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パリの人気地区:パッシー

パッシー
Passy

かつてはのどかな村だった、パリ16区の高級住宅街   
パリ人気エリア:パッシー
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パッシー

パリ人気エリア:パッシー
パッシーの丘からセーヌ川方面を眺める

謎の多いシックな高級住宅街

パリでも一際美しい橋の一つビラケム橋。その向こうに見えるのは16区の高級住宅街パッシーです。エッフェル塔から歩いて15分程度のところにありますが、観光地としての要素は多くありません。どんな人が住んでいるのか分からない「沈黙の要塞」を思わせます。ビラケム橋の上にはメトロの高架があり、橋を渡って最初の駅パッシーの地名は高級住宅街の代名詞になっています。パッシーの中心は駅の上にあるパッシー通り(Rue de Passy)。駅から出てアルボニ通り(Rue de l'Alboni)を北上してコスタリカ広場(Place du Costa Rica)に出ると、左手にパッシー通りが見えてきます。通りはラ・ミュエット(La Muette)方面へと続き、パン屋、カフェ、ブティック、チェーン店、ショッピングモールなどがあり買い物に便利。コスタリカ広場はシャイヨー宮のあるトロカデロ庭園にも近いです。またパリ16区周辺にはエクトール・ギマールの建築も多く残っているので、建築愛好家の方も楽しめます。パッシー西部はブローニュの森へとつながり、その先はパリ郊外です。
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パッシー

パッシーが舞台のフランス小説と映画

パッシーはフランス小説の舞台にもなっています。パッシーを舞台にした小説にはロリータ・ピーユの『私の名前はヘル』"Hell"があります。16区で放蕩生活を送る主人公が本当の愛とその痛みを知るという小説で、映画化もされています(フランス映画祭2006で上映)。ノーベル文学賞を受賞したフランス作家パトリック・モディアノの小説は、その多くがパリ16区を舞台にしていて、記憶を失った主人公が自分の過去を捜し求めてパリの住宅地を放浪するというストーリー。彼の代表作『暗いブティック通り』"Rue des Boutiques Obscures"は韓国ドラマ「冬ソナ」の原作でもあります(ドラマの脚本家がこの小説から想を得て制作しました)。またベルナルド・ベルトルッチ監督の映画『ラスト・タンゴ・イン・パリ』"Last Tango in Paris"(1972)で退廃的な中年の主人公が若い女性と逢引するアパルトマンはパッシー駅付近で、駅前の老舗ブラスリーも電話のシーンで登場します。
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パッシー通り

パッシーの歴史

パッシーはもともとパリ郊外の名もないコミューン(村)でした。この辺りのパリ西部は11世紀頃、ロンシャン修道院を始めとする3つの修道院の元で発展しました。15世紀には荘園制のもとでパッシー領主の土地になります。1650年に水源が見つかり、水治療の場所として知られるようになります(休養のためにジャン=ジャック・ルソーも訪れました)。1658年には温泉も見つかり、パッシー周辺ではスパ施設が開発されました。温泉施設は地元のパリ市民や英国の訪問者を惹きつけ(施設の一部は彼らによって作られました)、彼らは魅力的な田舎に上品な家と良質なレジデンス、冬の静養所を引き込みました。18世紀になるとパッシー村が誕生し、隣接するオートゥイユ、シャイヨーとともにパリの西部を形成するようになります。18世紀、ブーランヴィリエ侯爵の時代にはパッシー城があったそうで、城の北部のパッシー平原には菜園やブドウ畑が広がっていたそうです。このようにパッシーは19世紀の初めまでどかな平原でしたが、1825年以降に土地の分譲地計画が始まってから景色は急速に変化していきます。そして1860年、オスマン男爵によるパリ改造の影響を受け、パッシー村は隣のオートゥイユ村とともにパリ市に併合され、現在のパリ16区が誕生しました(パッシーの人口は1836年には約2400人でしたが、パリに吸収された1860年には17594人になりました)。スパ景気によって賑わったパッシーには多くの裕福な人々が訪れ、その中の一部はここに移り住みました。現在は高級住宅街として、パリでも稀にみる治安のよい地区となっています。
パリ人気エリア:リュー・デ・ゾー(パッシー)
リュー・デ・ゾー(パッシー)

かつて水源のあった地図にも載らない狭い坂道

人の気配のないパリ16区は、見所の何もない地区と思われがちです。しかし、いざ散策してみると意外に面白い風景に出会えます。この細い急な坂道はパリ16区パッシーにあるリュー・デ・ゾー。「水の通り」という意味で、かつてここで鉄分を含んだ湧水がありました。道の高低差は20メートルもあり、まるで崖の間の道のよう。上はパッシー地区のレイヌアール通り(rue Raynouard)から始まり、狭い階段を下っていくと、セーヌ河近くに出ます。狭いところでは道幅は2メートルほどです。ちなみに19世紀末のパリの法令ではパリの道路の幅は6メートル以上と定められており、この通りが地図に載っていないのもそのせいかもしれません。

アールヌーヴォー様式のアパートが残る

かつての領主の邸宅や高級アパートの多いパッシーですが、建築においても見どころがあります。ラ・フォンテーヌ通りを歩いていると、バルコニーやドアに不思議な曲線の装飾が施されたアパートが見えてきます。ラ・フォンテーヌ通り14-16番地にある「カステル・ベランジェ」(Castel Beranger)です。アールヌーヴォーの代表的な建築家エクトル・ギマール(1867-1942)が27歳のときに設計した建物で、1895年から1898年にかけて建てられました。当初、このアールヌーヴォー様式に対して非難の声も多く、メトロの入り口や建築の外観に施された装飾を揶揄されたこともありましたが、のちにこの建築様式が芸術として見直されていきました。伝統的な石造りの外観に当時の最新素材だった鉄を融合させ、まるで鉄そのものが生きているかのような植物的曲線を作り上げました。内部にもタイルや天井にアールヌーヴォー様式の装飾が施されています。ギマールが作ったこの芸術的な集合住宅はパリ市開催の第1回ファサードコンクールを受賞しています。完成したばかりの1897年にはギマール自身がここに移り住みました。また画家ポール・シニャックもこの集合住宅が気に入って住んだそうです。またギマール設計のアールヌーヴォー様式の家はラ・フォンテーヌ通り17-21番地にもあります。
パリ人気レストラン:ラ・ガール(パッシー)
人気レストラン「ラ・ガール」(パッシー)

元駅舎を改装した16区にある素敵なレストラン

16区の中心地パッシーは人通りは少なくいつも静か。そんな16区のミュエット通りをラヌラグ庭園に向かって歩いていくと、少々時代を感じさせる不思議な建物が見えてきます。ここはパリ国鉄環状線のラ・ミュエット駅の駅舎を改装して造ったレストラン「ラ・ガール」。昔の駅舎らしく、入り口正面の壁に大きな時計が架けられています。パリにはこのように駅舎を改装して造られた施設があり、セーヌ川沿いにあるオルセー美術館はその代表的な建築物です。1階はカフェとなっていてホテルラウンジのような室内とテラスがあります。人気のテラス席はいつも多くの人で賑わっていて、接客も丁寧。 地下1階にはレストランがあり、ここはもともと駅のホームだった場所。そのため、中央部分(線路があった場所)が低くなっています。場所は地下ですが緑が多くガラス張りの窓からは地上の光がふんだんに入る明るい空間。ここではランチビュッフェが人気で、気持ちのいいランチが楽しめます。
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パッシー

パッシーに関係のある有名人

パッシーに関係した有名人としては、作家のオノレ・ドゥ・バルザック(Honore de Balzac, 1799-1850)、画家のカミーユ・ピサロ(Camille Pissarro, 1830-1903)、ベルト・モリゾ(Berthe Morisot, 1841-1895)、アメリカの政治家ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin, 1785-1778)などがいます。バルザックはパッシーに住み、作品を書きました(彼の住んだ家は現在美術館になっています)。アメリカ合衆国建国の父として知られるベンジャミン・フランクリンはアメリカ独立戦争時にフランスに9年間住んでいました。彼はパッシーで小さな印刷所を設立しました。それはフランスから革命の支援を継続してもらうためのパンフレットや委任統治の資料などを印刷するためでした。彼はそこをパッシープレス(Passy Press)と呼んだそうです。またパリの社交界を中心に積極的に活動し、パリのセレブリティーの女性たちの支持を得て、欧州各国との外交交渉をしました。そして独立戦争へのフランスの協力を勝ち取りました。

パッシーと芸術

パッシーに関係する芸術としては、アルベール・グレーズ(Albert Gleizes, 1881-1953)によって描かれた絵画"Les ponts de Paris(Passy)"(1912)があります。その絵画には当時新しく形成されたパッシー芸術家(Artists of Passy)の団結の精神が見られ、それはキュビズムから派閥が発展していった時代でした。パッシー芸術家はアヴァンギャルドの多様な芸術家グループで構成され、この新グループによる最初の晩餐は新象徴主義者のポール・フォール(Paul Fort, 1872-1960)が司会を務め、パリ16区のバルザックの家で開かれました。晩さん会の参加者にはギョーム・アポリネール(Guillaume Apollinaire)、マリー・ローランサン(Marie Laurencin, 1883-1956)、レイモン・デュシャン・ヴィロン(Raymond Duchamp-Villon, 1876-1918)、フェルナン・レジェ(Fernand Leger, 1881-1955)などがいました。
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パッシー

パッシーの人気観光スポット

パッシーには目立った観光地はありませんが、美しい穴場の観光スポットがいくつかあります。主な観光地にはクレマンソー美術館(Musee Georges Clemenceau)、アール・ヌーヴォーのデザインが残るアパルトマン、パリ・ワイン博物館(Musee du Vin)などがあります。フランス文学に興味があるならバルザックの家(Maison de Balzac)がおすすめ。借金取りに追われながら作品を書き続けた作家の家は、美術館になっています。周辺まで足を伸ばせば、シャイヨー宮やエッフェル塔も徒歩圏内です。セーヌ川沿いにあるパッシー公園は緑が多く休憩にも最適。高級住宅街の中で異質な存在感を示す円形の近代的な建物はラジオ・フランス(公共ラジオ放送局)で、無料のコンサートイベントなども開催しています。ブローニュの森と隣接するパッシー西部には緑豊かなラヌラグ庭園があり、庭園には寓話で有名なジャン・ド・ラ・フォンテーヌの像が立っています。庭園の先には印象派美術のコレクションで知られるマルモタッタン美術館があり、アート好きな方には穴場の観光地。パッシー墓地(Cimetière de Passy)にはアメリカのサイレント映画スターであるパール・ホワイト(Pearl White, 1889-1938)、画家のエドアール・マネ(Edouard Manet, 1832-1883)、ベルト・モリゾ(Berthe Morisot, 1841-1895)、作曲家のクロード・ドビュッシー(Claude Debussy, 1862-1918)などの有名人が眠っています。

モネの有名な絵画がある
パリ16区、ラヌラグ庭園の近くにあるマルモッタン美術館(Musée Marmottan Monet)は美術史家ポール・マルモッタンの邸宅を改装した印象派専門の美術館。彼の絵画コレクションがそのまま展示品になっています。ここには印象派が生まれるきっかけとなったクロード・モネの作品『印象、日の出』が展示されています。最寄り駅はメトロ9号線のラ・ミュエット駅です。

パリ観光基本情報
パッシー / Passy
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中心となる場所:パッシー通り(Rue de Passy)
最寄メトロ:パッシー(Passy)、ラ・ミュエット(la Muette)
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