フォーラム・デ・アール
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フォーラム・デ・アール(2019)
2016年に生まれ変わった近未来的ショッピングセンター
パリ観光に行かれた人なら一度は通ったことがあるかもしれないシャトレ・レ・アールは、日本でいえば新宿のような多くの人が行き交う大型駅。その駅に直結しているのが大型ショッピングセンター「フォーラム・デ・アール」です。地下4階まである巨大な商業施設で、アパレルショップや雑貨店だけでなく年中無休の映画館UGCや電化製品チェーン店フナックも入っています。もともと70年代特有のガラスとクロム金属を使った外観でしたが、レ・アール地区の再開発の一環として2016年にリニューアルオープンしました。近代美術館であるポンピドゥーセンターからも近く、周辺はいつも観光客でにぎわっています(治安がいいとは言えません)。外には公園もあり、その前にはパリで一番壮麗な教会とも言われるサン・トゥスタッシュ教会が立っています。かつて共同墓地だったイノサンの噴水もすぐ近く。もともとこのショッピングセンターは12世紀から1969年まで存在した歴史ある中央市場(レ・アル)の跡に作られています。フォーラム・デ・アル(市場のフォーラム)の名前はそこに由来しています。40年ぶりの大幅リニューアル!
フォーラム・デ・アールは再開発プロジェクトとして2016年にリニューアルしました。パトリック・ベルジェとジャック・アンズィッティによる設計で、「カノペ」と呼ばれる近未来的な巨大天蓋がシンボルとなっています。カノペはフランス語で「屋根」という意味で、森の木々が差し出す葉や枝によって覆われた空間を表現しています。カノペは鋼の骨組みと無数の傾斜したガラス板で造られていて、光と風を通して心地よい空気の循環を生み出しています。天蓋の隙間から室内に差し込む光は、まさに森の中に差し込む自然の陽ざしのようです(ただ、ガラスに反射した強い光が近くのアパルトマンの一般住居内に入り住宅問題を引き起こしてもいます)。雨の日にはカノペを構成する板の一枚一枚に水がつたっていき、背骨となる中心部分に集まる仕組みになっています(天井の下の地面に水たまりが発生するという問題も)。地上階から地下に潜る構造で、店舗は地下4階まで広がっています。日本にも所縁がある建築家
新しいフォーラム・デ・アールを設計したパトリック・ベルジェは日本にも縁がある建築家で、日仏友好モニュメントや兵庫県西脇市の「日本のへそモニュメント」を設計しています。またパリ15区にあるアンドレ・シトロエン公園も彼の設計です。
最新のカフェやショップが入った複合施設
より開放的になった施設内にはリニューアル前と同じく、ショッピング・カフェ・映画の施設がたくさん!世界的なファッションブランドやファストファッション、コスメ、書店、インテリアショップを始めとする約150の店舗が入り、休憩場所としてはフィリップ・スタルクがプロデュースした未来的な文学カフェ「ZA」が人気です。以前にあった家電量販店のフナック(Fnac)も入っています。日曜営業の店もあり、多くの店が日曜閉店のパリでは便利な存在。映画館はヨーロッパ最大のスクリーン数を誇るUGCシネ・シテ・レアールが入っています。パリ観光中の合間に服を買いに立ち寄ったり、手ごろなお土産を探すのに訪れるのもいいですね。フォーラム・デ・アールの歴史:かつて中世から営まれたパリ中央市場があった
フォーラム・デ・アールのある場所の歴史についてお話しします。ここはかつて食品や繊維品などが売られていた中央市場(レ・アール)でした。パリの中央市場の起源は中世までさかのぼります。1182年、当時のフランス国王フィリップ・オーギュストによって財源確保という目的のためにユダヤ人追放令が出され、ユダヤ人街だった場所に市場が設置されました。シャンポーの市場と言われたその市は国内で最も人手の多いマーケットとなり、その後シャンポーの市場の跡地にパリ中央市場(レ・アール)が作られることになります。しかし市場自体は16世紀まで大きな変化はせず、その間にサン・トゥスタッシュ教会が目の前に建設されます。その後レ・アールに出店する商人の数は増えていきます。フランソワ一世の時代に大きく改良され、1532年から1640年にかけて建て替えられました。フォーラム・デ・アールの歴史:19世紀には鉄骨建築の美しい市場に変貌
19世紀になるとこの地区の衛生問題や混雑が問題になり、1848年にレ・アールのリニューアルのための建築コンクールが開かれ、建築家ヴィクトール・バルタール(Victor Baltard, 1805-1874)が優勝します。1851年にはバルタールによる石の建築案が出されましたがナポレオン3世によって反対され、その後鉄骨の中央市場が1852年と1870年に完成します。エミール・ゾラの『パリの胃袋』に描かれた中央市場
ヴィクトール・バルタールによって完成した鉄骨建設のパリ中央市場は、その後1世紀(19世紀中盤〜20世紀中盤)に渡ってパリの経済活動の中心であり続けました。まさに首都を形作る巨大な市場でした。フランスの作家エミール・ゾラは、『パリの胃袋』(Ventre de Paris)の中でレ・アールの様子を克明に描いています。
フォーラム・デ・アールの歴史:取り壊されランジスに移転。その跡地が今のショッピングセンターに
「パリの胃袋」として経済の中心地となっていたレ・アールでしたが、1969年にパリ市民の需要に応えられなくなり、老朽化の問題もあってパリ郊外のランジスに移転となります。12世紀から続いたパリの中央市場の歴史が幕を閉じます。それと共に中央市場になった鉄骨のパビリオンは2年後に取り壊され、中央市場の原型だった19世紀の貴重な建築は跡かたもなく消えました。しかし現在ヴァル・ドゥ・マルム(ノジャン・シュール・マルム)にその建築の一部が保管されています。その後1979年にショッピングセンターであるフォーラム・デ・アールが完成し、40年後の2016年に新しい観光地として生まれ変わりました。13世紀から続くグルメストリート モントルグイユ通り
現在は中央市場からショッピングセンターとなってしまったレ・アールですが、今もその名残を感じさせてくれる美味しいスポットをご紹介します。フォーロム・デ・アールの北側にモンマルトル方面にまっすぐと伸びる大通りがあります。モントルグイユ通りは、パリで最も古い商店街の一つ。かつてフォーロム・デ・アールが中央市場だ(レ・アール)だったときから存在し、多くの名の知れた食堂がありました。作家のバルザック、デュマ、ゴーチエなどが、そんな食堂で食事をして舌鼓を打ち、創作に打ち込んだそうです。その活気は13世紀から現在まで続き、今も多くの美味しい店が軒を連ねるグルメストリートとなっています。「サバラン発祥の地」として知られるパティスリーストレールもその一つです。- フォーラム・デ・アールの店舗情報
- アパレル(衣服・ファッション)
- AGATHA、AIGLE、ANDRE、CALVIN KLEIN UNDERWEAR、DARJEELING、ETAM、GAP、H&M、HERSCHEL、JULES、LACOSTE、LEVI'S、LOUIS PION、MANGO、PETIT BATEAU、PULL & BEAR、SANDRO、SIXTH JUNE、SUPERDRY、SWAROVSKI、TAILOR CORNER、UNDIZ、ZARA 他
- 健康・コスメ
- ADOPT、BLEU LIBELLULE、BOURJOIS、L'OCCITANE、MARIONNAUD、MELVITA、SEPHORA、THE BODY SHOP、YVES ROCHER 他
- 書店・雑貨
- フナック(FNAC)、モールスキン(MOLESKINE)、モノプリ(MONOPRIX)、無印良品、NATURE & DECOUVERTES 他
- スーパーマーケット
- フランプリ(franprix)、モノプリ(MONOPRIX)
- 家電
- フナック(FNAC)、ダーティー(DARTY)
- スイーツ
- Jeff de Bruges
- レストラン・カフェ
- BRETZEL LOVE、BRIOCHE DOREE、CHAAK、CREP'EAT、LE PAIN QUOTIDIEN、MA COCOTTE、MC DONALD'S、MOMEN'TEA、PAUL、POMME DE PAIN、YOGURT FACTORY 他
- パリ観光基本情報
- フォーラム・デ・アール / Westfield Forum des Halles
- パリの観光地
- オープン:1979年
- 住所:101 Rue Berger 75001 Paris
- 最寄メトロ:Chatelet Les Halles(シャトレ・レ・アル)
- エリア:ボブール
- カテゴリ:パリの観光スポット
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フォーラム・デ・アールへのアクセス(地図)
フォーラム・デ・アールへのアクセス(地図)