コンコルド広場
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ギロチンの舞台ともなったパリで最も有名な広場
パリを旅行したことがある人なら、パリの広場といってここを思い浮かべる人が多いかもしれません。コンコルド広場はパリを代表する観光地の一つで、ルーヴル美術館と凱旋門の間に位置しています。開放的な空間設計が特徴で、広場に立って西を向けば長大なシャンゼリゼ通りの先に凱旋門が見え、西を向けば壮麗なチュイルリー公園の先にルーヴル美術館を眺めることができます。そして目の前にはセーヌ川が流れており、広場に立てばパリの主要な観光地を見渡すことができる絶好のロケーションにあります。フランス革命期にはルイ16世やマリー・アントワネットの処刑も行われた歴史的な場所としても有名。国王の権力を誇示するために造られたコンコルド広場で国王がギロチンにかけられたことは、フランス革命を象徴する皮肉な出来事です。コンコルド広場の歴史
コンコルド広場はルイ15世の時代に造られた「パリ最後の国王広場」で、1775年に完成しました。現在では観光の中心地として交通の要所となっているこの広場も、建設当時はパリの町外れ。その西側には「エリゼの野」と呼ばれる野原(後のシャンゼリゼ大通り)が広がっていました。もともとはルイ15世の彫像を置くために計画された場所で、当初は「ルイ15世広場」と呼ばれていました。ルイ15世の騎馬像を配置するためのプランは建築アカデミーによって公募され、最終的に建築家アンジュ=ジャック・ガブリエルのプランが選ばれました。広場の建設は1757年から1772年にかけて行われ、広場を南北に貫くロワイヤル通りが追加されてようやく完成しました。しかし広場の中心にあったルイ15世の像は歴史の荒波にもまれ、フランス革命後には別の像に置き換えられました。広場全体の計画案も時代によって変えられ、ナポレオンは大噴水を、ルイ18世はルイ15世の新たな彫刻を提案。最終的にはルイ・フィリップの案が採用され、1833年にルクソール神殿のオベリスク(記念碑)が中央に建てられました。広場の名前も時代によって変遷し、革命期には「革命広場」と呼ばれ、最終的には「コンコルド広場」(「親和広場」という意味)に変えられました。このようにして現在の私たちが見ている広場は1840年に完成しました。広場の真ん中に立つオブジェは何?
これはナポレオンがエジプト遠征のときに戦利品として持ち帰ったオベリスクと呼ばれる記念碑で、「クレオパトラの針」を表現しています。オベリスクの両側にはローマのサン・ピエトロ大聖堂の噴水(模作)が配置され、建築家ガブリエルが設計した番人小屋の上にはフランスの八都市を表す彫刻が置かれました。
ほかの広場にはない解放感
この広場に立つと、他の広場とは決定的に異なるあることに気づきます。それはこの広場が建物に囲まれていないこと。前述したように、東にはチュイルリー公園とルーヴル美術館があり、西には凱旋門に向かってシャン・ゼリゼ大通りが伸びています。大通りの先の緩やかな丘の上には凱旋門が見え、透視図法の美しい風景を見ることができます。そして北に目を向ければマドレーヌ寺院、南にはコンコルド橋のかかるセーヌ川越しに国民議会(ブルボン宮)が見えます。これほど開放的な空間をもった広場は他になく、パリの美しいパースペクティブを体験できるおすすめの観光地。もしかしたらパリにいることを一番実感できる場所かもしれません。東西南北にパリの主要な建造物があるこの広場は、まさにパリの黄金ルートの「交差点」といえるでしょう。昼間は交通量が多い広場ですが、夜になるとその美しさは格別で、パリの夜で一番美しい眺めとさえ言われています。パリの偉大な都市計画を実感したい方は、是非この広場を訪れてみてください。- パリ観光基本情報
- コンコルド広場 / Place de la Concorde
- パリの観光地
- オープン(完成):1775年
- 住所:Place de la Concorde, 75008 Paris
- 最寄メトロ:Concorde(コンコルド)
- エリア:ルーヴル美術館周辺
- カテゴリ:パリの観光スポット
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コンコルド広場へのアクセス(地図)
コンコルド広場へのアクセス(地図)