リヴォリ通り
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ナポレオンが切り開いたパリ中心部
リヴォリ通りはパリ観光で必ずといっていいほど通る道です。チュイルリー庭園とルーヴル美術館の北側を突き抜ける大きな通りで、パリでも有名な通りの一つ。マレ地区からコンコルド広場まで続く全長約3キロの長い通りをセーヌと並行するように走っています。最初はナポレオンによって建設が始まりました。ルーヴル美術館の近くでは世界的に有名なブランド店やいかにも観光的なパリの土産物屋がアーケードの下に並んでいて、パリで最も観光客の多い通りです。美しいアーケードのある通り
ルーヴル宮殿付近のリヴォリ通りでは歩道の片側がアーケードになっています。新古典様式の美しいアーケードで、回廊の中にはあまり美しくない典型的なパリ土産のお店が並んでいます。ちなみにアーケード(arcade)とは、アーチ建築の連続する回廊のことを指します。フランス語ではアルカドと発音します。元々アルカドはイタリア発祥の建築様式。古代ローマ時代に造られたローマのコロッセオやニーム近郊のポン・デュ・ガールにアーチ構造が見られます。夏でも涼しいアーチの回廊はその後フランスの建築に取り入れられます。そしてアルカドがさらに発展したものが19世紀に人気を集めたパサージュになります。拡張し続けたリヴォリ通りの歴史
リヴォリ通りの名前は、ナポレオン軍がオーストリア軍との戦いに勝利した「リヴォリの戦い」(1797)に由来しています(リヴォリは戦場となったイタリアの地名)。近代都市の一つの形でした。ナポレオン・ボナパルトによってパリの中心部に貫通したリヴォリ通りは、コンコルド広場から始まってチュイルリー庭園の北側を通り、ルーヴル宮殿の北部分までつないでいます。その後、リヴォリ通りの拡張事業はシャルル10世、ルイ・フィリップ、ナポレオン3世へと引き継がれ、徐々に東へと道が延び、最終的には17世紀の館が残るマレ地区までつながります。リヴォリ通りには観光名所がたくさん
コンコルド広場から始まりマレ地区まで続くリヴォリ通り周辺には、様々な観光スポットがあります。革命後に多くの王党派が処刑されたコンコルド広場、かつて宮殿のあった美しいチュイルリー庭園、ルーヴル美術館、パレ・ロワイヤル、ヴァンドーム広場へ抜けるピラミッド通りにあるジャンヌ・ダルクの像、パリ市庁舎などパリの主要な観光名所がそろっています。2020年から車の通行が禁止に
リヴォリ通りは車の往来が激しいパリの目抜き通りの一つですが、新型コロナウイルスの流行で大きな変化が起きました。コロナ禍によって自転車の利用が増加し、2020年のロックダウン明けより自動車の通行が全面的に禁止になりました。これによりリヴォリ通りは歩行者にとって歩きやすい空間に変化しつつあります。こうした車道の縮小は空気のクリーン化を掲げるパリ市長アンヌ・イダルゴによる自転車プロジェクトの一環で、この動きは今後も加速していきそうです。
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パリラマはパリを紹介する観光情報サイトです。パリの人気観光地からあまり知られていない穴場まで、パリのあらゆる場所の魅力を提供することを目的としています。情報は変更される場合があります。最新情報はそれぞれの公式サイト等でご確認ください。
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