサージュの前にあるカフェ・ドゥ・レポック(Cafe de l'Epoque)では作家のジェラール・ド・ネルヴァルがよく飲んでいたと言われています。流行のパサージュを行きかう人々をひそかに観察していたのかもしれませんね(ちなみに彼が自殺する直前に飲んでいたのもこのカフェです)。
パリ観光地:ギャルリ・ヴェロ=ドダ
ギャルリ・ヴェロ=ドダ(パリのパサージュ)

1840年代には薄暗いと言われて人通りが絶える

しかし、ギャルリ・ヴェロ=ドダの人気は長くは続きませんでした。1840年代には新しい盛り場となったグラン・ブールヴァールに多くのパサージュが生まれ、それらはガラスをふんだんに使った明るく快適なものでした。そのためギャルリ・ヴェロ=ドダは薄暗く過ごしにくいパサージュとして徐々に人気が衰えていきます。また立地条件としてのメリットだった乗合馬車も鉄道の普及により1880年ごろに廃業となったことも人通りが少なくなった原因です。そして近くの盛り場だったパレ・ロワイヤルも賭博禁止・娼婦追放で人気に陰りが見え、そこからの流れでお客を呼び寄せることもできなくなりました。そしてそれ以降150年間、ギャルリ・ヴェロ=ドダは一度も脚光を浴びることなく、改装もされずに今に至っています。
パリ観光地:ギャルリ・ヴェロ=ドダ
ギャルリ・ヴェロ=ドダ(パリのパサージュ)

昔の豪華さを伝える廃墟的空間として再び人気に

ギャルリ・ヴェロ=ドダは現在も営業していますが、当時のような流行の発信地としての華やかさは完全に消え、古書店やギャラリー(画廊)、ジュエリー店などの昔から変化のないクラシックなお店が残っています。その時を超えた静けさはパレ・ロワイヤルに匹敵するものがあり、もはや二度とかつての栄華は戻ってないことを確信させます。しかし時が150年前で止まってしまったかのような空間こそ、ギャルリ・ヴェロ=ドダの魅力と言えます。19世紀パリ研究家の鹿島茂氏は、このパサージュについて「商業的な「化石」、産業考古学の重要な遺産」と言っています。1965年にはパリ市の歴史的建造物に指定され、解体を免れて保存されているのはパリ愛好者にとって素晴らしいことです。落日のヴェルサイユ宮殿を見るような佇まいは、今多くの散策愛好者を引きつけています。
パリ観光基本情報
ギャルリ・ヴェロ=ドダ / Galerie Vero-Dodat
パリの観光地
オープン:1826年
住所:rue Jean-Jacques-Rousseauとrue du bouloiの間(地図
最寄メトロ:Louvre-Rivoli(ルーヴル・リヴォリ)
エリア:
カテゴリ:パリの観光スポット
関連:その他のおすすめパリ観光
ギャルリ・ヴェロ=ドダへのアクセス(地図)
ギャルリ・ヴェロ=ドダへのアクセス(地図)

関連するパリ観光

さらにパリを見る

パリ観光サイト「パリラマ」に関しまして
パリラマはパリを紹介する観光情報サイトです。パリの人気観光地からあまり知られていない穴場まで、パリのあらゆる場所の魅力を提供することを目的としています。情報は変更される場合があります。最新情報はそれぞれの公式サイト等でご確認ください。
ページTOP
パリ観光地一覧
サイトHOME