パリの観光スポット
パリ観光地:フォーラム・デ・アール

フォーラム・デ・アール
Westfield Forum des Halles

パリ中心部にある近未来的ショッピングセンター   
パリ観光地:フォーラム・デ・アール(2007年)
パリ観光地:フォーラム・デ・アール(2019年)

フォーラム・デ・アール

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パリ観光地:フォーラム・デ・アール(2019年)
フォーラム・デ・アール(2019)

2016年に生まれ変わった近未来的ショッピングセンター

パリ観光に行かれた人なら一度は通ったことがあるかもしれないシャトレ・レ・アールは、日本でいえば新宿のような多くの人が行き交う大型駅。その駅に直結しているのが大型ショッピングセンター「フォーラム・デ・アール」です。地下4階まである巨大な商業施設で、アパレルショップや雑貨店だけでなく年中無休の映画館UGCや電化製品チェーン店フナックも入っています。もともと70年代特有のガラスとクロム金属を使った外観でしたが、レ・アール地区の再開発の一環として2016年にリニューアルオープンしました。近代美術館であるポンピドゥーセンターからも近く、周辺はいつも観光客でにぎわっています(治安がいいとは言えません)。外には公園もあり、その前にはパリで一番壮麗な教会とも言われるサン・トゥスタッシュ教会が立っています。かつて共同墓地だったイノサンの噴水もすぐ近く。もともとこのショッピングセンターは12世紀から1969年まで存在した歴史ある中央市場(レ・アル)の跡に作られています。フォーラム・デ・アル(市場のフォーラム)の名前はそこに由来しています。

40年ぶりの大幅リニューアル!

フォーラム・デ・アールは再開発プロジェクトとして2016年にリニューアルしました。パトリック・ベルジェとジャック・アンズィッティによる設計で、「カノペ」と呼ばれる近未来的な巨大天蓋がシンボルとなっています。カノペはフランス語で「屋根」という意味で、森の木々が差し出す葉や枝によって覆われた空間を表現しています。カノペは鋼の骨組みと無数の傾斜したガラス板で造られていて、光と風を通して心地よい空気の循環を生み出しています。天蓋の隙間から室内に差し込む光は、まさに森の中に差し込む自然の陽ざしのようです(ただ、ガラスに反射した強い光が近くのアパルトマンの一般住居内に入り住宅問題を引き起こしてもいます)。雨の日にはカノペを構成する板の一枚一枚に水がつたっていき、背骨となる中心部分に集まる仕組みになっています(天井の下の地面に水たまりが発生するという問題も)。地上階から地下に潜る構造で、店舗は地下4階まで広がっています。

日本にも所縁がある建築家
新しいフォーラム・デ・アールを設計したパトリック・ベルジェは日本にも縁がある建築家で、日仏友好モニュメントや兵庫県西脇市の「日本のへそモニュメント」を設計しています。またパリ15区にあるアンドレ・シトロエン公園も彼の設計です。

最新のカフェやショップが入った複合施設

より開放的になった施設内にはリニューアル前と同じく、ショッピング・カフェ・映画の施設がたくさん!世界的なファッションブランドやファストファッション、コスメ、書店、インテリアショップを始めとする約150の店舗が入り、休憩場所としてはフィリップ・スタルクがプロデュースした未来的な文学カフェ「ZA」が人気です。以前にあった家電量販店のフナック(Fnac)も入っています。日曜営業の店もあり、多くの店が日曜閉店のパリでは便利な存在。映画館はヨーロッパ最大のスクリーン数を誇るUGCシネ・シテ・レアールが入っています。パリ観光中の合間に服を買いに立ち寄ったり、手ごろなお土産を探すのに訪れるのもいいですね。

フォーラム・デ・アールの歴史:かつて中世から営まれたパリ中央市場があった

フォーラム・デ・アールのある場所はかつて食品や繊維品などが売られていた中央市場(レ・アール)でした。パリの中央市場の起源は中世までさかのぼります。ルイ6世の治下であった1137年、最初の市場であるシャンポー市場が開かれました。それまでパリの食糧市場はグレーヴ広場(現在のパリ市庁舎前広場)にありましたが、人口密集によって狭くなったために移されることになりました。当時レアールのある場所はパリ外れの埋め立て地で、土地が余っていたのです。最初は露天市場でしたが、1182年には集合市場として整備されました。当時のフランス国王だったフィリップ・オーギュストによって2階建ての木造家屋が建設され、市場に集まった商人たちは屋内で取引することが可能になりました。市場はますます便利になり、食肉や魚を取引する中央市場として多くの人で賑わいました。

フォーラム・デ・アールの歴史:中央市場の隣にあったイノサン墓地

中世から活気のあった中央市場でしたが、その一方で大きな問題を抱えていました。それは市場のすぐ隣に墓地があることでした。イノサン教会に付属したイノサン墓地はパリ最古の墓地で、パリで亡くなった人の多くはここに埋葬されました。パリの人口が増えるにつれて亡くなる人も増え、次第に墓地に埋葬される人の数は収容人数を超えるようになりました。そうなると一つの墓穴に複数の人を埋葬するようになり、穴が埋まるまで死体はそのまま放置されるようになりました。墓地周辺は腐臭が漂うになり、その匂いは隣接した市場にも流れていきました。

イノサンの名前の由来
「イノサン」という名前は聖書の物語に因んでいます。それはユダヤの王ヘロデによって無垢の子供たちが虐殺されたエピソードです。ルイ7世が殺された子供たちに敬意を表して教会に「聖イノサン」と名付けました。

それでも市場が営業できたのは中世のパリ市民の嗅覚の許容度が現代人よりも高いためでした。14世紀にパリでコレラが流行したときには1日に500人の死体が運び込まれたそうです。収容量が限界に達してからもイノサン墓地は存続し続け、骨を掘り起こして新たに別の死体を収納する方式がとられました。そのため。掘り起こされた人骨を収める場所として新たに納骨堂が作られました。墓地を囲むアーケード型の納骨堂で、運び出された人骨はその堂の屋根にむき出しの形で置かれ、次第にその下には様々な商店ができるまでになりました。しかし18世紀に入ると衛生学が発達して墓地から漂う腐臭が問題視され始め、1780年代の中頃に教会と墓地は完全に解体されました。墓地に埋葬されていた人骨は全てパリ地下に造られたカタコンブに移され、墓地のあった場所にはイノサン市場として野菜・果物の市場が作られました(イノサンの噴水がある場所がその跡地です)。600年以上も続いたパリの墓地の歴史はこうして幕を閉じました。

今も残るイノサンの泉
イノサン教会と墓地に隣接して噴水がありました。イノサンの泉(Fontaine des Innocent)と呼ばれるルネサンス様式のモニュメントで、16世紀にジャン・グジョンによって作られました。18世紀に教会と墓地が解体された後も、イノサンの泉は新しい市場内に移転することで残りました。1860年には市場の拡張工事によって現在の場所に移動。今も歴史的な建造物として保護され、2024年パリ・オリンピックを機に修復されました。

墓地が隣にある環境でも中央市場は営業を続け、16世紀まで大きな変化はしませんでした。フランソワ一世の時代に大きく改良され、1532年から1640年にかけて建て替えられました。建て替え中の1637年にはサン・トゥスタッシュ教会が市場の目の前に建設されました。18世紀にはカミュ・ド・メジエールが小麦市場(現在の証券取引所)を建設し、革命期を経て市場は拡大していきました。

フォーラム・デ・アールの歴史:19世紀に鉄骨建築の機能的な市場にリニューアル

しかし19世紀になると、この地区の衛生問題や混雑が再び大きな問題として浮上しました。国民生活の向上に力を注いでいたナポレオン3世は衛生的な新しい市場の建設を決め、セーヌ県知事のベルジュに中央市場の建て替えを命じます。1848年にレ・アールのリニューアルのための建築コンクールが開かれ、ローマ賞を受賞した建築家ヴィクトール・バルタール(Victor Baltard, 1805-1874)が優勝します。1851年にはバルタールによる石造りの建築案が出されましたが、近代的な機能性を重視したナポレオン3世によって却下されます。皇帝が頭に思い描いていたのは1851年のロンドン万博で展示されたクリスタルパレスのような鉄骨とガラスによる建築で、それは当時の駅舎のようなモダンな構造物でした。その後新しくセーヌ県知事オスマンの説得によってバルタールはプランを皇帝寄りの内容に変更。中央市場の建設が1853年に始まり、1868年に完成しました。完成した新しい中央市場は鋳鉄とガラスによる地上2階、地下1階の10棟からなる大規模な建築物で、棟と棟はガラス屋根付きのアーケードでお互いに連結されていました。

エミール・ゾラの『パリの胃袋』に描かれた中央市場
ヴィクトール・バルタールによって完成した鉄骨建設のパリ中央市場は、その後1世紀(19世紀中盤〜20世紀中盤)に渡ってパリの経済活動の中心であり続けました。まさに首都を形作る巨大な市場でした。フランスの作家エミール・ゾラは、『パリの胃袋』(Ventre de Paris)の中でレ・アールの様子を克明に描いています。

フォーラム・デ・アールの歴史:取り壊されランジスに移転。その跡地が今のショッピングセンターに

「パリの胃袋」として経済の中心地となっていたレ・アールでしたが、1969年に市場はパリ郊外のランジスに移転することになりました。建物の老朽化によってパリ市民の需要に応えられなくなったことが主な原因でした。こうして12世紀から800年以上に渡ってパリジャンの胃袋を満たしてきた中央市場の歴史が幕を閉じました。移転後、中央市場にあった鉄骨のパビリオンは美術展覧会場や劇場などの文化施設として利用されましたが、2年後に解体。中央市場の原型だった19世紀の貴重な建築はパリからなくなりました。現在、市場を構成していた10棟のうちの1棟がヴァンセンヌの森の東にあるヴァル・ドゥ・マルム(ノジャン・シュール・マルム)に保管されています。その後市場の跡地の利用を巡って様々なプランが提案されました。1979年にショッピングセンターであるフォーラム・デ・アールが完成し、多くの観光客や買い物客で新たな賑わいを見せるようになりました。しかし建物のデザインを巡っては批判的な意見も多く、40年後の2016年に大規模なリニューアルをしました。

13世紀から続くグルメストリート モントルグイユ通り

現在はショッピングセンターとなってしまったレ・アールですが、今も中央市場の名残を感じさせてくれる美味しいスポットをご紹介します。フォーロム・デ・アールの北側にモンマルトル方面にまっすぐと伸びる大通りがあります。モントルグイユ通りは、パリで最も古い商店街の一つ。かつてフォーロム・デ・アールが中央市場だ(レ・アール)だったときから存在し、多くの名の知れた食堂がありました。作家のバルザック、デュマ、ゴーチエなどが、そんな食堂で食事をして舌鼓を打ち、創作に打ち込んだそうです。その活気は13世紀から現在まで続き、今も多くの美味しい店が軒を連ねるグルメストリートとなっています。「サバラン発祥の地」として知られる老舗のパティスリーストレール(STOHRER)もあり、フランス菓子が好きな人にもおすすめの通りです。
フォーラム・デ・アールの店舗情報
アパレル(衣服・ファッション)
AGATHA、AIGLE、ANDRE、CALVIN KLEIN UNDERWEAR、DARJEELING、ETAM、GAP、H&M、HERSCHEL、JULES、LACOSTE、LEVI'S、LOUIS PION、MANGO、PETIT BATEAU、PULL & BEAR、SANDRO、SIXTH JUNE、SUPERDRY、SWAROVSKI、TAILOR CORNER、UNDIZ、ZARA 他
健康・コスメ
ADOPT、BLEU LIBELLULE、BOURJOIS、L'OCCITANE、MARIONNAUD、MELVITA、SEPHORA、THE BODY SHOP、YVES ROCHER 他
書店・雑貨
フナック(FNAC)、モールスキン(MOLESKINE)、モノプリ(MONOPRIX)、無印良品、NATURE & DECOUVERTES 他
スーパーマーケット
フランプリ(franprix)、モノプリ(MONOPRIX)
家電
フナック(FNAC)、ダーティー(DARTY)
スイーツ
Jeff de Bruges
レストラン・カフェ
BRETZEL LOVE、BRIOCHE DOREE、CHAAK、CREP'EAT、LE PAIN QUOTIDIEN、MA COCOTTE、MC DONALD'S、MOMEN'TEA、PAUL、POMME DE PAIN、YOGURT FACTORY 他
パリ観光基本情報
フォーラム・デ・アール / Westfield Forum des Halles
パリの観光地
オープン:1979年
住所:101 Rue Berger 75001 Paris
最寄メトロ:Chatelet Les Halles(シャトレ・レ・アル)
エリア:ボブール
カテゴリ:パリの観光スポット
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フォーラム・デ・アールへのアクセス(地図)
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