アレーヌ・ド・リュテス
最終更新日:
パリの中心にある古代ローマ遺跡へ
パリの学生街カルチェラタンにあるモンジュ通りを歩いていると、アーチの窓がついた石造りの門があります。そのひっそりとした佇まいは、アパルトマンや店舗とも違い、不思議な雰囲気を漂わせています。緑の両扉がついた入り口を通ると、そこは静かな別世界。ここはかつて古代ローマの円形闘技場(円形劇場)があった場所で、現在はリュテス円形闘技場公園(Square des arenes de Lutece)として一般公開されています。この闘技場は1世紀の終わり頃にすり鉢状に建設されました。当時は剣闘士の戦いなどのイベントを観戦するために使われたり、円形劇場として多くの演劇作品が上演されました。まさにローマ時代の「パンとサーカス」が古代のパリでも繰り広げられていたのです。アレーヌ・ド・リュテスの歴史:紀元1世紀に造られたローマ帝国の闘技場
紀元1世紀に建てられたリュテス闘技場は、古代ローマの建造物の中でも最も古い建築物の一つです。この闘技場はローマ帝国末期の3世紀まで使われ、蛮族によるルテティアの破壊を見てきました。会場は約1万7千人の観客を収容することができるほどの大規模なもので、アリーナと観客席とは約2.5メートルの壁で隔てられていました。壁には音響用と思われる9つの壁龕と5つの小部屋が設置されていて、小部屋のいくつかは動物用でした(今もその小部屋が残っています)。その後、闘技場は墓地として利用され、1210年頃にはフィリップ・オーギュストの城壁の建設に際して埋め立てられました。そのため、ローマ時代には多くの人が訪れたリュテス闘技場は地面の堆積物の下に埋没して正確な場所は不明となり、Les Arenesという地名が残るだけになりました。アレーヌ・ド・リュテスの歴史:19世紀に再発見された遺跡
時は流れ、アレーヌ・ド・リュテスが歴史に再登場するのは19世紀のオスマンによるパリ改造の時代。1870年にモンジュ通りを建設するときにフランスの考古学者テオドール・ヴァケによって偶然発見されました。遺跡の上には乗り合い馬車の停留所が建設される予定でした。遺跡の発見後、作家ヴィクトル・ユゴーなどの知識人が先頭に立ち、闘技場の保存運動を開始しました。その後発掘作業は進み、1896年に公園として開園しました。文化人類学者のジャン=ルイ・カピタン博士によって発掘調査と史跡の修復は第一次世界大戦の終わりまで続けられました。カピタン博士の功績を記念して、闘技場に隣接するサン・ヴィクトール貯水池の跡地にはカピタン・スクエア(公園)ができました。観光にもオススメのアレーヌ・ド・リュテス
かつては血生臭い闘技場だった場所ですが、今はパリ市民に開かれた公園となっていて、観光客も自由に入ることができます(入場料は無料)。現在残っているのは闘技場の一部で、観客席部分はモンジュ通りのアパルトマン建築の際に失われました(園内からは崖の上に立つようなアパルトマンの壁が見えます)。1917年に大幅に修復され、今では若者たちがブールやサッカーをする遊び場になっています。園内はパリ中心地とは思えないほど静かで、時の流れが止まったような世界でゆったりと過ごすことができます。リュテス円形闘技場の近くには買い物に便利なムフタール通りやコントルスカルプ広場、文学的な名所、パリ植物園、パンテオンなどがあり、観光にもおすすめの場所。かつて栄え滅びていった古代ローマ帝国の遺跡を見られるのもパリならではの体験です。パリ散策の合間の休憩に是非訪れてみてください。- パリ観光基本情報
- アレーヌ・ド・リュテス(リュテス円形劇場) / Arènes de Lutèce
- パリの観光地
- オープン(完成):1896
- 住所:49 rue Monge, 75005 Paris
- 最寄メトロ:プラス・モンジュ(Place Monge)、カルディナル・ルモワーヌ(Cardinal Lemoine)、ジュシュー(Jussieu)
- エリア:カルチェラタン
- カテゴリ:パリの観光スポット
- 関連:その他のおすすめパリ観光
アレーヌ・ド・リュテスへのアクセス(地図)
アレーヌ・ド・リュテスへのアクセス(地図)