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パリの人気地区:クロズリー・デ・リラ(モンパルナス)

モンパルナス

国際的ボヘミアンたちが芸術論に花を咲かせた1920年代のパリの中心地   
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モンパルナス

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モンパルナスとは
セーヌ左岸にあるパリ14区と6区にまたがる観光エリア。20世紀の始めに世界中から芸術家が集まったことで知られています。モンパルナス墓地やモンパルナスタワーで有名。

芸術家のアトリエが残る、1910年代のパリの中心地

パリ人気エリア:セレクト(モンパルナス)
モンパルナスのカフェ「セレクト」
セーヌ川から学生街サン・ミシェル大通りを上りきってから右に折れると、モンパルナス大通りがあります。この大通りとラスパイユ大通り(Boulevard Raspail)が交わるヴァヴァン交差点付近には有名なカフェがあり、20世紀の始めに芸術家たちのたまり場になりました。この辺りは「モンパルナス」と呼ばれ、20世紀の始めには世界中の画家や作家たちが集まった芸術家の中心地として栄えました。1930年代頃にはパリの中心としての役割は終えましたが、かつて画家たちが通ったカフェやアトリエが今も残り、多くの観光客を引き付ける観光地となっています。主な観光地としてモンパルナス墓地、モンパルナスタワー、カルティエ財団美術館、ブールデル美術館などがあり、国鉄のモンパルナス駅はメーヌ地方やブルターニュ地方を始めとするパリ地方への旅の拠点となっています。※有名な観光地の一つだったモンパルナス美術館は2015年に閉鎖されました

メトロの父の名前がつけられたモンパルナス駅
国鉄モンパルナス駅と地下通路でつながっているのが地下鉄のモンパルナス・ビヤンブニュ駅(station Montparnasse - Bienvenüe)。ビヤンブニュとはフランス語で「ようこそ」という意味ですが、駅名はスペルが一部異なり、フルジャンス・ビヤンブニュという人の名前にちなんでいます。彼は1900年に開通したメトロの発案者で、1896年から1932年までメトロの技師長を務めました。ビヤンブニュは建物のひしめくパリの地上には公共交通機関を通すことは難しいと判断し、地下に穴を掘って電車を走らせる計画を考えました。彼は地下鉄の工事を1898年に開始し、1900年のパリ万博に間に合わせるためにわずか2年で完成させました。後に「メトロの父」と呼ばれ、彼の名前が駅名になったのです。

モンパルナスの歴史(1):モンパルナスという地名の由来

何百年も前からこの辺りには多くの石切り場があり、切り出した際にでる石屑が積み重なって草地の多い丘になっていました。16世紀になるとマルゴ王妃の命令でプレ=オ=クレール(神学生の草原)から追い出された神学生たちがこの丘を気に入り、自分たちの領土としました。彼らはこの丘で詩を朗読し、ここを「モンパルナス(パルナッソス山)」と呼びました。パルナッソス山とはギリシア神話に登場するアポロンやミューズたちがあつまる神聖な芸術の山のことです。しかし18世紀になるとモンパルナス大通りの建設のため、丘は削られてしまいました。

モンパルナスの歴史(2):フランス革命後は歓楽街に

18世紀後半のフランス革命の時代、パリ市の境界周辺には多くのキャバレーやダンスホールがあったと言われ、モンパルナス周辺は歓楽街になっていました。「モンターニュ=スイスの園」や「エリゼ=モンパルナス」、「バル・ド・ラルク=アン=シエル」、「ラ・グランド・ショミエール」などの店が人気で、多くの放蕩者が集まったと言われています。モンマルトルのキャバレー「ムーラン・ルージュ」で有名なカンカンやポルカ、シャユーといった華やかな踊りは、すべてモンパルナスのキャバレーで生まれました。ヘミングウェイも言及しているネイ元帥が処刑された天文台前の交差点には有名なダンスホール「ビュリエ」ができ、その後ヘミングウェイも通った「クロズリー・デ・リラ」がオープンしました。19世紀後半のオスマンによるパリ改造の時代にはレンヌ通り、アラゴ大通り、ラスパイユ通りといった大通りが開通し、かつてのウレザンス村、ヴォージラール村、モンルージュ村はパリ市に併合されました。

モンパルナスの歴史(3):世界の芸術家が集まった1910年代

第一次世界大戦後、右岸のモンマルトルから多くの画家や作家、詩人がここへ移ってきました。観光地化して家賃の高くなったモンマルトルより土地の値段が安いことが理由でした。モンマルトルのアトリエ「バトー・ラヴォワール(洗濯船)」にいたピカソたちも右岸を離れて左岸へやってきました。詩人のアルフレッド・ジャリと税関吏でのちに画家となったアンリ・ルソーは以前からモンパルナスに住んでいました。1910年代、モンマルトルからだけでなく、多くの芸術家や作家が世界中から集まり、モンマルトルは芸術の世界的中心地として栄えました。モンパルナスに集まった芸術家には、アンリ・ミュルジェール、アポリネール、マックス・ジャコブ、アントワーヌ・ブールデル、アンリ・ルソー、マティス、ブランクーシ、モディリアニ、パスキン、スーチン、ジャン・コクトー、シャガール、レジェ、ミロ、キスリング、エリック・サティ、カンディンスキー、藤田嗣治(レオナール・フジタ)、佐伯祐三などがいました。パリに集まったのは芸術家だけでなく、政治家で亡命者だったレーニンやトロツキーなどがいました。彼らの活動の場はもっぱらカフェでした。皆カフェへ集まって長居し、芸術談義を交わし絵を描きました。パリに集まった彼らは「エコール・ド・パリ」と呼ばれ、この時代に芸術家たちの黄金時代が築かれました。そのようにしてこの界隈では様々な芸術や政治に関する情報が飛び交い、世界的に有名な場所となっていきました。彼らが通った当時のカフェは今もモンパルナスに残っています。

集合アトリエ「ラ・リューシュ」
モンパルナスにはかつて伝説的なアトリエが存在しました。1900年にパリ万博が開かれましたが、そのときの展示館の一つであったワイン館がダンチヒ小路に移されて、その後共同アトリエ「ラ・リューシュ La Ruche」(蜂の巣)として使われることになりました。モンマルトルにあった共同アトリエ「バトー・ラヴォワール」に住んでいたモディリアーニ、スーチン、シャガール、ザトキン、フェルナン・レジェたちがここに移り住みました。モンマルトルの家賃が上がったことがその原因でした。

パリにやってきた日本人画家
1913年に渡仏した日本人の画家レオナール・フジタ(藤田嗣治)もパリで最初に滞在したのがモンパルナスでした。彼がパリに来た初日に泊まったオデッサホテルは今もモンパルナスに残っています。ホテルに滞在した翌日、彼はスペイン画家の紹介でピカソのアトリエを訪れ、キュビズムの絵画に衝撃を受けます。その後彼はシテ・ファルギエール(Cité Falguière)という賃貸料の安かった共同アトリエに住みます。同じくそのアトリエに住んでいたのがモディリアーニとスーチンでした。アトリエの近くには彼の行きつけだったカフェ・ロトンドがあり、そこで彼はフェルナンドと出会い結婚することになります。2人はカフェの近くのアパルトマンに住みました。

モンパルナスの歴史(4):芸術家の集まった有名なカフェ

彼らの通ったカフェやバーは現在でも営業しています。モンパルナスの中心地であったヴァヴァンの交差点(パブロ・ピカソ広場)に残っている有名カフェが、ロトンドドームセレクトクーポール。当時は労働者向けの安い食堂でしたが、これらの4つのカフェは今ではシックな高級店として多くの観光客で毎日賑わっています。もっと静かなカフェをお探しなら、そこからモンパルナス大通を少し東へ歩いたところにあるクロズリー・デ・リラがオススメ。ここにも多くの作家たちが通い、彼らの名前が店のテーブルに刻まれています。ボードレールやアポリネール、そしてパリを愛したアメリカ作家のヘミングウェイがここの常連でした。ヘミングウェイはここでカフェ・クレームを飲みながらロストジェネレーションの記念碑的作品「日はまた昇る」を執筆しました。料理の値段は少々高めですが、まるでフランスの田舎にいるような落ち着いた時間を過ごすことができます。

モンパルナスの歴史(5):アメリカの作家たちが書いた狂乱の1920年代

1920年代にはアメリカ人作家のヘミングウェイがモンパルナスのカフェに通い、アメリカ人の時代がやってきます。ヘミングウェイはモンパルナスのカフェに通いながら小説を書き、その後有名な作家になりました。スコット・フィッツジェラルド、エズラ・パウンドなども1920年代に作家修行のためにモンパルナスへやってきます。ヘミングウェイとフィッツジェラルドが初めて会ったのもモンパルナスで、彼らが出会った伝説のディンゴ・バーは現在レストランになっています。モダニズム運動の代表として知られるアメリカの詩人エズラ・パウンドも20年代にパリに住み、ヘミングウェイたちと交流しました。その後モンパルナスは、第一次世界大戦後の開放感と好景気に包まれた「パリ狂乱の時代」の文化的首都となっていきますが、その繁栄も世界恐慌で幕を閉じることになります。1929年の大恐慌を機に、狂乱の時代は終わり、モンパルナスはパリの文化的中心地としての役割を終えました。モンパルナスが芸術家たちに創作の中心だったのは1930年代までで、その後芸術の中心はパリ6区のサンジェルマン・デ・プレに移っていくことになります。

パリにやってきた日本人作家
のちに「ふらんす物語」や「墨東綺譚」を書いた永井荷風もモンパルナス周辺で暮らしました。

芸術家のアトリエが美術館に

20世紀の始めに多くの画家たちのアトリエがあったモンパルナスですが、今でも訪れることができるアトリエがあります。フランスの彫刻家アントワーヌ・ブールデル(Antoine Bourdelle)のアトリエは現在美術館になっていて、一般公開されています。家具職人の父のもとで育ったブールデルは幼い頃から彫刻家としての才能を開花させ、パリの美術学校で古典主義絵画を学びます。そして多くの作品をサロンに出品して徐々に名声を得ていきます。しかし制約の多い古典主義に疲れと疑問を感じたブールデルは一度故郷に戻って休息し、その後パリに戻ると自分のスタイルを確立するために彫刻家として再出発します。そのときに出会ったのが彫刻家のオーギュスト・ロダンでした。彼はロダンのアシスタントとして15年間働くことになります。彼はロダンを師として学びながら、彫刻家としての自分のスタイルをつかんでいきました。再出発したパリでは当時まだ土地の安かったモンパルナスにアトリエを構え、生涯を通じて作品を作っていくことになります。そのアトリエが現在は美術館になり、彼の制作現場は今も当時とほぼ同じ状態で見学することが可能です。ギリシャ神話に魅了された彼の代表作の一つである『瀕死のケンタウロス』もこのアトリエに置かれています。中庭では彼の名声を世界に広めた『弓を引くヘラクレス』を見ることができます。大ホールにはブールデルの記念碑的な彫刻やオリジナル石膏像が置かれ、それらのほとんどはシャンゼリゼ劇場やアルマ地区に飾られていたもの。また美術館の2階にはギャラリーが併設されたカフェ「ロディア」(Le RHODIA)があり、中庭を眺めながらゆっくりとコーヒーを飲むことができます。カフェの店名であるロディアはブールデルの娘の名前からとられています。またパリ7区にはブールデルの師匠であったロダンのアトリエがロダン美術館として残っていますので、彫刻家に関心のある方はぜひブールデル美術館と合わせて訪れてみてください。

画家たちが眠るモンパルナス

かつてパリの黄金時代を築いた画家たちを求めて多くの人がモンパルナスを訪れます。彼らに実際に会うことはもうできませんが、彼らの眠る墓地がモンパルナスにあります。エドガー・キネ大通りを右に折れると、モンパルナス墓地の正面入り口があり、だれでも自由に入ることができます。この墓地ではスーチン、ブールデル、ザトキン、ウードン、バルトルディ、ブランクーシなどの芸術家たちが眠っています。

映画で知るモンパルナス
『モンパルナスの灯』(1958)はこの地で暮らした不遇の画家モディリアーニの生涯を描いたフランス映画。麻薬と酒の中毒で貧窮した生活を送る画家をジェラール・フィリップが演じています。映画はセットですが、1910年代のモンパルナスの雰囲気を味わうことができます。モデルとなったカフェ「ロトンド」は今もモンパルナスに残っています。

クレープ通りがあるモンパルナス

モンパルナスに訪れた際にぜひ味わいたいのがクレープです。日本でクレープと言えば食べ歩きのおやつのようなイメージですが、フランスのクレープはレストランで出される本格的な料理です。特にモンパルナス界隈はブルターニュ地方の伝統的なクレープが食べられることで知られています。モンパルナス駅はブルターニュ地方からの列車が到着するターミナル駅で、20世紀には多くのブルターニュ人がパリへやってきました。そのため、モンパルナスはブルターニュ地方からやってくる人の玄関口となり、近くにはブルターニュ名物のレストランがたくさんできました。その中でも有名なのがそば粉のクレープであるガレットです。ブルターニュは酸性の土地柄という影響もあって小麦が取れにくく、代わりに良質なそばを育てるのに適していました。そのためブルターニュの農家ではそば粉を使ったクレープがいわば家庭料理として昔から食べられていました。モンパルナスにあるブルターニュのレストランでは伝統的なガレットを食べることができます。飲み物はやはりブルターニュ名物のシードル。リンゴのお酒で、そば粉のクレープととてもよく合います。モンパルナス通りには多くのクレープリーがあるクレープ通りとして知られていますので、フランス地方のグルメに関心のある方はぜひガレットを試してみてください。

コミュニケーションがテーマの博物館

モンパルナスには芸術の美術館以外にも魅力的な施設があります。郵便博物館(Musée de La Poste)は様々な展示を見ながら郵便の歴史を学べる博物館。コミュニケーションをテーマに、各時代に運ばれた郵便物の種類や伝達手段などが豊富な資料によって分かるようになっています。15の部屋が螺旋状に続く構造で、6階から2階まで下りながら見たこともない歴史上の郵便物を見ることができます。見どころは中世の僧侶が修道院内で持ち歩いた羊皮紙の備忘録や昔の郵便ポスト、郵便配達人の制服、最初の郵便車など。ルイ11世が開設した宿駅によって始まった郵便網の説明もあります。郵便配達夫に関する版画も展示され、同時の郵便配達がどのようなものだったかを当時の風景を通して視覚的に見ることができます。またこの博物館は切手愛好家にもおすすめで、輪転機による凹版画切手の製造の様子が見られたり、フランス国内で発行されたすべての切手のコレクションなど、魅力的な展示が多いです。

現在のモンパルナスの見どころ

かつては世界の芸術家たちが集まる中心地でしたが、今はかつての芸術家たちの足跡が残っている観光地として知られています。残念ながら観光地化した今のモンパルナスで当時の雰囲気を感じることは難しいでしょう。昔の名残を求めて作家たちの集まったカフェやアトリエにやってくる観光客は多いですが、それ以外の見所はあまりないようです。巨大なモンパルナス駅はこの土地特有のボヘミアン的な雰囲気を消してしまいましたし、パリ唯一の高層ビルモンパルナスタワーを中心とするビジネス向けの高層建築群はいまだにパリの景観を壊しています。しかし、皮肉なことにタワーからは素晴らしいパリの眺めを一望できますし、モンパルナス墓地やブールデル美術館を訪れれば好きな作家と静かな対話をすることも可能です。モンパルナス駅がブルターニュ方面からの列車の最終地点であるため、伝統的なガレット(そば粉のクレープ)が味わえるお店があるのも魅力の一つ。また夜のモンパルナス大通りはそれなりの華やかな雰囲気があり、人を引き付ける多くのブラッスリーやバー、レストラン、ナイトクラブがあります。モンパルナス墓地の南にあるダゲール通り(rue Daguerre)や、メトロ13番線のゲテ駅やペルネティ駅付近は庶民的で気さくな雰囲気が今も残っており、穴場のレストランやカフェ、映画館が多いです。自然の中で休憩したい方は魅力あふれるモンスリ公園がおすすめ。少しマニア向けになりますが、パリのアンダーグランドを体験したい方は地下にあるカタコンブ(Catacombes)へ。このように芸術の痕跡が残るモンパルナスは、観光地化されていながらも散策するのに最適の場所です。ここより南にいくとパリ郊外で、境界線付近ではパリで人気の蚤の市の一つ「ヴァンブの蚤の市」が開催されています。

散策オススメルート(1)墓地とタワーとカフェ

モンパルナスの散策の目玉は、芸術家の眠るモンパルナス墓地とモンパルナス・タワー、そして文学カフェの3つ。まずはメトロ6番線のエドガー・キネ駅(Edgar quinet)で下車してモンパルナス墓地を見学しましょう。自分の好きな作家の墓地を探す過程が面白い。墓地を出た後はモンパルナス・タワーに上ってパリの眺望を堪能しましょう。タワー自体に魅力は全くないが、ここはパリが一望できる数少ないスポットの一つ。そのあとヴァヴァンの交差点付近のカフェの一つに入り、20年代の芸術家に思いを馳せることができます。交差点近くにはロダン作のバルザックの像が置かれています。余力があれば学生街カルチェラタンやリュクサンブール公園方面に足を伸ばすのも良いですね。

散策オススメルート(2)ヘミングウェイの足跡を辿る

またモンパルナスは作家の痕跡がたくさん残っている地区でも有名です。ロストジェネレーション(失われた世代)の作家が好きな人であれば、アーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Hemingway 1899-1961)の歩いた道を辿るのもいいかもしれません。まだモンパルナスがパリ一の華やいだ文化首都だった時代、ヘミングウェイはノートル・ダム・デ・シャン通り113番地(113 Rue Notre-Dame des Champs)に住んでいました。今はアルザス学校の一部になっています。ここから彼はすぐ近くのクロズリー・デ・リラに通い、小説を書きました。ヘミングウェイとフィッツジェラルドが初めて出会ったディンゴ・バーはヴァヴァン交差点から斜めに入ったドランブル通り10番地(10 Rue Delambre)にありました。20年代のパリにタイムスリップした気分で歩いてみるのも面白いですね。

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