ビラ・ケム橋
上をメトロが走る二重構造のダイナミックな橋
ビラケム橋(ビル・アケム橋)は高級住宅街
パッシーの16区と日本文化会館のある15区を結ぶ美しい橋。その見栄えの良さから映画の撮影にもよく使われています。この橋の特徴は二階建であること。橋の上に車道と歩道があるのは他の橋と変わりませんが、そのさらに上をメトロが走っています。セーヌを渡り高級住宅街の中に消えていく光景はパリで最も美しいメトロ風景かもしれません。川から橋を見ていると不意に現れる列車は迫力満点。それはなんだか16区のアパルトマンの中から急に飛び出してきた未来の乗り物のように見えて面白い風景です。アレクサンドル3世橋のような豪華絢爛さはありませんが、シックな美しさを持っているビラケム橋。この橋独特の二重構造が、まるでローマの水道橋を思わせる重厚さをかもし出しています。
デンマークから寄贈されたジャンヌ・ダルクの像
ビラケム橋の真ん中まで歩くと勇壮な騎士のような像が見えてきます。これはフランスの英雄と言われるジャンヌ・ダルクの像。デンマークがフランスに寄贈した彫刻ですが、当時はその好戦的な姿が時代の空気に合わず、像を受け取るフランス側に迷いがあったそうです。しかし像に「フランスの復活」(La France Renaissante)という意味をつけることで、フランス国家の偉大さを象徴することができ、この橋に置かれることになりました。
ビラ・ケム橋
ビラケム橋の歴史
この橋の完成は1878年。万国博覧会のために歩行者専用の橋として造られました。パリの メトロの完成は1900年なので、完成当時はまだ橋の上には列車が走っていませんでした。名前もビラケム橋ではなく、パッシー歩道橋と言われていたのです。
パリのメトロが開通して数年後の1903〜1905年に橋の改築工事が行われ、メトロの鉄橋と2車線の車道が加えられました。まだメトロが最新の乗り物だったときです。中央の歩行者通路に並ぶ無限連鎖のような鉄柱は、1937年に当時アール・ヌーヴォー様式だった柱を機能的な柱へと作り変えられもの。その後橋の名前がビラケム橋に変更され、現在に至っています。
名前の由来はリビア砂漠のオアシス
ビラケムという名前は北アフリカのリビアにあるオアシスの地名から取られました。第二次世界大戦中の1942年にビラケム(ビル・アケイム)でフランス軍とドイツ・イタリア軍が闘い、最終的に包囲網を破ったことを記念して命名されました。
ビラ・ケム橋
ビラケム橋が舞台となった映画
このダイナミックな景観を持つビラ・ケム橋は多くの映画の舞台にもなっています。怪しげな男女の密会を描いたベルナルド・ベルトルッチ監督の『ラストタンゴ・イン・パリ』(1972)、ルイ・マル監督のデビュー作『死刑台のエレベーター』(1958)やわんぱく少女の視点から見たコミカルなパリを描いた『地下鉄のザジ』(1960)などのフランス映画で重要なシーンとして使われています。他にも連続殺人犯を追う警部をジャン=ポール・ベルモンドが演じたアンリ・ヴェルヌイユ監督の『恐怖に襲われた街』(1975)、主人公の姿が出てこないパリ風景のみを描いたマルグリット・デュラス監督の『船舶ナイト号』、CGを駆使して不可思議なパリを映像化したクリストファー・ノーラン監督の『インセプション』(2010)など多くの映画の重要な舞台として登場しました。
ビラ・ケム橋
メトロに乗ってビラケム橋を渡ろう
またメトロに乗ってこの橋を渡るのも面白い体験です。15区のビラ・ケム駅から乗れば、セーヌを渡る間に高級住宅街パッシーの壁のような建築物が迫り来るほどの迫力で見られます。ビラ・ケム橋を渡るときに突如セーヌ河の向こうに現れるエッフェル塔には、誰しもが感動することでしょう。またビラケム橋からは7月14日の革命記念日の花火もよく見えるそうです。
白鳥の小径へはビラ・ケム橋の途中から降りられる
ビラケム橋の近くのパリ観光
ビラケム橋の16区側はパッシーという高級住宅地。観光ではないパリの雰囲気を知りたい方は散策してみるといいかもしれません。15区側には日本映画の特集上映などを行う日本文化会館があります。またこの橋の中央からセーヌの中洲白鳥の小径に降りることもでき、散策やジョギングにも最適です。隣のグルネル橋までも歩いていけます。エッフェル塔までも徒歩圏内。