コンコルド橋
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シャンゼリゼの終点!バスティーユ牢獄の石を使ってできた橋
コンコルド橋はオベリスクで有名なコンコルド広場の前にあるアーチ橋です。コンコルド広場からセーヌ河に目を向けると、立派な石造りのコンコルド橋を見ることができます。橋まで歩いて行ってみましょう。橋の向こうにはギリシャ風の神殿を模したブルボン宮(国会議事堂)が立っています。後ろを振り向けばコンコルド広場の奥にギリシャ風のマドレーヌ寺院が見えます。コンコルド広場の左に目を向ければ、そこはシャンゼリゼ大通りの終点。そこからまっすぐ大通りを歩いていけば凱旋門に到着します。コンコルド橋を渡った左岸側はサンジェルマン通りの終点にもなっていて、そこから歩いてサンジェルマン・デ・プレへ行くこともできます。コンコルド橋は革命期に名前が何度か変わり、1830年より現在の名前になりました。またコンコルド橋はバスティーユの牢獄を解体したあとの石を利用して造られたことで有名です。まさにフランス革命とともに生まれた橋でした。最初に渡し船があった
コンコルド橋の計画は1725年に始まります。現在のコンコルド広場であるルイ15世広場の整備の一環でした。当時広場の前のセーヌ河岸には渡し船が停まっていました。国立土木学校を創設した建築家ジャン=ロドルフ・ペロネ(Jean-Rodolphe Perronet)によって1787年にコンコルド橋の建設が開始されました。フランス革命期にも作業は続き、バスティーユ牢獄を解体した際にできた石材が橋に使われました。コンコルド橋が完成したのは革命後の1791年のことでした。元々の名前はルイ16世橋だった
コンコルド橋の名前は何度も変わりました。最初はルイ16世橋でしたが、革命期には革命橋と呼ばれるようになり(コンコルド広場も革命広場と呼ばれていました)、その後コンコルド橋になります。しかしナポレオン失脚後の王政復古時代には再び16世橋となり、七月革命の起きた1830年にコンコルド橋に落ち着きました。現在のコンコルド橋
現在コンコルド広場は交通の要所となっており、パリの橋の中でも最も交通量が多い橋となっています。1932年の拡張工事では橋の幅は2倍になりました。その後1983年にも改修が行われています。車が多いのには辟易しますが、パリ滞在中にこの橋を訪れる価値は十分にあります。ブルボン宮とマドレーヌ寺院という2つのギリシャ神殿を見渡せるこの橋は、パリという街の綿密に計画された対称美を感じられる貴重な橋。またシャンゼリゼとチュイルリー庭園の間にあるコンコルド橋は、地理的に見てパリ観光の中心地とも言えるかもしれません。- パリ観光基本情報
- コンコルド橋 / Pont de la Concorde
- パリの観光地
- オープン(完成):
- 住所:
- 最寄メトロ:Concorde(コンコルド)
- エリア:
- カテゴリ:パリの観光スポット
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コンコルド橋へのアクセス(地図)
コンコルド橋へのアクセス(地図)