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パリ観光地:オルセー美術館

オルセー美術館
Musée d'Orsay

使われなくなった駅舎を利用した19世紀専門の美術館   
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オルセー美術館

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パリ観光地:オルセー美術館
オルセー美術館

駅舎ならではの空間が楽しめる19世紀美術館

パリ観光の定番となっているオルセー美術館は、使われなくなった駅舎を利用した美術館。「印象派の殿堂」として有名な美術館で、日本人にも人気です。もともとはオルセー駅だった建物を利用しているため、オルセー美術館という名前になりました。駅舎の空間を利用した館内は他では体験できない独特なパースペクティブが楽しめ、ガラスの天井から降り注ぐ光が作品を照らします。夕方、セーヌ河ととも夕日に照らされる姿は荘厳で美しく、19世紀の建築美学を感じさせる建物です。

オルセー美術館の特徴

オルセー美術館のユニークな点は時代を限定しているところです。1848年から1914年の間に作られた絵画、彫刻、建築、写真などをコレクションしていて、主に印象派とポスト印象派、ナビ派の絵画を展示しています。2009年から2011年にかけては内装の改修工事が行われ、より作品が引き立つように壁の色と照明が一新されました。

オルセー美術館の歴史(1):万博に合わせて造られたモダンな駅舎

美術館の前身であるオルセー駅は1900年のパリ万博に合わせてパリ=オルレアン鉄道が作った新しいターミナル駅でした。当時はまだ国鉄が存在せず、複数の私鉄がパリ市内にターミナル駅を造っていました。元々ここには1871年のパリ・コミューンの際に焼失した旧フランス会計院があり、その建物の跡地をパリ=オルレアン鉄道が所有していました。駅を設計したのはフランスの建築家ヴィクトール・ラルー。対岸にあったルーヴル美術館などの宮殿建築と景観を合わせるため、重厚な外観の駅舎として建てられました。左岸沿いに作られたオルセー駅はフランス革命記念日の7月14日にオープン。高級ホテルを併設した豪華な駅で、鉄とガラスを多用したモダンな建築が注目されました。

最新の電車が停まるクリーンな駅
オルセー駅を発着する電車は蒸気機関車ではなく、最新の電動列車でした。電力のために設計された最初の近代的な駅で、蒸気や煙が出ない駅構内の空気は綺麗でした。そのため建築家は駅をガラスで覆い、旅行者のための快適な内装を自由に設計することができたのです。

オルセー美術館の歴史(2):時代遅れとなり、取り壊しが決定

しかし、近代的な駅として作られた駅は次第に時代遅れの産物として見られるようになりました。新しい電車の長さにホームが合わず、次第に利用される機会が減っていきました。1939年には駅の利用が郊外電車の乗り入れに限られるようになり、その後私鉄から国鉄への切り替えと同時に使われなくなりました。駅舎としての役目を終えた後は、ホテルや捕虜収容所として使われたりしましたが、1961年には取り壊されることが決まります。取り壊し後の計画として国際ホテルの建設案が採用されますが、国からの周辺環境との兼ね合いから建設許可が下りず、結局駅の解体は免れることになりました。

映画の舞台になってオルセー駅
駅としての役目は短かったですが、豪華な内装のオルセー駅は映画の撮影にも使われました。オーソン・ウェルズの『審判』(1963)やベルナルド・ベルトルッチの『ラストタンゴ・イン・パリ』(1972)などの映画のロケ地になり、その風景は今もフィルムの中で見ることができます。

オルセー美術館の歴史(3):大統領の発案により美術館として生まれ変わる

60年代後半から70年代にかけて、パリの建築物に対する世論の意識や考え方は徐々に変化していきました。1972年にできたモンパルナスタワーも論争の的になった建築物の一つです。しかし1973年にはホテルと駅の利用方法が見つからないまま放置されていました。このとき駅舎を美術館にしようと発案したのが当時のヴァレリー・ジスカール・デスタン大統領(任期:1974-81)でした。老朽化した歴史的建築物を改修して19世紀の芸術文化をまとめて展示するという計画が立案されました。駅から美術館への改装については建築コンクールが開かれ、A.C.T.建築事務所の3人の若い建築家(ピエール・コルボ、ルノー・バードン、ジャン=ポール・フィリポン)が優勝します。当初は駅のホームだったメインホールを温室のように巨大なパームツリーで覆う計画でしたが、2回目の改装工事の際にイタリアのインテリアデザイナーであるガエ・アウレンティがデザインを一新。メインホールを硬質の石灰岩で覆うことで、石に反射した光が展示された彫刻や絵画と調和する美しい吹き抜け空間を作り上げました。他にも駅舎の玄関は受付に、ビュッフェコーナーはライブラリーやブックショップに変わりました。フランソワ・ミッテランの時代の1986年12月に美術館としてオープン。もともとあった駅舎が新しい美術館として生まれ変わったのです。

2021年に「オルセー美術館ヴァレリー・ジスカール・デスタン」に改名

美術館を発案したジスカール・デスタン元大統領は2020年12月に新型コロナウイルスの合併症によって94歳で亡くなりました。彼の功績を称えて2021年にオルセー美術館を彼の名前を冠した「オルセー美術館ヴァレリー・ジスカール・デスタン」にすることが国民議会で決まりました(3月25日に採択)。オルセー美術館と同一組織であるオランジュリー美術館も同じく改名されるとのことです。大統領の発案で生き延びた駅舎。そう考えると、今パリ中心部にどんと構えるこの美術館も、もし歴史が少しでも違っていたら存在しなかったのかもしれません。不意にセーヌの前に立つオルセー美術館が歴史の中でかろうじて生き延びた「奇跡の建物」に見えてきます。古いものはとっておくパリの美学がこの駅を救ったのでしょう。

フランス大統領の名前がついた施設
ちなみに現行の第5共和政の元大統領であるシャルル・ド・ゴール、ジョルジュ・ポンピドゥー、フランソワ・ミッテランの名前も公共の施設や場所に付けられています(シャルルドゴール空港、フランソワ・ミッテラン図書館ポンピドゥーセンター)。

カイユボットの遺言から生まれた美術館

19世紀美術がテーマであるオルセー美術館のメインは印象派絵画。今では世界的に有名となっている印象派ですが、19世紀当時のフランスでは「不完全な絵」として世間に認めてもらえず、絵の売れないモネやセザンヌ、ルノワールなどの画家たちは貧しい生活を強いられていました。そこに経済的支援を差し伸べたのが自身も画家であったギュスターヴ・カイユボット(1848-1894)でした。彼は印象派の作品を買い取り、印象派美術展の費用を提供しました。自身もたくさんの絵を描き、印象派美術展に多数出品しています。今オルセー美術館が成り立っているのは、カイユボットの印象派コレクションのおかげで、彼が絵をフランス政府に寄贈するという遺言(これを国が受け入れるのにルノワールが折衝して2年かかった)がなければ、美術館自体が存在しなかったかもしれません。まさにカイユボットの遺言から生まれた印象派のための美術館といえます。
パリ観光基本情報
オルセー美術館ヴァレリー・ジスカール・デスタン / Musée d'Orsay
パリの観光地
オープン(完成):1986年
住所:1 Rue de la Legion d'Honneur, 75007 Paris, フランス
最寄メトロ:Solferino(ソルフェリノ)、RERのMusée d'Orsay(ミュゼドルセイ)
エリア:パリ7区
カテゴリ:パリの観光スポット
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オルセー美術館へのアクセス(地図)
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