パリの通り
パリの通り:シャンゼリゼ通り

シャンゼリゼ通り

人の流れさえも観光となる世界で最も有名な大通り   
パリの通り:シャンゼリゼ通り
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パリの通り:シャンゼリゼ通り
パリの通り:シャンゼリゼ通り

シャンゼリゼ通り

パリの通り:7月14日(パリ祭)のシャンゼリゼ通り
7月14日(パリ祭)のシャンゼリゼ通り

世界で最も有名な通り

誰もがその名前を知っているシャンゼリゼ通り(Avenue des Champs-Elysees)。「オー・シャンゼリゼ」という歌にも歌われて、パリへの憧れを持った人も多いかもしれません。シャンゼリゼ大通りはコンコルド広場から凱旋門まで続くパリの大通り。多くのカフェやブランドショップが立ち並ぶ世界的観光地です。通りの名前であるシャンゼリゼは、ギリシャ神話の「エリュシオンの野」(Elysian Fields)からきています。エリュシオンとは神々に愛された英雄たちの魂が死後に送られる楽園を意味し、「エリート」の語源になったと言われています。シャンゼリゼ大通りは19世紀半ばからはパリジャンたちの流行の発信地となりました。今では「世界でもっとも美しい通り」として毎日多くの観光客でにぎわっています。

シャンゼリゼの歴史

17世紀の始め、シャンゼリゼ通りの辺りはまだパリ郊外でした。文字通り、ただの野原が広がっていたのです。発端は1616年、アンリ4世の妃であるマリー・ドゥ・メディシスがチュイルリー庭園から先を並木道で伸ばすと決定したことでした。その並木道はセーヌ河沿いのアルマ広場まで続き、「女王の遊歩道」と呼ばれました。それがシャンゼリゼの最初の姿で、辺りにはまだ農園や市場が残っていました。その後、1667年にヴェルサイユ宮殿の庭園を設計したル・ノートルによって、広大な並木道が整えられ、1709年に「エリュシオンの野」を意味する「シャンゼリゼ」と呼ばれるようになりました。1724年にはエトワール広場(現在のシャルル・ド・ゴール広場。後に凱旋門が建つ)まで延長され、現在のシャンゼリゼ大通りが完成しました。シャンゼリゼ通りの入り口にある2体の馬の像は「マルリの馬」と呼ばれ、彫刻家ギョーム・クストゥ(Guillaume Coustou / 1677-1746)の作品です。もともとはマルリの城館のために作られた像でしたが18世紀末にここに移転し、シャンゼリゼ通りの美しい透視図的な風景の一役を担っています。ルイ16世の妃マリー・アントワネットもこの大通りがお気に入りだったそうです。19世紀になるとシャンゼリゼ通りの重要性はさらに増し、1828年には正式にパリ市の資産となりました。20世紀にはいると、シャンゼリゼ通りはフランス共和国を代表する風景として国際的な舞台の場になっていきます。第一次世界大戦の祝賀パレードの際には日本の武官も騎乗姿で参列し、現在では各国の首脳を招いての公式行事の場、そして7月14日のパリ祭でのパレードの出発地点となっています。1993年には側道部分が拡張され、今では多くのフランス人が通り沿いのカフェで道行く人々の流れを眺めています。

シャンゼリゼ通りの観光

シャンゼリゼ大通りには観光客と買い物客が最も多いパリ名所の一つ。通りそのものが観光地となっていて、幅に広い歩道にはカフェやブティックが並んでいます。カフェのテラスでコーヒー飲みながら道行く人々を眺めれば、それ自体がパリ的な観光風景となるのもシャンゼリゼ。東はコンコルド広場から始まり、美術展示場のグラン・パレ、マリニー劇場、大統領府であるエリゼ宮、有名な凱旋門と約2キロに渡って続きます。美しい一直線に続くこの大通りは「パリの歴史軸」と言われ、透視図法の素晴らしい景色を提供しています。凱旋門から始まる西半分は日本人がイメージする賑やかなブティックエリアで、ルイ・ヴィトンなどの高級ブティック、カフェ・フーケツやジョジュル・サンクなどの有名カフェ・レストラン、リドなどの伝統的なキャバレーが立ち並びます。通りの東半分は緑に覆われ、静かな散策にも最適。ゆっくりと休める公園もあり、園内の高級レストランで食事をする夏の夜はまさに美しいパリを体現するものでしょう。

大通りにある緑地帯「シャンゼリゼの庭」へ

シャンゼリゼ通りはブティックとレストランだけではありません。大通りのちょうど真ん中、エリゼ宮の前に広大な緑の公園があります。ここはジャルダン・デ・シャンゼリゼ(Jardins des Champs-Elysees=シャンゼリゼの庭)と呼ばれる市民の憩いの場。ブーローニュの森の緑地計画を担当した造園家ジャン・シャルル・アルファンによって造られた、美しい英国式庭園です。園内には1848年に創設されたマリニー劇場(シャルル・ガルニエ設計)があり、様々な演劇が今も現役で上映されています。ベンチや噴水もあり、8区の近くに住むブルジョワ階級の子供たちが遊んでいる姿が見かけられます。最もプルースト的な光景が見られるのはこの公園かもしれません。

日本でも有名なシャンゼリゼの歌

パリに行ったことのない人、もしくはパリに関心がない方も「オーシャンゼリゼ」という歌詞は知っているかもしれません。軽快な曲とともに歌われるシャンゼリゼの情景は多くの日本人に美しいシャンゼリゼのイメージを与えたと思います。これはフランスの作詞家ピエール・ドラノエによる1969年のシャンソン「Aux Champs-Elysees(オ・シャンゼリゼ)」が元になっています。いかにもフランスらしい歌なのですが、実はオリジナルはフランスではなくイギリスの曲でした。1968年にイギリスのバンドJason Crestがリリースしたウォータールー・ロード(Waterloo Road)です。この曲をピエール・ドラノエがフランス風にアレンジをして作詞し、ロンドンに滞在していたフランスの歌手ジョー・ダッサンがシャンソンにアレンジして歌ったのが「オ・シャンゼリゼ」です。純粋なシャンソンだと思っていた「オ・シャンゼリゼ」は、実はイギリスの曲だったんですね。ちなみに日本では感嘆符とされている「オー」は、前置詞aと定冠詞lesの縮約形aux(オ)のことです。間違った形で日本に伝わった「イギリス製シャンソン」ですが、日本でのシャンゼリゼ大通りの知名度が上がったことは間違いのない事実です。

シャンゼリゼ通りは何故美しい?

凱旋門からコンコルド広場まで続く美しいシャンゼリゼ通り。しかしその美しさはどこからきているのでしょう。凱旋門が見える遠近法的風景や広い大通りに並ぶ壮麗な建築とマロニエの木々は美の大事な要素ですが、それ以外にも理由があります。この通りで商売をする人々が美しさの維持に深く貢献しています。1860年にシャンゼリゼ大通りの商人がシャンゼリゼ保護運動団体を結成し、その後1916年に協会になりました(会長はルイ・ヴィトン)。1980年には委員会に改名され、通りの高級なイメージを維持するための様々な活動を行ってきました。現在でも新しい企業がこの通りにお店を出すときにはこの委員会の承認が必要です。またシャンゼリゼ通り沿いの店舗は賃貸料が高額なため、人はほとんど住んでいません(特に日当たりのいい北側の通りが高いです)。地上階は店舗でその上はオフィスになっている場合が多いです。

ツールのゴール地にも。シャンゼリゼ大通りのイベント

シャンゼリゼ通りでは、様々なイベントも開催されています。7月14日の革命記念日(パリ祭)では、軍隊パレードが行われ大統領もやってきます。また毎年7月に開催される自転車レース「ツール・ド・フランス」のゴールとして使われています。12月31日の大晦日には通り全体が歩行者天国となり、新年の始まりと同時に路上で人々がシャンパンを開けて新年を祝います。パリの大晦日はシャンゼリゼにいると特別な体験ができますが、寒さとスリには要注意です。

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