パリの文化・歴史
パリの文化・社会・歴史:パリのメトロ

パリのメトロ

アートも楽しめる、パリ観光には欠かせない交通手段   
パリの文化・社会・歴史:パリのメトロ
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パリのメトロ

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パリのメトロ

メトロの名前の由来は?

パリ観光の足として欠かせないメトロ。パリを旅行した方なら一度は使ったことがあるはずです。東京でも2004年から営団地下鉄の呼び名が「東京メトロ」に変わり、メトロが地下鉄を意味する言葉だというのは常識になっていますが、もともとメトロに「地下鉄」という意味はありません。メトロが初めて開設された当時の正式名称はシュマン・ドゥ・フェー・メトロポリタン(chemain de fer metropolitain de Paris)といった長いもの。「パリの大都市鉄道」という意味です。それが省略されて単純にメトロ(Metro de Paris)と呼ばれるようになりました。現在パリのメトロは1号線から14号線まであり、毎日約500万人の人が利用しています。

メトロの意味
パリの地下鉄を指す「メトロ」(メトロポリタン)とは「大都市」という意味。ちなみにロンドンでは地下鉄のことを「アンダーグラウンド」、ニューヨークでは「サブウェイ」と呼び、どちらも「地下」という意味です。

メトロの切符の料金

パリのメトロのチケット(1回券)はどこも一律2.15ユーロの均一料金です(2024年現在)。同じ料金でパリ市内のすべての駅に行くことができ、シンプルで便利。東京(日本)のように降りる駅によって値段が異なるということがないので路線図を見て確かめる必要はありません(日本では最近はIC乗車券が主流になりましたが)。最初に通った駅の改札から最後の駅に降りるまで、何度でも乗り換えが自由なのも嬉しい。またこの切符はメトロだけでなく、市内バスとトラムの全線、パリ市内のRER、モンマルトルのケーブルカーに使うことも可能です。ただし切符の有効時間はメトロ間とメトロ・RERの乗り換えは2時間以内、バス間とトラム間の乗り換えはそれぞれ1時間30分以内と決められています。回数券はないので毎回買う必要がありますが、観光などで1日に何度も乗る方にはパリ・ヴィジット(Paris Visite)というツーリストパスやナヴィゴ・イージー(Navigo Easy)という交通系ICカードがおすすめです。
パリ・ヴィジット(Paris Visite)
メトロ、RER、イル=ド=フランス圏内のフランス国鉄(SNCF)、バス、トラム、モンマルトルのケーブルカーが乗り放題になるツーリストパス。つまりタクシーを除くパリ市内のすべての交通が乗り放題になるチケットで、主要観光地の割引特典がついています。料金は1日券13.95ユーロ、2日券22.65ユーロ、3日券30.9ユーロ、5日券44.50ユーロ。
ナヴィゴ・イージー(Navigo Easy)
1回券やカルネ(10枚または20枚)、1日乗り放題パスをチャージして使える交通系ICカードで、短期間パリに滞在してメトロを使う人にはおすすめです。交通系ICは日本でも普及しているので使いやすいカードです。料金はカード購入代金が2ユーロ、チケット1枚が通常と同じ2.15ユーロ、カルネ(切符10枚)は17.35ユーロになっています。メトロを1日5回以上乗る人には交通系ICで1日乗り放題パスをチャージするのがお得。
ナヴィゴ・スメーヌ(Navigo Semaine)
メトロ、RER、イル=ド=フランス圏内のフランス国鉄(SNCF)、バス、トラム、モンマルトルのケーブルカーが1週間乗り放題になる交通系ICカード。パリに長期滞在する方におすすめです。料金はカード購入代金が5ユーロ、ゾーンごとに料金が異なります(ゾーン1:30.75ユーロ / ゾーン2-3:28.20ユーロ / ゾーン3-4:27.30ユーロ / ゾーン4-5:26.80ユーロ)

メトロの切符が宝物
アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の傑作『恐怖の報酬』(1953)で、ベネズエラに住むイヴ・モンタン演じる主人公マリオはパリメトロの切符を宝物として大事に持っています。彼にとってメトロが故郷のパリを象徴するものだったのでしょう。メトロというものがいかにパリジャンの生活の一部になっているかが分かるエピソードです。

パリの文化・社会・歴史:パリのメトロ
パリのメトロ

メトロの歴史(1):19世紀最後の年に生まれたパリの都市交通

19世紀よりメトロ建設の話はありましたが、当初のメトロには「地下鉄」の意味合いは全くなく、単に「首都を走る鉄道」という意味合いでした。つまり最初は地上を走る案が出されていましたが、パリの景観を損なうという理由で却下されます。その後、政治的・財政的な理由から鉄道の建設は遅れ、その間にロンドン(1863年)やブダペスト、ニューヨークで地下鉄がオープンします。しかし、その間に鉄道の技術も蒸気機関から電気に変わり、パリでも地下鉄を作ることが可能になりました。

セーヌ河の上を走る計画もあった?
最初のメトロ計画では、大通りやアパルトマンの上に鉄道を通す突飛な計画もありました。中でも有力だったのはセーヌ河に沿って高架鉄道を建設するというもので、もしそれが実現していたらセーヌの穏やかな眺めは永久に失われていたかもしれません。

今までヨーロッパの各都市に技術的な遅れをとっていたパリは、万博に向けて都市交通を整備する必要に迫られ、やむなくメトロの開発に着手します。そして1900年7月、パリ万博の年にパリのメトロは完成しました。最初にパリのメトロを建設したのはパリ・メトロポリタン鉄道会社(Compagnie du chemin de fer metropolitan de Paris)。略して「CMP」と呼ばれたこの市営会社の名前にある「メトロポリス」が「メトロ」の由来で、次第に地下鉄を指す言葉として世界に広まっていきました。最初はヴァンセンヌ(パリ東部)とポルト・マイヨー(パリ西部)にかけての東西線(1号線)で、次第に路線を増やしていきました。

メトロが生まれたパリ万博
メトロは1900年のパリ万博をきっかけに建設が始まりました。この年のパリ万博ではグラン・パレやプティ・パレ、アレクサンドル3世橋など多くのモニュメントが建設され、今も残っています。それらの建築物はパリのメトロと同い年なのです。

メトロの歴史(2):1935年にはほとんどの路線が開通

1910年には民間の鉄道会社が開業し、南北に走る2つの「ノール・シュッド線」(北南線)を開通。淡い緑色をしたパステルカラーの車両で、今でいうレトロな魅力を感じさせます。A線・B線として運行していましたが、1930年にCMPに組み込まれました(現在の12号線と13号線)。1935年にはほとんどの鉄道網が完成。パリ市全域でメトロが利用できるようになりました。1949年、CMPは公共の旅客輸送事業者としてパリ交通公団(RATP)となり、メトロだけでなくパリの都市交通全体の運営を管理するようになりました。現在はメトロ、RER(郊外高速鉄道)、トラム、オルリーVAL(自動化ライトメトロ・シャトル)を運営しています。

昔のメトロに出会える博物館
パリ近郊のChellesという街には、昔のメトロの車両が保管されています。フランス都市交通博物館(Musée des transports urbains de France)には当時のバスや電車が展示され、昔のパリ交通を間近で見ることができます。保存状態もよく、昔の車両の美しさに驚かされます。電車マニアの方はもちろん、そうでない人にもおすすめの施設です。

メトロの歴史(3):63年ぶりに新路線が誕生

1998年には63年ぶりに新しい線として14番線が開通。混雑緩和を目的に作られたこの新路線は別名「メテオール」(METEOR)と呼ばれました。日本語で「流星」という意味で、Metro Est-Ouest-Rapid(東西高速メトロ)を略したもの。この全く新しい路線の特徴は「自動化」。今までのメトロは乗客が手動でドアを開けていましたが、14号線は初めて自動ドアを採用。しかも完全自動制御の無人運転車両として注目を集めました。またホームドアも設置され、安全対策も強化。2011年には1号線でも自動無人運転を開始しました。現在もメトロは更なる開発を進めていて、2024年には14号線がオルリー空港までの延伸を計画しています。

メトロの父
メトロ6号線には「モンパルナス・ビヤンヴニュ」という駅があります。そのまま訳すと「モンパルナスようこそ」という不思議な名前の駅ですが、実はビヤンヴニュは人の名前。フュルジャンス・ビヤンブニュ(1852〜1936)はメトロの地下鉄工事の総指揮をした人物で、「地下鉄の父」と言われました。彼の功績がメトロの名前として残っています。

パリの文化・社会・歴史:パリのメトロ
パリのメトロの入り口

アールヌーヴォーの傑作!植物の宮殿のようなメトロの入り口

パリに行くと必ず目にするメトロの奇怪な入口。緑の蔦が絡まったような、柔らかな液体が伸びたような不思議な外観はパリのイメージシンボルにもなっています。これはアール・ヌーヴォー(Art Nouveau)の代表的建築家エクトール・ギマール(Hector Guimard)の作品。当初のメトロよりギマールのデザインが採用され、パリ万博が開催された1900年から1913年にかけて、パリ市の依頼でギマールは多くの駅の装飾を担当しました。彼がデザインした駅の数は140。アール・ヌーヴォー様式の流行に乗り、ギマールの作品はメトロの象徴となりました。しかし実際には流動的で植物のような彼のデザインはフランス人の間であまり評判はよくなく、一度はメトロの入り口のほとんどが取り壊されてしまいました。破壊を逃れた2号線のポルト・ドフィーヌ駅と12番線のアベス駅にギマールによるオリジナルの入り口が残っています。現在ではアール・ヌーヴォーのデザインが再評価され、撤去されたギマールのデザインが徐々に復元されるようになりました。人の評価は不安定なもの。デザインの歴史はその繰り返しなのかもしれません。

メトロを飾るきらきらのアート
パリのメトロの入り口には、ギマールのアール・ヌーヴォー様式の他にも、特徴のあるデザインのものがあります。メトロ1番線・7番線のパレ・ロワイヤル=ミュゼ・デュ・ルーヴル駅の入り口(コメディ・フランセーズ側)は一度見たら忘れられない外観。直径12センチ〜18センチのガラスの球がいくつも連なってアーチになったような不思議なもので、きらきらしたおもちゃの王冠を巨大化したような詩的なデザイン。ガラス素材を用いた作品で知られるジャン・ミッシェル・オトニエルによって2000年に制作されました。

パリの文化・社会・歴史:パリのメトロ
パリのメトロの入り口

新しくなるメトロ、ユニークなメトロ

21世紀に入ってメトロの改修が行われています。20世紀前半に造られた駅が多く、どのメトロの構内も老朽化が進んでいるためです。ほとんどの駅の壁や天井は真っ白いタイルで覆われ、明るい雰囲気に変わりました。その中でもいくつかの駅では、そのエリアの特色を生かした独自のデザインに改修されたメトロもあります。パリ3区の工芸技術博物館の近くにあるアール・ゼ・メティエ駅のホームは壁全体に銅版が貼られ、レトロな潜水艦の中のような内装で統一されています(写真)。ホームのごみ箱まで銅色で統一されているところにメトロデザインのこだわりを感じさせ、パリが「技術の国」でもあることを思い出させてくれます。ルーヴル美術館近くのルーヴル=リヴォリ駅のホームには、まるで美術館の中のように壁画や彫刻が飾られています。他にもサンジェルマン・デ・プレの中心にあるクリュニー・ラ・ソルボンヌ駅は、天井に様々な芸術家や作家たちの巨大なサインが描かれています。ユニークなメトロ構内はそれ自体がまさに一つの美術館のようです。

メトロは退屈?
パリのサラリーマン生活を指す言葉に「メトロ、ブロ、ドド」という言葉があります。これは「地下鉄、仕事、睡眠」という意味で、変わり映えのしない退屈な日常生活を表現しています。通勤として毎日地下鉄に乗るパリジャンにとって、メトロに乗る行為は日常の退屈な一コマなのかもしれません。

パリの文化・社会・歴史:パリのメトロの椅子
パリのメトロの椅子

メトロの椅子

駅によってホームにある椅子のデザインは異なりますが、1973年に導入された「スィエージュ・コック」(Sieges Coque)という椅子が現在でもよく使われています。「船体の椅子」という意味で、ジョセフ・アンドレ・モットというインテリアデザイナーによってデザインされました。脚がなく壁に設置されたモダンなデザインが特徴(座椅子のように台座に直接乗ったタイプもあり、こちらも足がない)。デザインは同じでも駅によって色が異なっていたりするので、その違いを見つけるのも楽しいです。また特定の駅にしか設置されていないその駅独自のデザインの椅子もあります。メトロ5号線のガール・ドステルリッツ駅の椅子はメトロの切符のデザインを模したユニークなもの。磁気テープがついた切符の裏のデザインをモデルにしています。またメトロ1号線のルーヴル=リヴォリ駅のホームの椅子は美術品が置かれたホームの雰囲気に合わせてシックなガラス製の椅子が置かれています。チュイルリー庭園の最寄り駅であるメトロ1号線のチュイルリー駅は公園に近いせいなのか、ベンチのような木製の椅子が置かれています。

パリの公共施設を手掛けたデザイナー
ジョセフ・アンドレ・モット(Joseph-Andre Motte, 1925-2013)は戦後に家具やインテリアのデザイナーとして活躍したフランス人。1948年からパリの老舗デパートボン・マルシェで家具デザイナーとして働き、1954年に独立しました。その後パリのメトロやシャルルドゴール空港、オルリー空港、ルーヴル美術館などの公共施設のインテリアデザインを手がけました。フレンチモダンデザインの旗手として現在も評価の高いデザイナーです。一般家庭用のインテリアではランプの作品でも有名。

パリの文化・社会・歴史:パリのメトロの広告
パリのメトロの広告

メトロの広告

パリでメトロを使ったときに必ず目にするものの一つが広告です。日本の地下鉄と比べてメトロの広告はサイズも大きく、デザインもシンプルでクリエイティブなものが多いのが特徴。その装飾性の高さは駅のデザインの一部になっています。この巨大な広告は1枚の紙ではなく、複数の紙を貼り合わせて造られています。たまに作業員の人がポスター貼りをしている現場に出会いますが、その素早さと正確性はまさに職人技。わずか数分で古い広告が新しい広告に差替えられます。古い広告は剥がさずにその上に新たな広告を重ねていくのが特徴です。

メトロの匂い

パリのメトロを使ったことがある人なら分かるかもしれませんが、メトロ構内には独特の匂いが漂っています。決していい香りではなく、何かが饐えたような少し甘い香りです。駅によってその匂いは微妙に異なり、何かの腐敗臭、アンモニア臭、消毒液や洗剤、カビ、何かのスパイス、電車特有の機械油、埃の匂いなど、実に様々な香りが沈殿している気がします。各駅ごとの生活圏に違いが匂いにも影響しているのかもしれません。どちらにしてもそれらの匂いはメトロでしか嗅ぐことのできない独特のもの。冬には通気口かどこかから暖かな籠った空気とともにその匂いが拡散してホームに流れ込みます。その中にはメトロの壁や床にしみ込んだ様々な痕跡も混じっているようです。しかしそのような匂いは地元のパリジャンにとっては郷愁を感じる匂いのようで、遠くに出かけていた人がパリに帰ってきてメトロに乗ると、「ああ、パリに帰ってきたな」と思うようです。フランス映画『望郷』でジャン・ギャバン演じるペペ・ル・モコはパリからやってきた女性ギャビーに対して「お前はメトロの匂いがする」と言います。北アフリカのアルジェリアで逃亡生活をするペペにとって、ギャビーはまさに地元パリを思い出させる「望郷の香り」に包まれていたのです。

メトロが出てくる映画

パリのメトロが出てくる映画はいろいろとありますが、最も有名なのはジャン=ピエール・ジュネ監督の『アメリ』(2001)かもしれません。主人公アメリが青年ニノと最初に出会ったのがメトロのアベス駅。ただ映画の撮影はアベス駅ではなく、他の駅で行われています。映画の駅と実際の駅を見比べてみるのも面白い。ヴィム・ヴェンダース監督の『アメリカの友人』(1977)では額縁職人のジョナタンがある依頼によってメトロのエスカレーターでマフィアを殺す場面が描かれています。緊迫感のあるメトロの場面が印象的な作品です。ルイ・マル監督の『地下鉄のザジ』(1961)はとても不思議な映画。タイトルに「地下鉄」と入っているのに、映画にはメトロがほとんど出てきません。それでもバスティーユの旧駅舎が撮影されるなど、駅が好きな方には必見の映画です。

参考図書
坂井影代「パリ・メトロ散歩」

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