太陽王の宮殿
世界で最も有名な宮殿といえば、おそらくヴェルサイユ宮殿を挙げる人が多いのではないでしょうか。世界中から観光客が訪れる太陽王の宮殿はパリからも近く、フランスで人気の観光スポットになっています。宮殿のあるヴェルサイユ(Versailles)は比較的裕福なブルジョワ層のフランス人が住む緑豊かな街。1682年から1789年の1世紀以上にわたってフランス王国の政治上の中心地となっていましたが、フランス革命の際に暴徒化した市民が宮殿に押し寄せて衛兵を殺害し、当時の国王だったルイ16世とマリー・アントワネットはパリに連れ戻されました。その後室内装飾品のほとんどが失われてしまいましたが、ルイ・フィリップが部屋の多くを改修して一般公開しました。2003年から宮殿の25か所を対象に長期間の修復・整備事業が行われています。
パリからのアクセス
ポルト・ド・サン・クル(Porte de St-Cloud)からA13号線に入り、ヴェルサイユ・シャトー(Versailles Chateau)出口を出ます
太陽王の嫉妬から生まれた宮殿
革命期まで国王の居住地として使われたヴェルサイユ宮殿(Chateau de Versailles)は17世紀の中頃、太陽王と呼ばれたルイ14世(1643-1715)の時代に造られました。自己賛美の強かったルイ14世の趣向を細部まで反映した壮麗な宮殿で、そのスケールの大きさと装飾の素晴らしさは他に類を見ません。広大な宮殿の建設にあたり、ルイ14世は建築家ルイ・ル・ヴォー、ジュール・アルドゥアン・マンサール、室内装飾家シャルル・ル・ブラン、造園家アンドレ・ル・ノートルを雇いました。宮殿のデザインは、ルイ14世の財務長官だったニコラ・フーケが所有していたヴォー・ル・ヴィコント城をモデルにしたといわれています。ルイ14世は壮麗なヴォー・ル・ヴィコント城を見てその美しさに嫉妬し、憎しみのあまりフーケを投獄しました。そしてこの城よりさらに広大な城としてヴェルサイユ宮殿の建設を計画しました。
数字でヴェルサイユ宮殿の広大さを知る
ヴェルサイユ宮殿は一体どのくらい広いのでしょう?宮殿には700の部屋、2153の窓、352の煙突があり、屋根の総面積は11ha、庭園や公園、森林の総面積は900haにも及びます。部屋には6300の絵画、2000の彫像、1万5000の彫刻、5000の装飾芸術品・調度品で飾られています。
ヴェルサイユ宮殿の魅力
壮大な噴水ショーが行われる庭園
ル・ノートルは宮殿前の丘をまず平らにし、湿地の水を抜き、森林を移し替えて、様々な庭園や池、噴水を配置し、美しいフランス式庭園を実現させました。庭園で最も大きな泉は宮殿の300m北に造られたネプチューンの泉(Bassin de Neptune)と大運河の東端に造られたアポロンン泉(Bassin d'Apollon)です。暖かい季節には敷地内の至るところで壮大な噴水ショーが行われます。
豪勢な装飾美が味わえる鏡の間
ル・ブランとその下で働いた職人たちは、ギリシャ・ローマ神話からとられたモチーフを使い、フレスコ画や大理石、金箔などの贅沢な調度品で室内を装飾しました。王の大居室(Grand Appartement du Roi)にはヘラクレス、ヴィーナスなどの神々に捧げられた部屋があります。その壮麗な装飾美の集大成は鏡の間(Galerie des Glaces)で見ることができます。長さ75mもあるこの舞踏室の片側には17面の巨大な鏡がはめ込まれ、その反対側には庭に面した同じ数の窓があります。
国王の休息場所だった小さな宮殿
宮殿は本宮殿以外に別棟の小さな宮殿、グラン・トリアノン(Grand Trianon)とプティ・トリアノン(Petit Trianon)があります。グラン・トリアノンはピンク色の列柱が並ぶ宮殿で、ルイ14世とその家族が厳格な宮廷儀礼から逃れて休むための場所として1687年に建てられました(後にナポレオン1世によって第一帝政様式に改築されました)。プティ・トリアノンはグラン・トリアノンよりはるかに小さな黄土色の宮殿で、1760年代に造られました。その後ナポレオン三世の妻であるウージェニー皇后が改装し、ルイ16世様式の家具・調度類を追加しました。
マリー・アントワネットが愛した村里
また庭園の端には田舎の美しい村を再現した王妃の村里(Hameau de la Reine)があります。これはマリー・アントワネットが自らのプライベートな娯楽のために1775年から1784年にかけて造らせたもの。田舎の村を模した藁ぶきの農家が並び、緑の草むらの間を川が流れるのどかな風景が広がっています。王妃はここで乳しぼりの娘を演じるのを好んだといわれています。
ヴェルサイユの街にも見どころはたくさん
宮殿のあるヴェルサイユの街は、宮殿と同様にルイ14世によって造られました。しかし当時の建物はほとんどなくなり、現在残っているのは18世紀か19世紀に建てられたものです。サン・クル大通り(av de St-Cloud)、パリ大通り(av de Paris)、ソー大通り(av de Sceaux)という3つの大通りが宮殿正面のアルム広場(place d'Armes)から扇を広げたような形で東に向かって続いていて、これらの大通りに挟まれる形で17世紀に造られた2つの大きな厩舎があります。大厩舎(Grande Ecurie)の中には四輪馬車博物館(Musee des Carrosses)や馬術ショーが行われる馬術アカデミー(Academie du Spectacle Equestre)があり、小厩舎(Petite Ecurie)にはヴェルサイユ建築学校が入っています。小厩舎から南西300mほど行くと、フランス革命の際に重要な役割を果たした球戯場(Jeu de Paume)があります。その南にある王の菜園(Le Potager du Roi)は宮廷で提供する料理のための大量の食材をまかなうために17世紀末に造られたものです。その広さは9haあり、当時の畑の区画が今も残っています。街中の美しい界隈にあるサン・ルイ大聖堂(Cathedrale St Louis)は、アルドゥアン・マンサールにって設計された簡素ながらも調和のとれた建築です。1743年から1754年の間に建てられ、1802年に司教座聖堂になりました。教会内にある3636本のパイプからなるオルガンが有名です。ヴェルサイユ・リーヴ・ドロワット駅()の近くにあるランビネ博物館(Musee Lambinet)は18世紀の美しい邸宅の中にある博物館。18世紀の家具・調度品やヴェルサイユの歴史に関する貴重な史料が展示されています。
フランス革命のきっかけとなった球戯場の誓い
1789年、ルイ16世は税制改革によって国家の膨大な債務を処理するための三部会をヴェルサイユに招集しました。三部会のメンバーは貴族、聖職者、第三身分(中流階級の市民)で構成されていました。しかし招集当日の6月17日、第三身分の代表者たちは三部会の会議場への入室を拒否されたため、球戯場の間(Salle de Jeu de Paume)に集まり、その日のうちに国民議会を組織しました。その3日後、彼らは有名な「球戯場の誓い」を採択しました。それはルイ16世が新たな憲法を受け入れない限り国民議会を解散しないと宣言したものでした。この行為を支持する人々はパリの街頭でデモ活動を繰り広げ、それから一か月もたたないうちに暴徒化したパリ市民がバスティーユ牢獄を襲撃し、フランス革命が始まりました。
ドライブで立ち寄りたいヴェルサイユ宮殿の観光スポット
- ヴェルサイユ宮殿(Chateau de Versailles)
- グラン・トリアノンとプティ・トリアノン(Grand Trianon, Petit Trianon)
- 壮大な眺望ショー(Grande Perspective)と音楽と噴水のショー(Grandes Eaux Musicales)
- 宮殿の庭園で行われる噴水ショー
- 時間:11:00〜12:00 / 15:30〜17:00(土もしくは日に開催)
- 馬術アカデミー(Academie du Spectacle Equestre)
- 馬術ショーやミュージカルショーが開催されている
- 住所:Grande Ecurie, 1 av Rockefeller, Versailles
- 四輪馬車博物館(Musee des Carrosses)
- 大厩舎の中にある博物館
- 住所:Grande Ecurie, 1 av Rockefeller, Versailles
- 球戯場(Jeu de Paume)
- 「球戯場の誓い」が行われた歴史的スポット
- 住所:1 rue du Jeu de Paume, Versailles
- 王の菜園(Le Potager du Roi)
- 宮廷料理の食材を確保するために造られた菜園
- 住所:10 rue du Marechal Joffre, Versailles
- サン・ルイ大聖堂(Cathedrale St Louis)
- アルドゥアン・マンサールが設計した美しい大聖堂
- 住所:place St-Louis, Versailles
- ランビネ博物館(Musee Lambinet)
- 18世紀の家具・調度品やヴェルサイユの歴史的資料が展示された博物館
- 住所:54 blvd de la Reine, Versailles
パリからヴェルサイユへのアクセス
- 距離と所要時間:約30km / 約1時間
- 経由地:-
- エリア:パリ近郊
パリからヴェルサイユへのドライブルート(地図)
パリからヴェルサイユへのドライブルート(地図)